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逢瀬に向かう車窓から…美月


今日は土曜日出勤だった。

ポカポカとした日差しに、あぁ〜仕事をしているのが勿体ないなぁ〜と思いつつ、あれ?時給で働く身としては、お金が入るのに勿体ないとは不思議だと一人苦笑してしまいました。

今日はスカイラインのリコールもあって、先生は日産に納車してから横浜デートです。

どうしても逢おうとするシツコさに申し訳ないと思うこともあるけれど、定時まで仕事をすると今日は逢えなくなると思ったので、早上がりをお願いして夕暮れ迫る電車に乗っています。

たまには疲れている先生を解放してはあげればいいとは思っているんだけどね。

でもね、心って分割してる部分があるから、愛一つとっても右と左で言うことが違ってしまう。

花占いのように花びらを散らせながら、好き、嫌いと唱えつつ、嫌いで終われば迷信だといい、好きと出れば頬がポッと熱くなるのが恋心。

ズルくたっていいんだよね。

だって独り言なんだからね(^-^)

仕事を急いで終わらせて、先生に逢いに向かった夕暮れの車窓が懐かしい。

窓に映る私の顔が、私の知らない女の顔に見えていた。

今もあの頃のことを思い出すと胸がキュンとする。

先生と出逢えてよかったと、何度、思っても思いたりないほど恋してる、55歳のおばさんがいても世の中面白くていいよね。

昔からね、バカは死ななきゃ治らないらしいから、灰になるまで恋するつもりです。

追伸…バカは死んでも治らないこともあるらしいから
、その時はこの世に蘇り再び先生に恋します(^-^)

美月














紅殻格子の日記(192)  嗚呼、チバニアン。

紅殻格子の日記(192)  嗚呼、チバニアン。

この日曜日、いつものように東浪見からの帰り道、養老川に沿って房総半島の中央を北上していた時のことです。

田淵という集落に、人の群れと臨時バス停ができていました。

普段よく通る道なのですが、今まで住民の姿など一度も見かけたことのないところです。

美月と首を傾げながらしばらくして、そこがチバニアンの発見された崖があることに気づきました。



千葉県市原市にある地層が、地球の歴史で約77万~12万6千年前の時代を代表する標準地に認められる見通しとなった。茨城大学や国立極地研究所などの日本チームとイタリアチームが競っていたが、国際学会の専門部会での投票で日本チームの申請を妥当だとした。ラテン語で「千葉時代」を意味する「チバニアン」と命名されることが濃厚になった。
日本の地名が採用されれば初めて。日本チームは2017年6月、市原市の養老川沿いに露出する、地球の磁場(地磁気)が逆転した痕跡を残す「千葉セクション」という地層を申請していた。日経新聞より。


私と美月は大笑いしました。

その名もない崖がここ一、二カ月で既に観光地化されていたわけです。

森田健作知事の策略か、小湊鉄道の商魂か、この間まで誰も近づかなかった川沿いの崖に人々が列をなしているのです。

しかも並んでいる人々はどう見ても地質学者ではなく、歩こう会で訪れたであろう老人達に他なりません。

だってあるのはただの崖ですよ。

地質学の専門家でもない人が見ても、ただの崖にしか見えないんですよ。

次第にwalking dead、生ける屍を見て背筋が寒くなりました。

おそらく田淵集落に集まった人々は、地磁気の逆転現象さえも知らず、ただテレビでやっていたから行ってみようと思ったのでしょう。

翌日、「私はチバニアンを見てきたわよ」と自慢したいだけのために。

でも「それがどうして騒がれているの?」と聞かれたら、誰も答えることなどできないのではないでしょうか。

日本は豊かになったのですから、少しは精神的な豊かさも求めませんか?

他人から指示されるのではなく、権威に盲従するのではなく、自分が素晴らしいと感じるものを大切にしませんか?

そのチバニアンの近くに、月崎駅と上総大久保駅を結ぶ林道があります。

そこは夏に初めて通った時、青々とした紅葉が延々と植えられていました。

宣伝も何もされていませんが、きっと12月に入ったら綺麗だと思いますよ。





逢瀬に向かう車窓から…美月

寒々しい朝ですが、気持ちは小春日和です。

今日は、先生がサッカー応援をサボってくれたので東浪見に行くことができました。

会社のサッカーチームの試合観戦となると完全に仕事だと思うけれど、先生、嫌味を言われながら断ってくれました。

う〜ん、これでいいのかなぁ(^_^)

週末を東浪見で過ごすようになって三年経ちますが、今でも…ううん、行き始めた頃より穏やかな時間を過ごせています。

TUTAYAで古い映画を繰り返し借りて、旬の食材が出ていると大騒ぎで買い物して、同じ店でお昼ごはんを食べて、大好物の日本酒を買って、生きた水を汲んでいく。

何度も同じことを書いていますが、いつまでも描きたい生活習慣です。

金曜日は浮かれているらしく、会社で名前を知らない人から「いつも元気で楽しそうでいいですね!」と言われることがあります。

年齢を聞かれて55歳というと、30代、40代の自由な立場の方から、年を取る励みになると褒められて今の自分を振り返る。

顔や体型は年齢相応だけど、50代で浮かれてる脳天気ババアは少ないのだろうと思う。

先日、先生とも話したけれど、結婚しない人達が増えているのは、既婚者が結婚の良さを語らないからじゃないかな⁈

「おい、結婚はいいぞぉ〜、お前も早く結婚しろ!」

…と、ニヤリと夫婦生活を回想しながら部下に結婚を促す上司もいなければ、旦那の小自慢、子育ての楽しさを語る主婦も居なくなった。

いつからそうなったのかわからないけれど、昔の方が選択肢が少なかったはずなのに、自由が不幸せを呼ぶとは不思議だよね。

朝のワイドショーで歴史の教科書が変わると言っていた。

街角インタビューでは、好きな偉人が消えることがどうしても納得できない人達が多かったけど、坂本龍馬やマリーアントワネットにしても、継続して好きでいればいいだけのことではないかと思った。

それもね、親戚でもない、まるっきり赤の他人のことで腹を立てたり意見したりできる人は一体何者なのだろうかと思う。

まあ、私の場合も先生の小説に出てくる人物が現実に生きている人となっているから同じことなのかもしれないけどね。

あっ、ここ、嫌味ねっ(^^)

さて、性格の悪さが出たところで、今日も私は元気であることを実感する。

いつか、訳もわからず、世の中全てに感謝しだしたら死期が近いんだろうなぁ〜。

まあ、こんな意地悪カップルとお付き合いしてくれている皆様だからこそ威張っていうけれど…

憎まれっ子世に憚るでいいよねぇ〜( ^ω^ )

美月

紅殻格子の日記(191)  食べログにうんざりする。

紅殻格子の日記(191)  食べログにうんざりする。

世の中にはいろいろと食べ物の蘊蓄を語りたがる馬鹿がいるものです。

食べログなるものの口コミを読んでいると、こいつは阿呆かと思わせるものが実に多い。

先日、実名を出しますが、『銀座 鮨 わたなべ』という店に連れて行ってもらいました。

評価は3.85点ぐらいついているのですが、客を馬鹿にしたような店で腹が立ちました。

その高級店はカウンター9席、個室4席があると書かれていますが、接待なので個室を取ってくれたのが裏目に出ました。

個室と言っても店に備え付けられた荷物置き場みたいに狭いところで、台形に仕切られているので絶対に3人しか入れません。

これは鮨を食べる以前の問題です。

基本的にカウンターしか入らない面積の店舗に無理矢理個室を設えたのでしょう。

これで金を取る店主の根性が気に入らない。

客をカバン扱いして何が名店なのか・・・それと国酒のラインナップが酷い。

絶対に酒の美味さを探究したことがない店主のなせる技でした。

それとコースで食べさせるのなら、お腹一杯食べさせて欲しいね。

量が少ないのが上品だと勘違いしているのか・・・だったらお土産に稲荷ずしなど渡さないで欲しい。

金持ちのつもりかコスパがいいなどと書く奴がいるけど、15,000円も出して帰りにラーメン食べなければならないのはそうなのでしょうかねえ?

まあ、悪口はいくらでも書けるのですが、昨夜、美月と晩飯を食べる店を探していて、御徒町駅近くで『中華珍満』という店を見つけました。

路地裏の汚い中華料理屋に分類される外観ですが、店から漏れる匂いを嗅げば大体味は想像がつきます。

美月と私は顔を見合わせて頷くとすぐに店に入りました。

見た目は昔の日本式中華料理屋ですが、満席の客の顔を見ればかなり期待が持てそうな感じです。

「餃子と焼きそばは売り切れたけどいいですか?」と言われて名物はすぐわかりました。

別に有名な一品を頼まなくても、ラーメンとチャーハンを食べれば、その店のレベルはすぐにわかってしまいます。

食べてみると、昭和40年代どこにてもあった日本人が経営する中華料理屋の味でした。

懐かしいという感じの化学調味料たっぷりのラーメンとチャーハン、否、焼き飯でした。

これはこれでいい。

しかし食べログを帰って見ると、何と評価3.56点、やはり物凄い人気の店でした。

でもね、口コミにチャーハンも美味いと書かれていますが、これは昔何処にでもあったチャーハンです。

決して美味くはなくて懐かしいが正解です。

実際、千葉は久留里にある喜楽飯店には少し負けると思います。

それはどうでもいいんですが、食べログの口コミを書く人は、権威づけなど排除して自分の舌を素直に書いて下さいね。

人がいいと言ったからいいのではありません。

もっともっと悪口を見つけて、いい店にしてあげることが大切なのですよ。

逢瀬に向かう車窓から…美月

昨日は先生が仕事だったので、今日は都会の秋を探しに出かけます。

本当なら今日も仕事だったみたいだけど、今日という日を作ってくれた先生には大変、感謝しています。

でも今日出かけられなくても、私が先生に逢いたいと思っていることを、いつも忘れないでいてくれていることが一番嬉しいことなんだけどね。

それにね、私は先生のことになるとものすごく大袈裟女になるけれど、先生はウザいと思わず(いや、思っていても…)、受け入れてくれている。

飲み会の帰りにメールの返事がなくても、疲れて居眠りしてるだろうと思っていながらも、ホームから落ちたんじゃないか?新幹線で乗り過ごして名古屋にいるんじゃないか?と心の中がザワザワしてしまう。

まあ、普通に考えたら五月蝿いでしょ(汗)

でも、先生は、心配させて悪かったね…と言ってくれるから、いい気になって取り越し苦労を押し付けてしまうんだけどね。

先日、伺った家の御主人が、遺影の中で和かに微笑む奥様について話してくれたけれど、「こんな顔、子供や孫には見せても、俺には見せたこと」がないと言っていた。

「所詮、他人だから仕方ないのだろう」と言うけれど、そうじゃないことに気づけないことを哀れに思った。

笑顔というのは一人で作れるものではないからね。

相手の顔が笑っていないと一人ぼっちで楽しくないよね。

孤独は自分が作る世界なのだと改めて感じた出来事だった。

私は数え切れないほど先生の写真を持っているけれど、写真の中で微笑む先生を見ているだけで幸せな気持ちになる。

でも、どんなに沢山の微笑み写真を持っていても、生の先生の笑顔には敵わないなぁ~。

だから今があることに感謝してる。

先生と出逢えて、今日を愛することに気づけたことが嬉しいなぁ(^_^)

美月

お月見…美月

先生も書いてくれましたが、素晴らしいお月見をすることが出来ました。

灯りの乏しい時代には、月は神のごとし夜を明るく照らしてくれていたのでしょう。

海に出て潮風と波音を浴びながら、水面に浮かぶ月を愛でる。

元々、海洋民族だった日本人、月を信仰することは自然なことと言えるかもしれませんね。

東浪見の宿は全室オーシャンビューになっていて、少し高台に建つ10階のベランダからは水平線まで覗くことができます。

ベランダに椅子を並べて、少し冷たい夜風に当たり月見酒を交わす。

想い出話をしたり、普段、隠れている感情を晒して、泣いたり笑ったり。。。

他愛もない話をしながら、今、この幸福に感謝する。

都会は物があり過ぎて、大切なものまで埋もれてしまう。

月明かりで遠くまで見えないけれど、隣に座る人の心を透かして見せてくれる。

こんなにも心穏やかな夜を過ごせるのも先生のおかげだと感謝してるよ。

海に浮かぶ月のように、私の瞳の中の月も揺れていた。

頑張って来たつもりはないけど、先生が居てくれることが幸せで、幸せを感じると気が緩んで泣けてきちゃう。

いつまでも二人並んでお月見ができるように健康には気を付けようと思う。

だって、こんな素敵な人生、滅多にないもんね(^_-)-☆

美月


紅殻格子の日記(190)  月を観る

紅殻格子の日記(190)  月を観る

11月3日(文化の日)、久々に雨にたたられない休日、しかも三連休で、千葉へ向かうアクアラインも少し渋滞していました。

甲羅干しでもしないと身体に苔が生してきそうな10月でしたからね。

天気と同じで旅行者の顔も晴々していました。

美月と私はいつも通り東浪見へ向かいながら、房総半島の秋を探してあちこちに立ち寄りました。

青空に熟柿が映える山里の秋。

何も渋滞するいろは坂を越えて日光へ行かなくても、こんなに身近に秋を満喫することができるのです。

ただ銀杏は台風の影響で葉が随分落ちてしまっていました。

夜、九十九里浜から上がる月は見事でした。

ずっと穏やかな海の沖合まで一筋の光の道が拓けます。

036.jpg

この画像は昔撮影したものですが、浜辺に立つ鳥居から光の道が続いていくように見えました。

まるで神が上がってくる道のようです。

モーゼが海を割ったというのも、あながち嘘ではないような光景です。

東浪見に上陸した神様は、地元の伝承では記紀の山幸海幸に登場する玉依姫命であり、これが一宮にある玉前神社のご祭神となっています。

リゾートマンションのベランダから美月と月を一時間ぐらい眺めました。

大好きな日本酒を飲みながら、月にまつわる他愛もない話を延々と続けます。

まるで昔の月待ちみたいなもので、夜中まで話は尽きることがありません。

都会ではゆっくりと月を愛でる場所も時間もありませんよね。

ぼんやりと月を見ながら夜長を過ごすなんて贅沢ですよ。


逢瀬に向かう車窓から…美月

スカイブルーの背景に光の反射が眩しい朝です。

今日は東浪見で過ごしま〜す。

もうそろそろ数えきれないほど通っているけれど、通えば通うほど好きになる九十九里です。

うんうん、海はいいねぇ〜(^-^)

先週は台風のせいで先生に逢うことができなかった。

相手が天気であろうと、お前のせいで先生に逢えないのは悔しい‼︎と、灰色に渦巻く空を睨みつけては恨み節を唸らせていた。

付き合い始めて三カ月のカップルではないのだから、少しは大人になれと思うよね。

でも、黄昏時ともなると時間を無駄にはできないんだよね。

本当なら好きなものだらけにしたいところだけど、まだ自分のためだけに働けている訳ではないから社会の矛盾と戦っている。

すると、どうでもいいことでストレスなんかがかかってくるから、不本意でありながら腹を立てたりすることもある。

東浪見で海を見ていると心が空っぽになるからいいんだよね。

偉大なる自然を目の前に人生を見つめ直す人がいるけれど、私は、先生の隣で海を見ている私しか見えていない。

月の砂漠の歌詞ではないけれど、そこに誰の存在もなく、この世で先生と二人だけになれる場所が九十九里なのかもしれない。

今夜は満月で、天候も今のところ良さそうだから、海に浮かぶ月に出逢えるかもしれないなぁ。

何度観ても心が震える感動が月の光に隠れている。

そして泣きたくなるほどの感動も、小さな火種をきっかけに大きく燃え上がるのを待っているのだろうね。

追伸…九十九里の記事を書いて満足している私の周りの殆どの人は、色づく始める鎌倉に向かうらしい。

人生いろいろ、日日是好日です(^^)

美月



過去さえも…美月

先生から温かいお指摘を受けました、わたくしヤキモチ妬きの美月です。

どうして先生のことになると、過去さえ消してしまいたくなるんでしょうね。

もっと言えば、先生の思い出の全てを奪ってしまいたくなる。

信じている、信じていない???

そんなことは一切関係なく、先生の目に止まるもの、手にするもの全てが疎ましい(^-^)

そうです、神の時代から恋する女というのは、天地全能の神ゼウスの妻、ヘラになってしまうのです。

ヘラの仕打ちたるや閻魔様より恐ろしいけれど、ヘラがヘラでいられるのもゼウスの許しがないとできないことでもあるんだよね。

ずっと前にも書いたけど、
男と女性では恋愛に対するスタンスが異なると言われていて「男はフォルダ保存、女は上書き保存」と例えられたりするよね。

だから今一緒にいる人が世界一好きな人であって、昔の恋など思い出し、若かった頃の自分を懐かしく思う…なんてことは一切ない。

少なくても先生と出逢ってからは、過去を振り返る時間が勿体無いし、いつも先生のことを思っているから感情に余白がない。

たまに振り返るのも、先生との思い出ばかりで、なかなか遠い過去に辿り着くことができないし、時系列で並べても文字だけの年表のように白と黒で味気ないなぁ。

今は自由の身になれたけど、こんなにも思いが強過ぎる女を長きにわたり飼い続けてくれている先生の怖いもの知らずには脱帽です。

ヘラのように、いつまでも先生に恋していきたいなぁ。

最後は輝く星になれたらいいけれど、星が駄目なら双身歓喜天のように抱きあったまま石になってしまいたいなぁ(^-^)

歓喜天

追伸…色恋ごとの殆どを許してくれる先生だけど、こんな恥ずかしい姿で石にされるのだけは嫌だそうです(^^;;



プロフィール

不良老人カップル

Author:不良老人カップル
___________

(♂) 紅殻格子(べんがらごうし)
1962年8月23日生まれ。
某大手企業に勤めながら官能小説を雑誌に発表する兼業作家。ブログ『妄想の座敷牢』を主宰するも、2012年、妻を亡くし、また自身も食道癌に罹り、文筆活動をしばらく停止していた。

(♀) 美月
1962年8月23日生まれ。
3人の子供と夫を持ちながら家業の役員を務める兼業主婦。ブログ『灰になるまで恋を』を主宰。 偏屈な紅殻格子と10年に及ぶ愛人関係を続けられる自身もまた偏屈で変わり者。
___________

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