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逢瀬に向かう車窓から…美月

行楽の秋ですが、あいにくの雨です。

尚且つ、またまた台風が向かってきているとのことで東浪見にも行けず、今日は先生の家に向かっています。

外からの刺激を感動に変えて楽しむ休日も楽しいのですが、のんびりテレビを観ながら昼呑みする、こんな穏やかな休日も好きです。

まあ、先生が傍にいれば天気の移り変わりに気分が揺れることはありません。

日々良好です。

先週は、千葉県の大観光地、鋸山に連れて行ってもらいました。

三連休ということもあり大変混雑していましたが、険しい階段を命がけで?登りきった先に観た百尺観音様のお姿に大感動しました。

でも、意外と人気がないのか?みなさん記念写真を撮るとあっさり地獄覗きの列に並んでしまいました。

地獄覗きとは…切り立った岩の先から下界を覗くスリリングさが売りのようですが、一時間以上並んで観る根気は私達にはありません。

話は百尺観音様に戻りますが、私が大感動した理由は、この観音様は石切場後に6年の歳月をかけて作られたこと。

観音像としての出来栄えはあまり良くないのですが(汗)、何より人間が生活の為に汗水流して働いた場所に観音様が現れたことです。

私の考える宗教というのは、別世界にありきではなく、今を生きることに感謝が生まれる瞬間であり、決して豪華な宮殿や誰一人見てきたことのないあの世の幸福を願うものでもないのです。

神の名を借りて奉公している振りをして、人を差別し蔑む疑心者が蔓延る世界を本気で正そうとする神などいないでしょうね。

パワースポットブームですが、こんな神を馬鹿にした巡礼はないと思っています。

何故なら廃れた祠に閉ざされた神も全て神の分心であるからです。

神との向き合い方は人間との向き合い方そのもののような気がして、貧しいものを粗末に扱う人の心の薄情けに触れる度、寂しい気持ちになります。

だから私は無心で神仏と向き合う先生の傍にいるのだと思います。

まあ、少々、頭のおかしな人の方向へと話が進んでいますが、伴に人生を歩く人に一番の感謝を込めて日々を過ごしていけたらこんな幸福な時間はないでしょうね。

だから私の理想は形あるものを人と比べることではなく、今あるものに愛着を持って暮らせる日常の生活を先生と二人で味わいたいと思っています。

五十を半ば過ぎてまだ明るい未来が描けるのも先生が居てくれるからで、私は一人であれば無力なまま時の過ぎるのを見送っていたかもしれません。

だから私の拝むべき人は先生ということになるのですが、生き霊というのは死霊以上に恐ろしいと聞いていますので、先生には日々穏やかに過ごして欲しいと願っています。

美月

追伸…意地悪顔の老夫婦が黙って席を譲ってくれた若者にお礼の一つも言えず座った。

旦那さんは私の顔を見ながら「早くお前も席を譲れ」と訴えていますが、私は意地でも渡しません。

そして奥さんは駅に着くたび暗黙の攻撃を仕掛けてきますが、私にはこの二人がとても元気だと察しがつきます。

だってさぁ〜、リュック背負って、ストック持って、ウォーキングシューズ履いてるときたら、私以上に歩けるってことだよね(^^)

紅殻格子の日記(238) 彼岸花

紅殻格子の日記(238) 彼岸花

彼岸花が盛りですね。

見れば見るほど不思議な形をした花です。

本来であれば薔薇や秋桜のようにもっと人から愛される花になれたはずです。

しかし日本人にはどこか陰気で忌み嫌われていますね。

アルカロイドを含む毒花で、田圃や墓場に多いのは、小動物が土を掘り返すのを防ぐために植えられたとも言われています。

妖しい口紅の色を想わせる淫花。

安キャバレーのあばずれ女のように毒々しい。

先週、千葉県一宮の東浪見へ行ってきました。

山里の風景は彼岸花の赤で点描され、どこか秋祭りの興奮にも似た艶めかしさを感じてしまいました。

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逢瀬に向かう車窓から…美月

先週は残念なことに先生に少ししか逢えなかった。

連休中、先生は寒川神社に行き、私は先生の秋物の服を選びながら、辺りにいる仲良し夫婦を尻目に一人の淋しさを味わっていた。

買い物はいつも一人だけど、何故かいつものように楽しみながら服を選ぶことができなかった。

思い浮かべる先生の顔が笑っていないことに気がついて、その日は何も買わずに帰って来てしまった。

先生に対して、私は私の生き甲斐だと思ってる。

生きている甲斐があると思えることの殆どを、先生と一緒にいる時間に感じてきたからね。

でもね…先生との距離に埋められない障害があるとしたら、先生と私は似ていても別の人間だということなんだよね。

だから、何かあればちゃんと話し合わなければいけないと言うけれど、ああ言えばこう言うだろうことが見えてくると話さなくてもいいように思えてくるんだよね。

だって何を言っても、私が先生のことを好きな気持ちは変わらないからね。

時に殺してしまいたいと思うほど腹が立っても、幸福なまま二度と目覚めることがなくてもいいと思える夜にも、波打ち際に泳ぐ心だけが揺れているだけで深い海の底に鎮む愛しさに変わりはない。

まあ、一人宗教家としては人に理解されないこともあるけれど、先生の信者となってからは善も悪もなく、ただ一生を捧げる覚悟で傍にいるんだけどね。

介護苦の悲痛な叫びを毎日、誰かに聞かされる。

一年二年ではなく、長い人になると十年レベルで狂った脳みそと付き合い続けなくてはならない。

暴力、暴言、汚物で汚れた部屋、まるで悪魔が乗り移ったかのような人格崩壊に対して、夫婦という責任だけで果たして人一人生かし続けることができるのだろうか….。

世の中に熟年カップルが増えているのは喜ばしいことだけど、老後の生活保証の為に婚活で知り合い一年程度付き合ったくらいで、自分の命を削ってまで尽くすことができるのだろうか…。

私はね…もし先生が私を不審に思うことがあれば、私が嘘付きか、ううん、この先、いつ嘘をつくかでもいい…死ぬ時まで目を離さず見ていて欲しいと思うんだよね。

また、その逆に、私が先生の手を煩わすアンデッドと化してしまったら、その時はどぶ川にでも流してくれたらいいと思っている。

私は人の優しさに甘えて生きられるほど素直な心を持っていないからね。

だから今を大切にしないといけないと先生は言う。

今が永遠であるようにね…。

美月

追伸…私は人前で泣いたりしないし泣き言も上手に喋らない。

それでも先生の死顔を思い浮かべただけで涙が止めどもなく溢れてくる。

見かけは年相応だけど、布団を被って息を殺して泣いていた子供の頃と何も変わっていないのかもしれないなぁ。

紅殻格子の日記(237) 嫉妬の嵐。

紅殻格子の日記(237) 嫉妬の嵐。

愛は独占すること、その喪失を案ずるのが嫉妬でしょうか。

ならば不倫は嫉妬という嵐の中に身を置くことに他なりません。

双方或いはどちらか一方に正式なパートナーがいるからです。

不倫が長続きしないのは、嘘をつく疾しさ、財力と労力の限界、そして嫉妬が原因だと思います。

お互いの状況を理解していても、愛情が深まるにつれてどうしても相手を独占したくなります。

逆に言えば、そうでなければ愛のある不倫ではなく、自己満足の思い出づくり不倫であると断言してもいいでしょう。

つまり不倫とは常に嫉妬と共存することが義務づけられている愛なのです。

遊びであればレンタルでも十分でしょうが、ずっと一緒に居たいと願う感情に至れば、嫉妬の業火に身を炙られることを覚悟しなければなりません。

これは八大地獄に勝る苦痛に違いありません。

だから不倫を辛抱強く続けるゴールには、結婚、或いは結婚できるという希望がなければいけないのです。

略奪婚とは不倫の正しい最終形です。

世間になんと言われようが、先に述べた不倫が長続きしない三要素を解決するには、一緒に生活するしか方法はありません。

私達はW不倫からお互いにフリーな立場になりました。

しかし子供の存在や仕事もあって一緒に暮らせる状態ではありません。

全てを共有しない限り、厄介な嫉妬の疑念地獄から抜け出すことができないのです。

それは過去の男性遍歴から始まり、夫婦生活。現在の男性関係・・面倒臭い話です。

でも相手のことを全て知りたいと思うのは間違った考えでしょうか?

闇が嫉妬を生むのであれば光を当てなければいけません。

問わなければ語らない。

時間がかかることです。

厭なことかもしれません。

素敵な老年齢の夫婦が醸し出す信頼の絆はその集積ではないかと思います。

それを人生の途中から始めるのですから、不倫とは酷く大変な茨の道なのかもしれません。

紅殻格子の日記(236) 京急を愛して。

紅殻格子の日記(236) 京急を愛して。

大好きな京浜急行が創立120周年を迎えます。

明治32年、川崎の六郷橋から川崎大師間2キロの単線が開通しました。

大師電気鉄道、京浜急行の前身です。

京急のホームページを見ると、この時、車輛は5輌、社員は17名だったそうです。

きっと電車を運行することに情熱を燃やした人間ばかりだったと思います。

私達は京急に特別の想いを抱いています。

私は母方の実家が横須賀の逸見駅にあった関係で、子供の頃から定期的に京急に乗っていました。

小学生になると一人で京急に乗って祖父母の家へ月一回は訪ねていました。

勿論先頭車輛で運転席かぶりつきです。

まだ400系・500系が走っていた時代で、複雑な各駅・急行・特急・快特を乗りこなすには頭を使いました。

だから京急好きな子供は、母親にどの列車を乗り継いだらいいか教えなければならず、自然と利口になるのだと思いますね。

私がそれなりの学業をおさめられたのも京急のおかげだと信じています。

美月は子供の頃から京急の梅屋敷駅に住んでいたそうです。

高校は北品川駅にある女子高ですから、まさに京急は通学の脚だったわけです。

同じ生年月日、銭湯がある下町育ち、貧乏、偏屈、早熟、そして京急まで・・・

二人が双子であってもおかしくないほど共通点ばかりです。

先週の休みは京急の金沢文庫にある車庫へ行って来ました。

まあ、京急好きの聖地です。

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本当に馬鹿だと思いますが、二人で京急の駅周辺を一つずつ巡るのが目標です。

まだ二人で歩いていない駅は、鮫洲、立会川、糀谷、大鳥居、井土ヶ谷、屏風浦、京急富岡、能見台、安針塚、堀ノ内、新大津、北久里浜、野比、長沢、津久井浜、三浦海岸。

今も二人で京急に乗ると、昔と変わらず運転席かぶりつきの56歳です。

ああ、恥ずかしい。

京急創立120周年 『その生き方のそばに、京急』

おかげさまで120周年。これからもたくさんの笑顔を乗せて。


逢瀬に向かう車窓から…美月

おはようございます。

青々と晴れた空にはぴかぴかの心が似合うと思います(^-^)

はい、今日は東浪見に向かっているので上機嫌な私です。

引越し荷物もだいぶ落ち着き、あとは細々したものを整理しながら片付けていくところまできています。

ちゃっちゃっとやってしまえば1日で終わってしまうのですが、安堵して疲れが出てきたのか?やる気が出ない。

新居は壁から床まで白なので、毎日、掃除をしないといけないのが難点だけど、思えば、今までも犬の毛が部屋中、散乱していたんだなぁ〜。

まあ、ダンボールから開けなくてもいいものは、このまま開けなくていいのではないかと思っています。

だってぇ〜家を片づける時間があるなら1分でも長く先生に逢いたいしね(^-^)

最近、昔のテレビ漫画を先生とばかうけしながら楽しんでいます。

特に巨人の星、明日のジョーなど、貧しさから栄光、挫折と人生フリーフォールのような作品を好んで観ているのですが、いやぁ〜先生と同じ年で良かったと実感してします。

まあ、誕生日まで一緒となると、偶然と奇跡は微妙な関係にあるけれど、本当のところどちらでも良くて、私はただ先生に出会えた事実に感動しています。

頑張れ飛雄馬…ジョー立て立つんだ!と、子供の頃、心の中で叫んでいた感情を二人連打で爆発させているのですから、見終わった頃には東京ドームのコンサート帰りのような疲労と充実感に満ちています。

まあ、思い出に頼らなくても話題は有り余るほど持っているのですが、これも先生が二人と言う時間の大切さを切々と教えてくれたからです。

近頃の若者は恋人と逢うのにも節度を持っていて、お互いの自由時間を尊重しているようです。

だから物凄く好き好きアピールされるよりも、愛情と自由を惜しみなく与えてくれる母親のような恋人が人気のようですね。

ずっと前のことですが、先生が自由が欲しいと言ったことがあります。

仕事、物書き、家庭、子育て、犬猫の世話、庭の手入れに私…と雁字搦めの状態だったので自由を求めていたのだと思います。

でもね、私はですね…少し愛して、長く愛して…とはいかず、半世紀も生きてきたのだからいつ死んでもおかしくない訳で、人を好きになるのも、美味しいものを食べるのも我慢する猶予のない年齢です。

だから、純愛であれ不倫であれ本気になれない相手と恋愛しているならとっとと止めるべきだと思います。

まして「一人になるのが寂しいから別れられない」と世間の常識のような理由で一緒にいるのは以ての外です。

この人がいいから…。

この人じゃないとダメだから…。

この人しか私は愛せないから…。

唯一無二の存在だと思える人と一緒に居たい…。

そうです、ザコキャラは要らないのです(笑)

だから私は先生のことを愛すれば愛するほど幸せになれるのだと思います(o^^o)

美月

紅殻格子の日記(235) 東浪見の夕暮れ。

紅殻格子の日記(235) 東浪見の夕暮れ。

夕方、美月と一緒に東浪見の海を散歩します。

日が長い夏の夕暮れは私達の幸せな一時かもしれません。

砂浜に突き出した堤防に寝そべって、サーフィンをする若者を応援しながら、
西の空が茜色に染まって行く様に圧倒されてしまいます。

小賢しい人間なんてどうでもいい。

この景気に抱かれたまま死んでしまいたいと願うのです。

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逢瀬に向かう車窓から…美月

激動の8月も終わり、9月に入りました。

先生と仲良くお誕生日を迎え56歳の秋へ突入です。

いやぁ〜55歳はしんどい年でした。

昨年の12月には突然、父が亡くなり、離婚の申し出から家探し、死にものぐるいで頑張った引越し、まるで盆と正月と花見とハロウィンとクリスマスが一緒に来たような感じです。

ホント、息つく暇もないほど次々と選択していかなければならないことが山積みで、少し落ち着いてきたここ数日は頭がぼんやりしています。

所謂、ぼけ〜としてます。

一人では挫けてしまいそうな時も、週末に先生に逢えることが頑張る励みになっていました。

良い時も先生あり、悪い時も先生ありで、先生が居れくれたら後ろ向きな考えを持つことはありません。

もちろん前しか見ないから迷わない、簡単なことです。

まあ、この歳で迷っていたらそれは認知症の始まりかもしれないけどね(^ ^)

もう若くはないけれど、まだ人のお世話にならず何とか働けている。

これだけで十分幸せなことなのに、先生が事あるごとに私を笑わせてくれている。

週末の逢瀬の後は、お互いに撮った写真を送り合って旅の余韻に浸っているのですが、どの写真の中の私も本当に楽しそうです。

自分でも羨ましくなるくらいにね(^-^)

出逢ってから14年、二人の時間を重ねて来ましたが、いやらしいほど「幸せ」という言葉を使い放題できるのも先生のおかげだと思っています。

私は「幸せ」という言葉が大嫌いでした。

自分のことを「幸せ」という奴はもっと嫌いで、ふん、不幸になればいい…と思ったことも何度もありました。

私はやる事は大胆ですが、心の奥に弱虫が眠っているので幸せを知ることが怖かったのかもしれません。

幸せと不幸せは対の物で、片方だけでは成立しないものだと思っていたからかもしれません。

大した幸福を得られなくても、これ以上、不幸にならなければそれでいい。

得たものを失うことは、何も持たないより不幸だと思うからこそ一人を好み他人に心を開こうとしない。

ピエロの仮面を被った人気者はヒーローになれても相棒を持つことなど出来ないんですよね。

先日の先生の記事に、老年カップルの仲睦まじい姿に感動したとありましたが、このお二人を見つけた時、私達の姿もまたお二人になれていたら幸せなことです。

見つめ合うのは皺のない若い人たちの特権であり、中高年ともなればどちらが躓いてもフォロー出来るように、ぴったりの寄り添い同じ方向を見て歩くのが良いと思います。

そう…天皇皇后両陛下のようにね。

私達から欲を取れば歯抜けジジババとなってしまうので死ぬまで意地悪心は捨てないけれど、いつも傍を離れず、しつこいほど張り付いていたいと思っています。

美月

プロフィール

不良老人カップル

Author:不良老人カップル
___________

(♂) 紅殻格子(べんがらごうし)
1962年8月23日生まれ。
某大手企業に勤めながら官能小説を雑誌に発表する兼業作家。ブログ『妄想の座敷牢』を主宰するも、2012年、妻を亡くし、また自身も食道癌に罹り、文筆活動をしばらく停止していた。

(♀) 美月
1962年8月23日生まれ。
3人の子供と夫を持ちながら家業の役員を務める兼業主婦。ブログ『灰になるまで恋を』を主宰。 偏屈な紅殻格子と10年に及ぶ愛人関係を続けられる自身もまた偏屈で変わり者。
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