紅殻格子の日記(159)  差別

紅殻格子の日記(159)  差別

私の祖父が横浜の港湾で働いていたため、実家は本牧付近の路地裏にありました。

猫の小便臭い車も通れない路地で、六畳一間、洗面所と炊事場が共用のアパートが何軒も建っていました。

勿論、風呂がある家などは少なく、近所に銭湯が3軒もありました。

地方では考えられないかもしれませんが、都会のスラムはそんな感じでしたね。

家に風呂がなかった私は毎晩銭湯に通いました。

刺青者やあちらの筋の人も多く、子供心に怖かったことを今も覚えています。

近所に木村さんと言う家があって、そこの兄さんと良く銭湯で一緒になりました。

中学生だった私より一回り年上だった思います。

彼は黒人米兵と日本人(木村さんの奥さん)との混血で、チョコレート色の背中に中途半端な刺青を入れていました。

木村さんの奥さんはその時日本人の亭主がいましたから、結婚する前にできた連れ子だったのだろうと思います。

学校へ行ったのかわかりませんが、当然彼はぐれたのでしょう。

私の目の前に現れた時はヤクザのチンピラでした。

でも私にはいろいろと親切にしてくれました。

スラムから進学校の私立中学に通っている子が珍しかったのかもしれませんね。

確か「俺みたいになるな。まともな暮らしをしろよ」と良く言ってくれていました。

まるで森村誠一の『人間の証明』と、山田洋次の『男はつらいよ』を足して二で割ったような、向こう側の世界に住む人でした。

戦後、貧しかった時代の落とし児なのでしょうが、おそらく向こう側の世界にしか居場所がないことを、周囲の日本人から悟らされたのでしょう。

消すことができぬ黒い肌を怨んだ彼の心情を思うと、差別という意識は人間の生には永遠につきまとうものかもしれません。

恥ずかしいことですが、その意識は間違いなく私にもあります。

しかし問題なのは、差別の意識を恥じるのではなく、昨今は声高に堂々と主張する輩が増えてきていることです。

確かに向こう側の住人は恐ろしいのかもしれません。

だからと言って理由なく排除するのではなく、共有する部分を探していく勇気が必要なのだと思います。

いつの頃だったか、銭湯でも街でも、彼の姿が見られなくなりました。

風の噂で、誰かを刺して地方へ逃げたと聞こえてきました。

今も生きているのか・・忘れられない思い出です。



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プロフィール

不良老人カップル

Author:不良老人カップル
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(♂) 紅殻格子(べんがらごうし)
1962年8月23日生まれ。
某大手企業に勤めながら官能小説を雑誌に発表する兼業作家。ブログ『妄想の座敷牢』を主宰するも、2012年、妻を亡くし、また自身も食道癌に罹り、文筆活動をしばらく停止していた。

(♀) 美月
1962年8月23日生まれ。
3人の子供と夫を持ちながら家業の役員を務める兼業主婦。ブログ『灰になるまで恋を』を主宰。 偏屈な紅殻格子と10年に及ぶ愛人関係を続けられる自身もまた偏屈で変わり者。
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