あれから二十年…美月

綾小路きみまろさんの名台詞ではないけれど、ダイアナ元皇太子妃の死から本日8月31日で20年という長い月日が経った。

あの日の衝撃は今も鮮明に覚えている。

ダイアナ妃を巡る幸福と不幸の落差が彼女を悲劇のヒロインとし、光の裏に隠れる影に侵食された人生とは一体どんなものだったのだろうか?と、他人事でありながら、あれこれと想像した記憶が残っている。

当時は子育てに追われる普通の主婦だったけれど(笑)、彼女を不幸にしたチャールズ、そして不倫相手のカミラ夫人に対して、一方的に悪者とする気になれなかったのは何故なのだろうか?

そんなことを今更ながらに思いながら、お昼のワイドショーを見聞きしながら仕事をしていた。

世間では、若く美しいダイアナ妃を捨ててまで、意地悪そうなカミラ夫人に王子たるチャールズが長年に亘り愛を注ぎ続けたのか?疑問だと思う。

カミラ夫人の前夫が「彼女は凄い床上手だ」と発言したけれど、
「君のタンポンになりたい」とチャールズに言わせるほどカミラ夫人は女性として魅力的だったのかなぁ(^^ゞ

まあまあ、床の話となると活字が全面桃色に染まってしまうので少々真面目に考えてみます。

チャールズの顔付きからすると、非常に気難しくて理屈っぽい、それでいて率直で自分に正直な…、所謂、固い人タイプ。

ダイアナ妃は、言いたい事をはっきり言い、行動的で自由を好み、とても人情深い女性だったと思います。

水と油という関係は、若い子同士ならお互いの刺激や成長の糧となるけれど、相手のことを理解はできても許容することはできないよね。

先生が唱える生涯二度結婚説にも言えることですが、熟年ともなると価値観が同じ人でないと一緒には暮らしていけないと思います。

きっと私が思うカミラ夫人というのは、理屈や世間体など関係なく、好きになったら命がけなのだと思う。

チャールズと添い遂げるというのは世界中を敵にまわすようなものだもんね。

それでも彼を守り続けたいと思う彼女の愛が永遠のものであることをチャールズも知っているからこそ、世界一の嫌者夫婦になれたのだと思います(^^♪

ダイアナ妃に憧れる女性が多いと思うけれど、一生に一度くらい、カミラ夫人のような慈愛に満ちた恋をしてみるのもよいかもしれませんね。

えっ?・・・私はダイアナ妃?or それともカミラ夫人?

えへへ、もちろん灰になるまで先生に憑りついて離れませんよ(^_-)-☆

美月

紅殻格子の日記(180)  50,000アクセス達成

紅殻格子の日記(180)  50,000アクセス達成

お陰様で50,000アクセスを達成することができました。

2014年2月から始めて3年半、遅々たるペースではありますが、十数人は毎日訪れてくれる方もあり、こんなものかなと思いつつ大変満足しています。

まあ、正直を言いますと、相互通行のブログであって欲しいですね。

読者の皆様が、炎上するぐらい返信頂ければ有難いところです。

今まで根拠のない返信を潰してきて言えたことではありませんが、私と美月はこうして嘘のないまま現存しています。

決して褒められた人生ではありませんが、13年も一緒に居れば、それなりの修羅場もいろいろと経験してきました。

最近W不倫が世間で問題となっていますが、私は何が悪いのか良くわかりません。

結婚していようがいまいが、人を好きになって何が悪いのでしょうか?

人を好きになれない連中のやっかみだと思います。

くたびれ果てた夫婦なのに、一緒にいなければならない苦痛はお気の毒ですね。

先日も、子供ができない体だとか言って自殺した芸能人の男がいましたね。

そんなことを理由に自殺するのなら、子供のいない夫婦は皆自殺していますよ。

結局、分不相応な結婚をしてしまったため、奥さんに逃げられて、腹いせに自殺した情けない男じゃないんですか?

それも子供ができないなどと、自分の魅力の無さを言い換えて。

全然同情に値しませんよ。

女を幸せに出来ない男なら、黙って一人で暮らしていけばいいじゃないですか。

至らない人間なのですから、女の幸せを願って、迷惑をかけないようにそっと隠棲すればいいじゃないですか。

本当に女々しい男が増えましたね。

こんなことを書いているから返信がないのかなあ・・・

紅殻格子の日記(179)  マイラベル

紅殻格子の日記(179)  マイラベル

日本酒好きと言っても、大体は好みの銘柄を楽しむ程度だと思います。

私の考え方は根本的に違っていて、大好きな蔵元がつくる酒を一生飲み続けるのが究極であろうと思います。

私と美月は、千葉県君津市久留里にある蔵元、藤平酒造にもう3年以上通い続けています。

藤平酒造のホームページから抜粋してご紹介すると・・・

古くから城下町として栄えた千葉県久留里(くるり)の町は、「久留里の名水」が湧き出る地域として知られています。
明治時代に伝わっていた「上総掘り」という井戸堀り技術を使って深さ数百メートルの井戸が掘られ清く湧き出る名水は、昔から現在に至るまで人々の生活の源として欠かす事のできないものになっています。
この名水をもとに福祝は醸されています。(久留里の名水は、平成の名水百選に選ばれました。)

創業は、1716年(享保元年)で、「福祝」の名の由来は、古来からおめでたい行事には必ず清酒が愛飲されてきたことから、七福神の「福」をとりめでたさが重なるという意味で命名されました。
生産石数(一石一升瓶で100本)は約300石酒質は、淡麗の中にも米の旨味が感じられる酒をめざしています。 
近年では、全国新酒鑑評会において金賞7回、入賞2回の栄誉をいただきました。
酒造りは、兄弟3人で仕込んでおりますが、将来的には米造りも自分達で造り一貫手造りの酒ができればと思っております。(後略)


本当に小さな造り酒屋ですが、女将と3人の息子が一所懸命酒造りをしている熱情が大好きです。

私の家の玄関は、藤平酒造で買った酒の空き瓶で埋め尽くされていますし、大好きなあまりTシャツまで購入してしまいました。

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私も美月もしつこい性格なので、一度好きになったら命がけなのかもしれません。

そんなこんなで通い続けていて、先々週、初めて「まとまったロットで注文するから、福祝のマイラベルをつくってくれないかな?」と聞いてみました。

「普通はやらないんですが、良く来て頂いているお客様ですからいいですよ」と快諾して頂きました。

本当に嬉しかったですね。

それは自分のラベルを冠した酒がつくれることより、私達が藤平酒造の日本酒を愛していることをわかっていてくれたと言う喜びです。

さてさて、どんな名前の酒にするか今から楽しみです。

『福祝-愛の三日月』かなあ・・・


逢瀬に向かう車窓から…美月

夏休み最後の日曜日、小さな子供の姿はないけれど、そろそろ痺れを切らした中高年のおじさま、おばさま達が颯爽と都会へと出陣です。

金曜、土曜と先生が仕事で伊豆に出かけていたので、今週は日曜日の逢瀬となりました。

仕事だから仕方ないけど、土曜日の夜を一緒に居られないのは寂しいなぁ~。

人の恋路を邪魔するものは馬に蹴られて死んじまえ!…とまでは言わないけど???、55歳にもなって、尚且つ13年間もお付き合いしていて「寂しいなぁ~」などと言うと地獄の鬼も呆れるだろうと思う。

まあ、本当のことなのだから仕方ないよね。

大人の恋というものは、付かず離れず一定の距離感を保ちながら涼しげな顔で愛を語るものだと想像していた。

でも、事実は小説よりも奇なりとはまさにこのことで、本気で人を好きになるというのは物凄く怖いことなのかもしれないよね。

一途な愛に憧れを抱く人は多いと思うけれど、それは受け取る側の心構えが必要となってくるかもしれないよね。

最近、愛とは…上善水の如しではないかと思う。

あっ、大酒飲みだからと言っても、お酒の名前じゃないからね。

水の流れは大きな物を動かすこともできるし、山を削り岩に穴を開けることもできる。

偉大な力を持ちながら、しなやかであり、その流れに触れても手には何も残らない。

そして命を繋ぐそのものとなる。

私は空気のような存在となるより、先生の「水」となりたいと思う55歳の夏の終わりです。

美月

紅殻格子の日記(178)  55回目の誕生日

紅殻格子の日記(178)  55回目の誕生日

1962年8月23日の生まれなので本日を以って55歳になりました。

子供の頃、55歳のオジサンは既に老人の仲間に見えていましたが、自分が迎えてみると未だに子供時代と変わらない精神年齢だと思いますね。

あの頃大人だったオジサンも、実は女を抱きたくて悶々としていたのかもしれません。

私が新入社員の時に接した部長は実に貫禄がありましたが、今や自分がその立場で若者を指導しているわけです。

若い人達からすれば、相当の気遣いを強いられる怖い人なのでしょう。

そう考えると、年齢を重ねることで周囲からの買い被りが相当あるのだと実感します。

家に帰れば愛猫を抱いて、「ああ、ルナちゃん、今日も可愛いでちゅねえ」と語りかけているオジサンなのですから。

また休日は美月にくわえられて、「ああ、チンチン気持ちいいよぉ」などと悶えているとは夢にも思わないでしょうね。

55歳なんてそんなものですよ。

家内を亡くして5年、癌に罹って5年・・・まあ、美月が傍にいてくれることは大いに感謝しています。

感謝という言葉は不適切ですが、一緒に居てくれて良かったとしみじみ感じます。

二人で13回の誕生日を迎えられて本当に幸せです。

将来を考えるのは野暮ですから、とにかく二人で過ごす一日一日を充実させたい。

13年間メールを休まず続けてきたこと、このブログを綴り続けてきたこと、些細な毎日の出来事が人生の充実なのでしょうね。

当たり前のことですが、話し続けること、意思疎通を常とすること、これが重要なのだと55歳にしてわかりました。

「22歳の別れ」は我々の青春時代に流行った曲ですが、「55歳の出逢い」は日々繰り返していかなければなりませんね。

毎日一緒でも、いつも新鮮であることが大切ですね。

決して馴れ合うことなく、今後も二人の歴史を生中継していきますので宜しくご支援下さい。

美月、誕生日おめでとう。



お誕生日…美月

楽しかった二泊三日の東浪見生活は、あっという間に過ぎてしまった。

本当に、あっ!という間の時間でありながら、振り返れば沢山の笑顔が浮かんでは消えていく。

「幸せ」というのは留まることを知らず、川の流れのように過ぎ去り見るものかもしれないね。

二日目は久しぶりに勝浦へと出かけた。

勝浦は滞在時間は短いけれど、想い出の深く、今のような週末暮らしの原点となった場所です。

「週末くらいのんびり晩酌をしよう!」と先生が提案してくれて、
勝浦ヒルトップというコンドミニアムタイプの宿に泊まったのが始まりです。

ああだ、こうだと言いながら、晩酌の材料を買い出しするところから楽しくて、

二人並んで台所に立った時は・・・

若い娘ではないけれど、なんだか恥ずかしくて・・・、新婚生活初日のように心が弾んだ。

まあ、実際の新婚生活初日は、こんな初心な気持ちになってはいなかったんだけどね。

知らない土地での暮らし、新しい生活への不安、果たしてこの選択で本当によかったのか?

今まで通り都会に働きに出ながら、帰宅時に見る車窓の景色の寂しさに間違った電車に乗ってしまった気持ちになった。

今思うと・・・新たな生活に不安を抱えていたわけではなく、心の迷いに気づかぬように他の言い訳を探していたのかもしれない。

そんな私が42歳で先生と出逢い、世間とは後ろ向きの恋をするようになったにも関わらず、迷いというものが一切なかった。

現生活に疲れて、やけくそになってということではなく、先生と一緒にいられるなら怖いものはないと思った。

唯一の恐怖は、どんな事情であれ、たとえ死であれ、いつか先生と離れなければならない日がくると思うと、布団の中で体を震わせ早く朝になれ!と願った。

まるで幼い頃、両親の死を想像し、声を殺して泣いた日のように怖かった。

それは今でも変わらないし、この先、何年経っても・・・ううん、月日が経つほどに恐怖は深まるのだろうと思う。

先生は私に憑りつかれたと言っているけれど、本当にその通りだと最近は実感している。

人を好きになるというのは、素晴らしく恐ろしいものであることを知れてよかったなぁ・・・。

今、時計の針が12時を指した。

今日は先生と私の55歳の誕生日です。

先生、お誕生日おめでとう・・・そして生まれてきてくれてありがとう・・・。

先生がこの世に生まれて来なかったら、私の今はないと思うと無性に先生が恋しくなる。

「幸せ」という字を遠慮せずに書けるのは、先生が居てくれるからだもんね。

いつまでも・・・いつまでも・・・変わらぬ愛を届け続けたい。

55歳になっても出逢いの感動に心震えています。

美月


逢瀬に向かう車窓から…美月

まだ連休中の方も多いのか、電車内は若者いっぱいです。

本来、外好きの中高年の皆様は、帰省されたお子さん、お孫さんのお世話でお疲れが出る頃だと思いますのでご自愛くださいね。

今週は東浪見で過ごします。

それも今回は二泊三日で夏休みを満喫してきます。

三週間ぶりの帰省ですが、都会暮らしと田舎生活のメリハリがないと、日常もなんとなく引き締まりません。

それにもまして厚い雲に隠れてお日様は顔を出せないし、恋しい月の姿を追うことさえできない毎日が辛い。

月の満ち欠けで今日を数える私の頭の中の暦も灰色に染まり、月の位置さえ読めません。

でも、昨日の人間ドックの結果、先生の身体に異常は見られなかったので一安心です。

本当によかったよかった(o^^o)

平日は腹立たしいこともあるけれど、「まあ、先生が元気ならいいや!」と気持ちを整え腹を納めています。

「いやいや、常に腹は出てるだろうぉ~」と、この文章を読みながら心底反論する先生のことは無視しましょう(^_^;)

あと少し寝ると二人の誕生日です。

毎年、特別なことはしませんが、先生と伴に誕生日を迎えられることが一番のプレゼントだと思っています。

毎日の保険手続きで死亡診断書を見ていますが、誕生日を過ぎて直ぐに亡くなる方が多いんですよね。

ご家族の願いが病人の最後の気力となるのか、みんな揃っての誕生会の思い出が残された人達の慰めとなるように思います。

未来を閉ざされた病人にとって誕生日をクリアすることが、最後の感謝なのかもしれませんね。

誕生日は、誕生日を迎える人が日頃の感謝を近親者に伝える日ではないかと最近思うようになりました。

自己中心的な私がそんなことを思えるようになるのですから、年を取るのも悪くないですね。

親や子供、恋人に愛人にも…

いつも傍にいてくれてありがとう。

支えてくれてありがとう。

…と伝えられたら、また一年、気持ちの良いスタートがきれそうですね。

美月

五年目の夏…美月

先生と出逢ってから色々なことがあった。

楽しいこと、哀しいこと、辛いこともあったけど、一番心臓の鼓動が大きく響いた出来事は先生の食道癌発覚だった。

先生が癌になって最初は落ち込んだし涙も出た。

それも奥様を癌で亡くした矢先の癌宣告だったから、先生の心中を思うと励ましの言葉さえ見つからなかった。

そして長年に亘り、奥様を傍で支え続けた先生の心労が、どれほど大きなものだったか?身をもって示された気がした。

でもね、よく考えてみたら、いつかは誰もが灰になるんだよね。

どちらが早いか遅いか・・・それはね、神のみぞ知るのだろうけれど、だからこそ時間の有効性を高めたいと思っている。

私の母は大勢の予想をあっさり裏切り59歳の若さで亡くなってしまった。

そんな思いから、たとえ不倫関係であっても限られた時間を精一杯愛で埋め尽くしたいと思ったよ。

5年前の夏の終わり…

先生が精密検査を受ける前日、せっかく逢えたのに喧嘩別れしてしまった。

明日の詳細も聞かないまま、黙って先生の背中を見送った小雨交じりの夜だった。

それでも朝、目が覚めると居ても立っても居られず、先生を追い求めラッシュアワーの電車に飛び乗った。

駅から駆け足で病院へと向かった。

…けれど、途中で先生を見つけることはできなかった。

それではと、病院に入ると受付から右回りで院内を探すことにした。

同じ方向に周っていれば、いつか先生にぶつかるだろうと思ったけれど、何処を探しても先生は見つからなかった。

ふと、私の方が先に病院に着いてしまったのかもしれないと気付き、入口近くで人波を数えて先生を待った。

直接、逢えなくてもいいと思った・・・。

でも、一人静かに癌宣告を受ける先生の後ろ姿を想像するだけで私の寿命が縮まるようだった。

病院の玄関に先生の姿を見つけた時は、本当に嬉しかったなぁ〜。

先生は私の顔を見るなり、「バカっ!」と一言いい、自分の持っていた鞄をポンと私に向って投げた。

結局、診察まで四時間ほど待ったけれど、一度も席を離れず、一人で宣告を待つ患者さん達の四時間はもっと長かっただろうと思う。

入院中、先生は病室を天国だと言っていた。

朝からゆっくりと音楽を聴き、大きな窓から街を眺めながら好きな本を静かに読む。

まあね、食事は味気ないものばかりで満足がいかなかっただろうけど、それ以外は優雅な入院生活が送れて本当に良かったと思っている。

でもね・・・「快適だ!」と言いながら、「一人ぼっちは寂しい」という先生を残して帰るのが辛くて泣きそうになった。

まあ、六日間の入院のうちの三日間、朝から入り浸っていたけれど、病院に戻る先生の背中を思い浮かべると今でも泣けてきちゃうくらい先生が愛しい。

明日、先生は人間ドックです。

あれから5年が経ったけれど、何年経ったからといって不安が消えるわけではないんだね。

結局、他人事と自分事は物事の流れは一緒であっても、ただ似ているだけであって等しくはない。

心のような限られた領域であっても、愛する人を思う気持ちは千差万別なのだから、
だからこそオンリーワンの恋物語、灰になるまで描き続けていきたいね(^^♪

美月




紅殻格子の日記(177)  京浜急行

紅殻格子の日記(177)  京浜急行

美月も書いていましたが、私は紛うことなく京急マニアであります。

子供の頃、私は横浜の本牧に住んでおり、母方の祖母が京急の逸見駅に住んでいました。

小学校高学年の頃からは、月に一度は一人で京急に乗って祖母に会いに行きました。

バスで横浜駅まで出てそこから京急に乗るわけですが、これがなかなか素人には大人でも難しい。

快速特急・特急・急行・普通と列車種別があり、上手く乗りこなさないと早く目的地に着けません。

また、今のJRとは違って、電車の型式が様々あって面白いのです。

私が子供の頃、45年ぐらい前には、400形・500形・600形・700形・1000形と、大変バリエーションに富んでいました。

今は、600形・800形・新1000形・1500形・2000形・2100形となるでしょうか、それぞれ車体に特徴があって飽きないですね。

それも4輌編成から12輌編成まで、目茶苦茶な列車運用をするわけです。

駅も優等列車が普通を抜いて時間短縮して走るため、退避線を持つ駅が大変多くなっています。

普通は快速特急に追われて、極端な加速・減速を繰り返すため、ゆっくりと座って寝ることもできません。

語ればきりがないのですが、昔から京急は皆に愛されてきました。

2012年9月、追浜と京急田浦間で崖崩れによる脱線事故が起きました。

マスコミがあれこれ京急叩きを始めたのですが、逆に利用者から「頑張れ京急」と応援する声がたくさんあがりました。

明らかに土砂崩れの復旧を遅らせているのはマスコミ。自分たちは悪くないと思って、必死に京急叩きをしているが、京急ユーザーや近隣住民は、そうは思っていないだろう。それより、現地で復旧作業している人たち頑張って!マスコミは足引っ張るな!

京急線は台風でJRがあっさりと運転を中止する中でギリギリまで徐行しながら運転してくれる、横浜在住の東京勤務者には命綱のような路線。マスコミのバッシングに負けず、今までのスタンスでさらに安全対策をとって完全無敵になってほしいです。

弟が京急再開1本目に乗ったらしい(´・ω・`) 羨ましくてはげる(´;ω;`)大勢の作業員さんが見送ってくれたんだって! 泣けるねぇ゚(゚´Д`゚)゚ 京急再開おめでとう♡

京急の車掌も、代行バスの運転手も、浅草線の車掌も皆お客さんに謝っている。もしかして京急という会社は、直通先の会社にも、系列のバス会社にも、愛されてるんじゃないかなぁ。

今日の朝、京急の車掌さんが #がんばれ京急 のタグを知っていたみたいでその事に対してお礼の言葉をアナウンスで言っていてとても感動しました!

各報道番組は京急沿線民の京急愛を知らなすぎる。 このまま、ワケの分からないトンチンカンなコトを言ってると番組のスポンサーへの不買運動になりかねんぞ?

高校帰り。その日は台風でどうすること出来なかった。やっと来た電車はすべて金沢文庫止まり。これより先に行かない。行けない。そんなとき、駅アナウンス「車庫から空の快特出します。4両ですが運転します。」 今でも忘れない。あの時は心強かったわ。

京急を皆、愛しているんだなあ。

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月と太陽…美月

土曜日は先生の家で少し遅めのお昼ご飯を食べてから、夕方は横浜(吉田町)にあるオーカフェに行ってきました。

先生の家でテレビを観ながら、ビールから始まり焼酎の水割りをへと進むと、酒の肴はどこにいても食べるものに変わりはなく、枝豆とトウモロコシ、冷ややっことフランスパンに噛り付きながら、ああでもない、こうでもないとテレビ番組にいちゃもんを付けながら楽しいブランチでした。

こんな陽だまりのようなひと時に、私は泣きたくなるほど幸せを感じます。

二人ともビールを飲むとお腹がいっぱいになってしまうので、お腹を空かせるため散歩をしながら夕暮れ時を楽しむことにしました。

先生の家の沿線近くに大口駅があります。

大口駅には、世間を騒がせた入院患者が点滴に異物を混入されて殺害された事件の舞台となる大口病院があるのですが、 未だ事件は解決に至っておりません。

でも、苦渋の思いで職員の全員解雇を行い、新体制で地域医療を行っているそうです(^^ゞ

大口病院に対する批判は多分にあると思うけれど、このような病院がないと困る人がいるのも事実なのでしょうね。

大口駅から京急線まで歩いていく途中に商店街があります。

夕食の買い出しのため年老いた買い物客が、店のオヤジやおかみさんと楽しそうに会話している姿が眩しく映ります。

生きた街というのは品揃えが豊富な店舗ばかりが連なって成り立つものではなりません。

今日一日、誰とも話すことがなかった人も、誰かに感謝される瞬間がある。

それが買物の楽しさであり、また、よろしく!との一言が明日への活力となるからこそ、まとめ買いをしない。

そんな日めくりカレンダーのような毎日に幸福を感じている人もいるんですよね。

あっ、ついつい商店街話となると長くになってすみません(^^;)

京急に乗ると、先生が運転手さんの後ろの席に座らせてくれました。

でへへ・・・二人並んで運転手さんの肩越しに線路を追いかけるうちに、お目当ての駅を通過してしまい、結局、終点の新逗子駅まで行ってしまいました。

いつものことですが・・・
時間が許す限り、先生は私が好きなことを楽しませてくれます。

出会って浅い時期であれば、女性を楽しませることを喜びとしてくれる男性もいるかと思いますが、
13年ほど一緒にいる古タヌキに喜びを与えてくれる男は少ないと思います。

まあ、先生を他人と比べること自体、ナンセンスなのですが(古い!?)、
大好きな人に大切にされるのは、女にとって最高の幸福ですよね。

私にはあなたがいると誇らしくみんなに言えるぅ〜・・・♪

懐かしい山口百恵ちゃんの歌詞の抜粋ですが、先生のことを私が私に自慢する時、いつも心の中で唄っています。

オーカフェに着いて、店自慢のカウンターに座りマスターとたわいない会話を交わす、55歳になるカップルが若者達の隣に座り、愛を語る光景は怪談ほどの恐ろしさがあるかもしれませんが、月に一度程度のお付き合いではありますが、都会で過ごす楽しみの一つになっています。

だけどね・・・都会での晩酌時に一番多い話題は、二人揃って東浪見のこと・・・。

東浪見ではねぇ・・・東浪見だったらねっ!と、どれだけ好きなんだと我ながら感心してしまう。

でもね、どんなに素晴らしい景色があっても、先生が居なければ輝くことはないと思っています。

月と太陽のように…先生がいるから私がいるのだからね…。

美月

プロフィール

不良老人カップル

Author:不良老人カップル
___________

(♂) 紅殻格子(べんがらごうし)
1962年8月23日生まれ。
某大手企業に勤めながら官能小説を雑誌に発表する兼業作家。ブログ『妄想の座敷牢』を主宰するも、2012年、妻を亡くし、また自身も食道癌に罹り、文筆活動をしばらく停止していた。

(♀) 美月
1962年8月23日生まれ。
3人の子供と夫を持ちながら家業の役員を務める兼業主婦。ブログ『灰になるまで恋を』を主宰。 偏屈な紅殻格子と10年に及ぶ愛人関係を続けられる自身もまた偏屈で変わり者。
___________

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