毎日、毎日…美月

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逢瀬に向かう車窓から…美月

昨日の悲しい知らせが幻のように電車内は混み合っています。

明日は天気が悪いと早くから予報が出ていたので、空に合わせて出かける人が多いのかもしれない。

昨日の訃報は衝撃的だった。

34歳の若さでお亡くなりになった小林麻央さんの生前の様子は、時折、テレビで観ていたけれど、深く立ち入ることが怖くて…。

先生からもらったメールに彼女のことが書かれていたこともあったけど返事は書かずのままにしていた。

私は愛する人を失う悲しみに触れるのが苦手で、事件でも事故でも見聞きすると、すぐに自分に当てはめて考えてしまう。

見送る人、見送られる人、両者の立場で現実を透かしてみているうちに、まるで自分が体験したかのような錯覚に捕らわれてしまう。

すると、悲しかったり、悔しかったり、やるせなかったり、恨んだり、はたまた相手を殺してしまいたくなるほど憎んでしまうこともある。

そんな自分を発散される場を持たずに生きてきた。

語り合い、分かち合えば救われる心があるとも思えず、人と深く関わることで孤独感が一層増してしまう厄介な性格の為、私は私のことを語ることはなかった。

そんな私も先生と出会えたことで、語り合う喜びを知ることができたし、同時に自分と向き合うことに繋がっていった。

先生の視線が私の目であり、唇から流れる言葉が私の声で聞えてくる。

私を産んだ親より、私が産んだ子供よりも、先生を身の内に感じるのは、私達の魂は一つなのではないかとさえ思う。

だから先生が消えてしまえば、自然と消滅する癌みたいな存在が私なのだと思う。

癌を好む人はなく、怖れられ忌み嫌われる病だけど、先生に取り憑いていることに変わりはないかな。

まあ、いつもながら大袈裟女だというだろうけど、これが至って真面な考えだと思っているところが狂気的だよね。

小林麻央さんのように慈悲深い女性にはなれないけれど、私なりに先生を愛し続けていきたいと思う。

こんなことを願う日々が数え切れないほど続いている。

それが何より幸せなことだと改めて感じてる。

美月

紅殻格子の日記(168)  第三の人生

紅殻格子の日記(168)  第三の人生

人生は、そのライフスタイルから大きく三つに分類できると思います。

一つ目は生まれてから家庭を持つまでの期間、二つ目はそこから子供が自立するまで期間、三つ目はそこから死ぬまでの期間です。

与えられる期間、与える期間、そして生き物としての義務から解き放たれた期間です。

最近は終活期などと話題になっていますが、それは死に方の問題であって、家族や会社と言う社会集団のしがらみが消滅した先の生き方が大切です。

結婚は二度すべきものと私は考えています。

家庭をつくるパートナーと人生を楽しむパートナーは必ずしも一致しません。

勿論、幸せなご夫婦もたくさんいらっしゃると思いますが、その反対も少なくはないでしょうね。

だから子供が成人に達した時点で全員が強制離婚して、三つ目の人生を伴に送る伴侶を選び直したらいいですよね。

別にそのまま一緒にいたいならそれでもいいですが、第三の人生を考える機会を得ることに意味があると思います。

私は『没イチ』(この表現は大変失礼だと思います)・『癌患者』なので、必然的に死ぬまでの生き方を見直さざるを得ませんでした。

そこで美月が登場するのですが、当時は孤独を癒す茶飲み友達が欲しかったわけです。

それが私の目論見でした。

だから逢っても逢わなくても良くて、毎晩メールで話ができれば私としては良かったのです。

しかし今考えれば、性的な接触があるか否かは別として、第三の人生に差しかかってみて、真剣に愛する相手がこの時期にこそ必要なのだと改めて思いました。

自分の人生を本当に楽しむには、それを分かち合える存在が必要なのです。

私は、茶飲み友達と安心していた美月に拉致されて強姦されたようなものですが、それも今考えてみれば良かったのだと自分を慰めています。

最期の人生を共に生きる伴侶、それを選び間違えないようにしましょう。



紅殻格子の日記(167)  『野良猫』 第四章

紅殻格子の日記(167)  『野良猫』 第四章

艶っぽい瞳で麻美に見つめられた男は、青ざめた顔をして頻りに時計を気にした。

「さて、そろそろ帰らないといけないな」

話を早く切り上げたい男は、麻美を無視してあたふたと身支度を整え始めた。

もうこの男は二度と麻美に近づこうとはしないだろう。
もちろん麻美自身がそう仕向けたのだが、器が小鉢ほどの男達への苛立ちが改めてこみ上げてきた。

場末のラブホテル前で別れた麻美は、そそくさと家路へ急ぐ男の後ろ姿を鼻で笑った。

(男なんて皆この程度・・もうつまらない男は懲り懲りだわ)

客引きが屯する歓楽街の通りを折れて、麻美は大きな公園の中を速足で駅へ向かった。

ライトアップされた桜並木が、その淡い花弁を闇夜の空に散らしている。

麻美は歩みを止めた。

蒔絵の図柄にも似た春の切ない風情が、荒んだ麻美の心をゆっくりと蕩かしていく。

(でも・・野良猫だって、いつかはきっと愛するご主人様と巡り合えるわよね)

三十余年待ち焦がれる白馬の王子様を夢想して、麻美は少し強張った表情を緩めた。

桜の名所とうたわれるだけあって、公園の遊歩道には、桜の儚さとは無縁な人々が宴会を催していた。

「おう姐ちゃん、いい女だな。こっちへ来て一緒に呑まないか!」

「いい身体をしているなあ・・一人でこんなところを歩いているようじゃ、今夜は寂しく男旱ってところかな?」

へべれけに酔った中年男達が、コートの裾をはためかして歩く麻美に声をかけてくる。

麻美は再び切れた。

「ふざけんな、一昨日来やがれっ!」

麻美は威勢のいい啖呵を切ると、ヒールの靴で思い切り公園のゴミ箱を蹴りあげた。

(どいつもこいつも・・)

潔い桜の花弁一枚にもなれない男達に、麻美は癇癪を起して駅へと速足で向かった。

つづく…

逢瀬に向かう車窓から…美月

今日はスカイライン点検の為、都会で遊びます。

車がある日、炎天下に猛暑、梅雨のジトジトもあれば稲妻炸裂雷雨と、まあ、どんな時も遊びます。

多少の体調悪さなど出かけているうちに治す覚悟があればこそ、大学生の講義出席率を遥かに超えて会いにいけるところが凄い。

まあ、大人ですから、やる時はやります(^^)

でもね、こうして毎週のように出かける予定があるから健康でいられているのかもしれませんね。

現に先生と喧嘩をすると風邪をひいたり熱を出たりするものですから、心と体の連動性って高いなぁ。

…ということは、先生が消えてしまえば、私は浦島太郎のように枯れ木となってしまうでしょうね。

もちろん、それが本来あるべきの私の姿であり、先生に出会えなければ同じ老女であっても瞳の色に違いが出ていると思います。

そう思うと、病は気からというのもまんざら嘘ではないですね。

ただし頑張り過ぎは良くないので、身の丈にあったやる気スイッチを持ち続けたいものです。

では、今日を楽しく元気よく…水分補給を忘れずに…(^-^)

美月

好きになったら・・・美月

未来を夢見ることが、こんなに幸せなことだと思うことがなかった。

この先の人生を読むことはあっても、それは失敗をすまいとする回避術でしかなかった。

でも、失敗をした。

結婚という制度が不似合いな二人だったのかもしれない。

夫と妻という役割は破綻し、家に着く猫のような「嫁」という立場からも解放されつつある。

「子は鎹」というけれど、子供によって現在の私の立ち位置があり、それが自分の望むベストな形ではないことはわかっている。

それでも「子供なんか居なければいいのに…」と思わずいられるのは、先生の存在があってのことだと思う。

社会的にいけない関係であっても、今を生きる者にとって掛け替えのない選択というものはあるわけで、正義=幸福とは限らない。

そう思ってしまうこと自体、異端児的感性なのかもしれないけれど、

どんな時も「私には先生がいるんだ!」と思うと、大概のことはどうでもいいことにしてしまえる。

なぜなら・・・そこには救いがあるわけで、私はこの感情こそ宗教ではないかと思うんだけどね。

だけどね、殆どの宗教の場合、信者が奉仕をするようなシステムとなっているけれど、私の場合、一から十まで先生のお世話になってしまっている。

少しでも私が先生のお役に立っていることがあるとすれば、それは申し訳ないほど自由の上に成り立つ奉公でしかないと思っている。

だって、先生を見つめる眼差しも、先生に触れる指先も、先生の全てを求める欲情も・・・私の我儘でしかないのだからね。

最近は、借りてきた猫のように大人しい私だけど!?、今でも出逢った日の熱情を抱いているよ。

何かあれば・・・いつでも先生を殺してしまえるほど恋してる。

危険な恋ほど燃えるというけれど、それは嘘、安全な恋などあるわけないでしょ。

もし、あるとしたら・・・それはお行儀のよい社交辞令じゃないのかな?
 
ハイネがいった。

「恋に狂うとは、ことばが重複している。恋とはすでに狂気なのだ」と・・・。

私もそう思う。

好きになったら命がけ・・・だからこそ恋ほど素敵な遊戯はないよね。

美月

東浪見5 

追伸・・・

影法師でも先生の方が足が長い(^^;)

う〜ん、現実以上に足長効果に偏りがあるような気がする(-"-)


紅殻格子の日記(166)  我が愛する東浪見(とらみ)

紅殻格子の日記(166)  我が愛する東浪見(とらみ)

千葉県一宮町は、外房九十九里浜の南端に位置しています。

その一宮町でも最も南端、九十九里浜の終わりに東浪見という地域があります。

千葉県の難読駅名でも東浪見は酒々井(しすい)と並んで有名です。

その東浪見にある釣ヶ崎海岸が、2020年東京オリンピック・パラリンピックの新種目であるサーフィンの会場となることが決まりました。

そのため最近は国際大会も含めてサーフィンの大会が頻繁に催されることになり、私達が常宿にしているグランビューも予約に苦労する次第です。

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先日も東浪見で国際大会がありました。

私はサーフィンに詳しくないのですが、やはり国際大会に出場するサーファーは素人目にも凄いと感じます。

そして男性も女性も、ローマ時代の彫像のように引き締まった身体をしています。

グランビューもこの時ばかりは外国人サーファーで一杯になるのですが、本当に同じ人間とは思えない身体をしており、こちらが恥ずかしくなってしまいます。

でもいいものです。

浜辺の競技会場は多くの見物客で溢れ、皆、観客席に縛られることもなく、海岸のあちこちに陣取って心地よい陽射しを浴びながら競技に見入っていました。

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私はサーファーではありませんが、海はそこにいるだけで人の心を穏やかにしてくれるものです。

老後を海辺の集落、東浪見で過ごしたいと願う気持ちがますます強まっていきます。

ゴールデンレトリバーを再び飼って、夕暮れには美月と東浪見の海岸を散歩するのが夢ですね。

小さな庭がある小さな家を買って、東浪見の海を毎日眺めながら死にたいと思います。

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逢瀬に向かう車窓から…美月

今週末は東浪見で過ごします。

朝、目覚めると太陽が眩しくて、嫌いな朝も明るくなります。

先生と過ごした夏の思い出は沢山あるけれど、東浪見の海岸で夕陽を見ながらビールを飲んでいる時間は、何度繰り返して幸福を感じます。

この幸せがいつまでも続きますように…と願えることがある。

それが一番幸せことではないかなと思うんだよね。

そう思えるのも先生のおかげです(^^)

現役警察官が家族を殺してしまった事件で、ご近所さんが口々に幸せそうな家族だったと言っているのを観て、幸せって人から理解されないものだと思った。

張りぼての幸福を羨む人もいる世の中で、自分自身でさえ幸か不幸かわからないで生きているのかもしれないよね。

幸せは自分の心が決めるものでありながら、他人の視線を気にしてしまうのはどうしてなのだろう?

人は人、わたしはわたし…
もっと自由に幸福を愛せたら、昨日より今日が輝くよね。

皆様にとっても素敵な今日となりますように…

美月

紅殻格子の日記(165)  『野良猫』 第三章

紅殻格子の日記(165)  『野良猫』 第三章

程度の差こそあれ、今までに出逢った男達は麻美にしつこくつきまとった。

昨年、麻美が資産家の老人と一夜を共にした時、若い頃のソフィア・ローレンに似ていると言われた。
後にネットで調べてみると、確かにイタリアの大女優と麻美はどこか似た容貌をしていた。

野生的で彫りの深い顔立ち、逞しいほどのグラマラスな肢体、それでいてどこか男を寄せつけない孤高な表情――そのアンバランスさが男達を惹きつけるのかもしれない。
オードリー・ヘプバーンが愛らしい飼い猫であるならば、ソフィア・ローレンは世に背を向けた野良猫なのだろう。
 
野良猫ならば都合がいい。
屋内に飼い猫がいても、餌を与えてやれば野良猫は庭先で可愛がることができる。

飼い馴らされた猫にはない魅力があるし、その生活に責任をとらなくても許される。
だが一点恐れるべきは、野良猫も馴れ過ぎると家に棲みついてしまうことだろう。

麻美は男に抱きつくと、うっとりとした表情をつくって上目遣いに囁いた。

「ねえ、私と結婚してくれない?」

「け、結婚・・?」

男は目を大きく見開いて、哀れなほどしどろもどろになった。

「だって奥さんとは上手く行ってないんでしょう?」

「い、いや・・しかしね、君だって家庭があるんだし、その、それは、なかなか現実的ではないんだと思うな・・」

大金があろうと地位があろうと、男達は家庭や会社といった安定した根城を脅かす冒険を嫌う。
農耕民は狩猟民の自由に憧れながらも、決して稲作を放棄して深山を空腹で彷徨おうとはしない。

だから男達には、野良猫は野良であることに意味があるのであって、毛並みや血統、性格が重視される飼い猫とは対極の存在に他ならない。

つづく…


逢瀬に向かう車窓から…美月

今日は同じ千葉県でも佐倉市にある国立歴史博物館に出かけてきます。

つい先日のこと、先生が三味線の音色はいいなぁ〜と言っていたので、遠い三味線の記憶から、何故か昔あった見世物小屋に辿り着き、あれこれと調べていくうちに国立歴史博物館にて当時の看板など展示していることを知った。

これこそまさにネットサーフィンだねぇ(^ ^)

先生に伝えたら「面白そうだね、行ってみよう」と快いお返事がもらえたので、本日連れて行ってもらうんだけどね。

東浪見の海は美しい。

横浜の夜はちょい悪気分で面白い。

京浜急行の運転席の後ろに座り、カーブに沿って体を傾けて眺める風景は大〜好き。

そして見知らぬ街を歩くのは、知らないことだらけで楽しいんだよね。

他にももっともっと楽しいことがあって、書き出したらキリがないんだけどね。

その全てに言えることは、先生がいつも傍にいてくれるってこと。

好きな人がいるだけで、こんなに人生が楽しくなるとは思ってもみなかったけど、歳を重ねることで大切なものが鮮明に見えてくるものなんだね。

年を取ると若い頃と違って大きな荷物が持てなくなるのだから、手に持てるものは限られてくる。

だから、しっかりと見極めて必要のない荷は肩から下ろしていかないと体を壊してしまうからね。

気苦労や重たいしがらみから解放されれば、生きる喜びは一層深くなると思う。

この人生に執着が持てるよう、楽しい毎日を見つけていけたら幸せだよね。

美月


プロフィール

不良老人カップル

Author:不良老人カップル
___________

(♂) 紅殻格子(べんがらごうし)
1962年8月23日生まれ。
某大手企業に勤めながら官能小説を雑誌に発表する兼業作家。ブログ『妄想の座敷牢』を主宰するも、2012年、妻を亡くし、また自身も食道癌に罹り、文筆活動をしばらく停止していた。

(♀) 美月
1962年8月23日生まれ。
3人の子供と夫を持ちながら家業の役員を務める兼業主婦。ブログ『灰になるまで恋を』を主宰。 偏屈な紅殻格子と10年に及ぶ愛人関係を続けられる自身もまた偏屈で変わり者。
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