逢瀬に向かう車窓から…美月

今週は都会で遊びます。

先生、今週はいつ遊べる?

…と、私が聞くと、先生は苦笑します。

遊べる?って聞くのが可笑しいようですが、実は「遊べる?」という言葉は、先生以外使ったことがありません。

もちろん子供の頃もです。

私は人を誘うのが苦手で、相手のことを思うと時間の拘束ができません。

誘われれば出かけることもありますが、大半は行かなければよかったなぁ~と後悔を背負って帰ります。

別につまらなかったという訳ではないのですが、他人様と一緒にいるのですから、全てがしっくり来るはずもありませんよね。

それがわかっているから出不精になってしまうのでしょうね。

そんな私ですが、先生と出逢ってからというもの、しつこいほど遊びたくて仕方がない。

楽しい時間はあっという間に過ぎてしまい、別れが惜しくて泣きたくなる。

またね!と別れた後にもすぐに、来週は…と未来に期待を抱いてしまう。

幼い頃から早熟な捻くれ者で、物事を透かして見ていたのに、先生の傍にいると子供のように純粋に遊べるのだから不思議です。

先生は茶飲み友達が欲しいと思っていたそうだけど、私は親友が欲しかった。

一度も手に入れたことのないものに意識を向けられるようになったのも、先生との出会いが人生の転機となったからだと思います。

縁というのは本当に不思議なものですね。

縁結びの神に良縁を願う人も多いと思いますが、神様の言う通りが幸福への近道とは限りません。

一度しかない人生をどう輝かせるか?は自分自身が決めること、他人任せにしたらバチが当たりますよね(o^^o)

美月

紅殻格子の日記(173)  『野良猫』 第六章

紅殻格子の日記(173)  『野良猫』 第六章

それは七年前のことになる。

久しぶりに街で再会した中学校の同級生からの誘いを断れず、麻美は週末にセッティングされた合コンに出るはめに陥った。

昔から他人とは群れず、友達など吐き気がするほど嫌いな麻美だったが、高校を中退した自分が正業に就いていることを、少しは自慢したい気持ちがあったのかもしれない。

処女は十五歳の春に捨てた。

相手は碌でもない暴走族の男だった。

グレて男達の家で寝泊まりするようになったが、今で言うバツイチだった母親は、それをいいことに、年甲斐もなく男をボロアパートへ連れ込むようになった。

母親はキャバレーのホステスで、時折麻美が家に戻ると、だらしない下着姿のまま男と酔い潰れていた。

路地裏のあばら家からも追い出された野良猫、それが麻美の少女時代だった。

男達に餌を貰うため、麻美はまだ熟し切らない裸身を差し出した。プライドも抵抗もなかった。

戦後、夫を失った未亡人が生きるために、米兵のオンリーに身を落としたのと変わらない。

それが野良猫の知恵と思った。

だが二十歳の頃、ヤクザな男にソープランドへ身売りされそうになり、初めて軽蔑する母親と同じ穴の狢であることに気づいた。

(本当の野良猫なら・・)

それは自分の力で生きられる力をつけることだった。

麻美は小さな工務店の事務員として働き始めた。

母親から独立して、アパートの部屋を借りて新しい生活を始めた。

帳簿のつけ方も知らなかった麻美は、会社が終わってから自費で簿記学校に通って勉強した。

男関係は一切裁った。初めて学ぶ喜びを麻美は知った。

すると経理の仕事が面白くなり、社長の信頼を少しずつ得られるようになっていった。

(私を信じてくれる人がいる)

それが自堕落だった自分には誇らしく、合コンに参加する勇気を麻美に与えたのかもしれない。

つづく…

贅沢な晩酌…美月

東浪見で過ごす休日は、都会の何倍も充実してる。

晩酌を楽しむ為に何時間もかけ、店を梯子してまで、最高の酒の肴を求めて歩く。

…とはいえ、食材はいつも同じようなものばかりで、野菜中心というより、野菜オンリーに近いなぁ・・・。

今の季節は、枝豆、トウモロコシ(先生と私の大好物)とキュウリにトマト。

ドライ納豆は平日の晩酌のお伴になるし、久留里にある紀平豆腐店の豆腐は、腰のしっかりした、味の濃い昔ながらの豆腐です。

生で食べるより煮て食べた方が大豆の旨みが沁みだす逸品です。

…それと、お気に入りの貝類と好物の「福祝」(日本酒)があれば、いつ死んでもいい、最後の晩餐にも相応しい後悔のない品揃えとなります。

私にとって「晩酌」というのは贅沢な時間であり、他人とは決して分かち合うことのできない安らぎとでもいうのかな!?

晩酌の基盤となっているのは幼い頃の食卓にあるのだけれど、晩酌しながら父と母がテレビを観て楽しそうに会話している横で、結婚というのはこんなにも平和な世界のことをいうのだと思った。

平穏な毎日というのはどの家庭も同じだと思っていたけれど、でもそんなことはないんだよね。

現に私は別居中でもあるし、(最近、そんな意識も薄れているけど…)、潔くない自分を恥じているところもある。

だからこそ結婚はこりごりかといえばそうではなく、失敗して余計に憧れへの執着が強くなったような気がする。

もちろん先生と出逢わなければ、片意地を張って男嫌いを嵩じていただろうけどね。

何度となく観たことのある映画を繰り返し映しながら、改めて気づく感動があることに二人揃って感動したりする。

先週は下品極まりない「トラック野郎」を観ながらホロリときてしまった。

まったくもって「めでたいなぁ〜」と我ながら思うけれど、でもね、そんな時、二人っていいなぁ〜と実感する。

幼い頃、母は私に父の自慢話を毎日してくれた。

毎日見ている、私もよく知っているはずの父なのに、母の話の父は私の知らない人に思えた。

だから、私もいつか母に仕返ししてやろうと思っていたけれど、
天国に行ってから随分と時間が経ってしまったので、私達のことは忘れてしまっただろうなぁ。

でも、寂しくもないし哀しくもないのは、先生を愛すれば愛するほど母が憑いてくるからかな(^^;)

来月で55歳となり、喜びの種は幸福の花が咲かなければ実ることがないと知る。

「知る」ということは=楽しいことだと教えてくれたのは先生ですが、

ホント、その通り…生きている限り知る楽しみを持ち続けたいものですね。

美月

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紅殻格子の日記(172) 津久井やまゆり園事件

紅殻格子の日記(172)  津久井やまゆり園事件

事件から一年が経ちます。

ニュースでも放映されていますが、障害者45人を殺傷した前代未聞の事件です。

何故差別するのか?

ユダヤ人を強制収容所に送り込んだアドルフ・アイヒマンと同様、実に犯人は正論らしい正論を吐きながら、人間の心の闇に入り込んで自己正当化しようとしています。

心の闇は今も晴れません。

事件当初、どうしてテレビ報道で被害者の名前が公表されなかったのか?

今回、黒岩神奈川県知事の弔辞でも、各人のエピソードを添えつつ、故人名を言わず「あなた」と読み上げていました。

差別はいけません。

しかし何故差別や誤解を受けるような対応を障害者の親族は続けるのでしょうか?

勿論、しっかりとマスコミに出て差別意識の撤廃を訴えられる方もいらっしゃいます。

しかし大半の障害者の親は、殺された子供の名前を明かすことなく、静かに時が過ぎるのを待っているように思えて仕方ありません。

同じ人間なのに、どうして名前を隠さなければならないのでしょうか?

それが逆に差別を生む土壌をつくっているのかと不安になります。

差別をしてくれと社会的には言わんばかりの行為じゃありませんか。

それは親御さんや親族の皆さんは辛い思いをしてきたのかもしれませんね。

しかし一個の人間として認めるのなら、しっかりと故人名を報じてその無念を知らしめるべきだと思うのです。

殺された子供の名前も言えないなんて、それ自体が故人を差別していますよ。

それが親の社会的地位を脅かすと言うのであれば、そんなものを怖れること自体が差別意識の表れです。

本当に残念です。




逢瀬に向かう車窓から…美月

夏休みを迎えた子供達に手を引かれ、仕方なく出かける親御さんを尻目に私は優雅なひと時を過ごす。

…といかないのが、朝の行楽列車です。

何処までも南に下れば青い海に着くのだから混み合うのは仕方ないけどね。

でも、子育てを終えた五十女に、週末を待ち焦がれる今があることが嬉しいなぁ。

人の死に寄り添う仕事に慣れてはいけないと、毎朝、車のエンジンをかける時に自分に言って聞かせる。

一人一人の生涯が違うように、亡き人に想いを寄せる気持ちも皆違うからね。

でもね、どんなに素晴らしい人も、少々厄介な人も、最後は死んでしまうんだなぁ~と漠然と見つめてる。

だから、どうしろ、こうしろと昔は考えたけど、最近は春の小川のように心穏やかに暮らしたいと思うんだよね。

腹が立ったり、争ったり、恨んだり、妬んだり、怒ったり、そんな苦行から解放されるには、都会を捨て他人から離れて暮らすしかないのかと考えている。

そんなことを深く考えるようになったのも、ヤマモモのお母さんと出逢えたからかもしれないなぁ。

人生に花を咲かせるといえば桜のように艶やかに咲き潔く散りたいと思ってきたけれど、たとえ名も知らぬ小さな花であっても、夜露に濡れる花弁の美しさを知る人と伴に生き続けたい。

そういえばね…子供の頃の憧れは、シンデレラでも戦隊ヒーローでもなかった。

昔、昔、ある所にオジイさとおばあさんがいました。

…で始まり、最後は…

おじいさんとおばあさんはいつまでも二人仲良く暮らしましたのさ!

…で閉る話に安らぎを覚えた。

もちろん幸福の刷り込みであり、ある意味、宗教的でもあるけれど、そんな平凡な幸せを馬鹿にする子供も居なかった。

みんな、当たり前のように、年を取るほどに幸福に近づくと思っていたのかもしれないね。

五十を過ぎて、こんなにも緩くなれたのは先生が傍に居てくれるからだよね。

あの日、先生と出逢えなければ…。

宝くじで七億当たったとしても、今ほど素敵な人生はないと言える。

それほど先生が好き好き好き…

愛は盲目とはよく言ったものだね(^-^)

美月

暑い暑い…美月

七月も半ばを過ぎると、さすがに暑さも増してくるよね。

毎日、車に乗って仕事をしているけど、炎天下で働く人は本当に大変だと思う。

今日、昔の仕事仲間が汗びっしょりで働く姿を遠くから見た。

あまりに暑くて声をかける気にもならなかったけど、私も二年前まで出来ていたんだけどね・・・。

だけど、今さら肉体労働は出来ないなぁ(^^;)

昔も今も、暑さ、寒さが厳しい折には、先生が心配してくれる。

強風、雷、気候に合わせて、かけられる言葉は違っても、

暑くてヘトヘトになっても、寒さで手が悴んでも、先生の言葉で私は息を吹き返す。

本当にありがたいと思っています。

美月

紅殻格子の日記(171)  夕涼み

紅殻格子の日記(171)  夕涼み

猛暑が続く日中ですが、夕暮れになると少し涼やかな風に変わります。

窓を開けて暮れゆく空を一時間ほど眺めていました。

照明もテレビも消して、ただぼんやりと夜の帳が下りるまで。

考えてみると、ぼんやりと何もせずに過ごすことなどなくなってしまいましたね。

昭和の時代にはエアコンもなかったので、縁台に腰掛けてよく夕涼みをしたものです。

熱いアスファルトに打ち水をすると、独特の夏の匂いが路地裏に広がります。

板塀に這わせた朝顔の蕾が愛らしい。

団扇で煽ぎながら飲む冷たい麦茶は香ばしくて美味しかった。

たまには近所のおばさんが西瓜を切って持ってきてくれたりしたものです。

そんな昔に思いを馳せながら行く雲を目で追っていました。

そんな私を猫が不思議そうな顔でじっと見ています。

贅沢な時間です。

何もしないことが実は最も人生で豊かな行為なのかもしれません。

忙中閑有り。

情報が氾濫する現代社会ですが、休みの日ぐらい何もしない時間をつくりましょう。

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逢瀬に向かう車窓から…美月

連休初日ともなると、若い人達が車内に彩りを添えています。

混み合いながらも、いつもの土曜日より静かに感じるのは、若者の方が車内マナーができているということでしょうかね(^^)

イヤホンから音が漏れて気付かぬ若者を注意する年配者もいますが、どうでもよい話で集団的騒音を出している自分達のことが理解できないのは如何なものかと…???

余談ではありますが、子供達が言うことを聞かない悪い子になりかかると、私は決まって…

よし、グレるならグレてみろ!

そんなことしたら、必ず呆けてやるからなっ!!!

…と、優しく優しく窘めます。

すると、子供達は素直に悪かったことを認め、和解が成立します。

子育てにお悩みの方がいらっしゃいましたら、一度試してみてはいかがでしょうかね(^-^)

さて…今週は大好きな東浪見で過ごします。

先週の日曜日はほおずき市に連れて行ってもらいました。

浅草寺から流れて上野に向かうと、カッパ橋商店街では七夕祭りが開催されていました。

炎天下の中、ビールを飲みながら街を歩くのは危険です。

それでも休日の暑さは自らの意思で試練に立ち向かうため笑顔もでますね。

その後、失われた塩分を先生の肌に吸い付き補助すれば、夜も元気に酒盛りできました。

それも、最近ハマっている串揚げ屋のハシゴをしてしまうのですから、中高年からの子供がえりは大学生のノリより達が悪い⁈

田中屋、串あげでんがな、どちらが美味しかったかというと、チェーン店であっても各店により油の状態なども変わってくるので、「やっぱり、最初に横須賀で食べた串あげが美味しいね!」となりました。

二軒食べ比べておきながら、場外から結論を持ってくるあたり、ホント自由だなぁ〜。

でも、この自由さが私達の絆であり、いざ何かあっても発想の転換さえできれば、everythingオーケーです。

7月も半ばとなり、私の大好きな夏が来ました。

都会遊びも楽しいけれど、せっかくの夏なので、海の家でのんびりビールを飲みながら夕暮れ時を楽しみたいと思っています。

夏の夕陽の美しさを二人で愛でる幸せが、この世への執着であり、生きる喜びでもあります。

えへへ、大袈裟だと思うでしょ…。

でも秋を受け入れるまでの私の心の葛藤を知れば、オレンジ色の夕陽の切なさに先生を重ねては泣きたくなる思いをわかってもらえるかな⁈

いつまでも沈むことなく、傍にいてほしいと思う。

いつまでも、いつの時も…。

美月

紅殻格子の日記(170)  『野良猫』 第五章

紅殻格子の日記(170)  『野良猫』 第五章

麻美が自宅のマンションに着くと、珍しく夫の藤野勇樹が既に帰宅していた。

勇樹は三十七歳、財閥系銀行の本店営業部で上席調査役を務めている。

「遅かったじゃないか」

「うん、昔の女友達と久しぶりに女子会で盛り上がってね。もう夕食は済ませたの?」

「ああ、帰る途中、駅前の立ち食い蕎麦屋で済ませてきた」

「ごめんなさい」

「構わないよ。明日は取引先で資金調達のコンペがあるから、書斎に籠ってプレゼンの練習をしなければならない」

「・・そう」

「お前も疲れただろうから早く寝なさい」

そう言うと勇樹は、自分の寝室兼書斎のドアをバタンと閉めた。

夫婦の関係は冷え切っていた。

過労死しないのが不思議なほど、勇樹の帰宅は毎晩十一時を過ぎていた。
たまに早く帰っても話すのは仕事のことばかりで、今夜のようにテレビも碌に観ず、書斎に籠ってしまうことが多かった。

勿論、休日は得意先のゴルフ接待。

エリート銀行員と一緒になった宿命と言えばそれまでだが、贅沢な生活ができる賃金も立派なマンションも、寂しさの代償としては酷くみすぼらしく思えた。

これで子供でもいれば気も紛れるのだろうが、仕事で疲れているのか最近は寝室を共にすることもない。

(何でこんな男と結婚したのだろう?)

メガバンクのエリートで出世街道を突っ走る勇樹と、工務店の事務員として働いていた麻美とでは、そもそも出逢ってしまったこと自体が不幸だったのかもしれない。

東京大学を卒業した勇樹とグレて高校を中退した麻美との間には、普段道ですれ違っても接触できないように、生い立ちと言う境界がお互いを守っているはずだった。

ところが出逢った刹那、麻美は不幸になることを知りつつ、目に見えぬ深い境界線を愚かにも踏み越えてしまったのだった。

つづく…

縁は異なもの味なもの(後編)…美月

千葉県市原市にある養老渓谷から梅ヶ瀬渓谷に向かう途中に梅ヶ瀬茶屋駐車場がある。

紅葉の頃なら色とりどりの車で賑わう駐車場も、季節外れともなると鳥の囀りが耳元で聞こえるほど長閑な田舎暮らしです。

仕切りのないに駐車場に車を止めて観光案内板を見ながら恒例の写真を撮る。

花とおじさん、キリスト看板、犬のフン禁止板、おもしろネタシリーズと中年カップルでありながら写真を撮る楽しみに事欠かないのは幸せなことだよね。

笑いを一通り写真に収め、いざ出発という時に目の前に赤い実をいっぱいにつけた大きな木を発見。

早速、樹木図鑑で調べてみることにした。

スカイラインには、以前、先生が買って揃えてくれた野鳥、野草、樹木と三種類の図鑑が載せてあります。

でも、似たような植物が沢山あるので、よし、これだ!と確定するまでに至りません。

…なので、見た目と匂いで美味しそうな果実があっても、「食べちゃダメ!」と先生に止められてしまうのですが、やっぱり身をもって経験しないとなかなか覚えられませんね。

「ヤマモモですよ」

「それはヤマモモの原種で、ヤマモモより酸っぱいけど食べられますよ」

駐車場前にある茶屋から、こちらに向かって一人のおばあさんが歩いてきました。

ゴミ捨てに出てところ、私達の声に気付き声をかけてくれたそうです。

おばあさんは、こちらの茶屋にお住まいで、以前はお蕎麦屋さんだったと聞きました。

ご主人は東京で定年まで勤め上げ、三人の子供達を終えてから、この地に住んで30年経ったそうです。

まさに、人生の楽園の実写版ですが、2年前にご主人が亡くなってからは一人でお住まいだと言っていました。

お一人では寂しくないのかな?と思い、お子さん達のことを尋ねると、

春休み、夏休み、お正月ともなると、子供達が孫を連れて泊まりにくるので賑やかですよ…と言っていました。

でもね、人間の数よりイノシシ、シカ、猿の数の方が上回る土地で、おばあさん一人では心細くはないのかと、少々心配になったのですが…。

ヤマモモ原種は、このまま食べると酸っぱいのですが、焼酎に漬けると真っ赤に色付き綺麗なお酒になると教えてくれました。

見知らぬ土地で店を構えた当時は、蕎麦屋というより近所の人の酒場となったそうですが、隣の家まで車なしではいけない場所に、東京から来た夫婦が店を出すなんて珍しかったのでしょうね。

毎日、近所の人が来ては酒を飲んでは賑やかなひと時を過ごしていたそうです。

おじいさんの話をするおばあさんはとても楽しそうで、今でもご主人がすぐ傍にいるような、優しさを感じました。

辺りを見渡せば、人工的に植えられた樹木が季節ごとに楽しめるように並んでいました。

食べられるものから、四季を愛でるもの、それぞれの木、一本一本にたくさんの思い出が詰まっているんでしょうね。

定年過ぎて、終の住処となるこの地に来ることに不安はなかったか?とお聞きしたところ、

おばあさんは躊躇うことなく微笑みました。

なんとなくですが…

その微笑みは、私にではなく、風となりおばあさんに寄り添うおじいさんに向けられたように思いました。

日本昔話ではないけれど、おじいさんとおばあさんが二人仲良く暮らしていただろうことは、おばあさんの陽だまりのような暖かさで感じることができました。

幾つになっても女性が美しくいられるのは愛されている心の豊かさからでしょうね。

ここで前回の記事に書いた怪しい男女が出てくるのですが、一つの出逢いにより人生は大きく変わるものだと思いました。

お互いの存在を大切に思えることがどれほど幸せなことか…

先生と出逢い、人を愛せることの喜びを教えられて、私自身のことも少しわかるようになりました。

私は一人上手ではなかったのかもしれません。

愛する人を失う哀しみ以上の苦しみはないと思いますが、涙が止め処もなく溢れ、死を憎み、この世の無情に心引き裂かれても、春に芽吹き花を咲かせる樹木のように、人もまた強くなれる。

愛があれば、愛さえあれば、再び逢えるその日を怖れず、日々を穏やかに迎えられるのだと思いました。

美月

追伸…

翌日、ヤマモモを貰いに、再びおばあさんの家を訪ねたのですが、おばあさんは居ませんでした。

おばあさんの家の敷地に建てられた案内板には、イノシシ、シカ、猿とともに、にっこり笑うタヌキも描かれていました。

もしかしたら?
あのおばあさんは…⁇

まあ、人間であれタヌキであれ、先生と私には関係ないことなのですが…

だってね、何気ない出来事も感動という真実として作り上げてしまうのは、先生と私のもっとも悪い癖なのですからね(^^)

プロフィール

不良老人カップル

Author:不良老人カップル
___________

(♂) 紅殻格子(べんがらごうし)
1962年8月23日生まれ。
某大手企業に勤めながら官能小説を雑誌に発表する兼業作家。ブログ『妄想の座敷牢』を主宰するも、2012年、妻を亡くし、また自身も食道癌に罹り、文筆活動をしばらく停止していた。

(♀) 美月
1962年8月23日生まれ。
3人の子供と夫を持ちながら家業の役員を務める兼業主婦。ブログ『灰になるまで恋を』を主宰。 偏屈な紅殻格子と10年に及ぶ愛人関係を続けられる自身もまた偏屈で変わり者。
___________

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