お手本って大事…美月

世間では、最近の若者は…と、嘆く大人(特におじいさん)が多いよね。

でも、そういうことを平気で口にするオジサンというのは、実に面白みのない人間が多いと常日頃から感じている私です。

だけどねぇ・・・昔はかっこいいオジサンっていたんだよね。

まあ、少々道を外れていたりもしたけれど、52歳でこの世を去った先生の叔父さんの話を聞いていると、ホント、先生とよく似ているよ。

海のこと(釣り、食材選び、調理方法など)、子供の頃、叔父さんに色んなことを教わったと何度も聞いたけど、実際にお会いすることができなくて残念なほど魅力的な叔父さんなんだよね。

先生は子供の頃から勉強は沢山したけれど、叔父さんとの想い出の中にいる先生は子供らしく伸び伸びとしている。

今、こうしてちょい悪オヤジ(大悪オヤジ?)でいられるのも、叔父さんの強烈な印象が脳内深く沁みついているからかもしれないね。

えへへ、そうなると叔父さんのおかげで、私は東浪見で美味しい海の幸を食べられているんだなぁ〜(^^♪

最近は、お手本になるようなカッコいい大人が少なくなったね。

恋人と過ごす時間より自分の時間を優先したいと平気でいえるカップルが増えているのも、二人でいる楽しみを実感できていないからかもしれない。

だからこそ、まず大人が若い恋人のお手本となるような熟恋カップルにならないといけないよねっ!、先生っ(*^^)v

よし!!! もっと、もっと、先生のこと、好きになっちゃおうっとヽ(^。^)ノ

美月



48歳の私…美月

楽しい東浪見時間を終えて平常生活に戻ると、世間はクリスマスということですが・・・、
今朝は昨日の湯豆腐(フグ入り)の残り汁で雑炊を作り、贅沢な朝ごはんを食べて帰ってきました。

今年の残すところあとわずか・・・、
次に海を見るのは新たな年を迎えてからでしょうね。

千葉に行くようになって三年以上経ちますが、
今では二週間ほど間が空くと潮風が恋しくなります。

そして・・・先生と出逢って12年が経ちますが、
今でも二週間逢えないと寂しくて恋して切なくなります。

昔、以前書いていたブログ用の下書きをPCの片隅で見つけました。

今日はクリスマスだからね・・・たまには小さなサプライズを大切にしてみようと思い、
48歳の私の気持ちを再び蘇らせようと思います。

でもね・・・お恥ずかしいことですが、今とちっとも変わっていなかった・・・。

先生のことが好きで好きで仕方ないのは、昔も今も同じですね(^^♪

美月


泣きたくなるほど…

一昨日は先生に逢いに行きました・・・だから記事は書けませんでした(笑)

どうして書けないか?と言うと、ただ考えることが先生のことだけになってしまうからです(*^_^*)

それってね・・・考えているのとも違うのかもしれない。

脳内環境が隙間なく先生愛で埋まってしまうから、他のことを考える余地がないんだよね。

逢えた喜び、語りあえる時間の尊さ、交わる深み、そして別れの悲しみ・・・。
ありとあらゆる感情が限りある時間の中で幾重にも交差する。

その感情全てが愛から導かれたものなのだけれど、愛には色んなものが含まれ過ぎていて、消化するに要する体力は愛欲によって使い切ってしまっているから、半分、抜け殻のような私です。 

42歳で出会い、今年で48歳を迎える二人ですが、
私にはどんなに経験を積んでも一つだけ成長出来ないものがある。

それはね、別れの切なさ・・・離れる寂しさ。

何度も何度も繰り返し行ってきたことであっても、
同じ風景の中に生きているのは、常に今ある感情なのだろうと思う。

泣きたくなるほど離れたくない・・・そう思えることは、ちっとも嬉しいことではないんだよ。

確かにこの年齢で、涙が出るほど人を恋しく思えることは、幸せなことなのかもしれない。

でもね、それは人と相対する感情が導くだけのことであって、
幼稚園の頃、初めてお泊り保育で家を空けた日も同じように寂しかったし悲しかった。

明日になったら家に帰れるのがわかっているのに、それでも夜がとても長く思えて眠れなかった。

もし?このまま地震がおきたら、二度と両親には会えないのではないか?
そう思うと、逢いたい人がいる人の方が不幸のような気さえした。

もちろん、私は幼くても独りで生きていける自信はあった(笑)

でもね、私がいることを喜んでもらえる人を失ってしまうのは、とても不幸なことに思えた。

そう思うとね、悪いことしてきたことばかりが浮かんでくるんだよね。

ちょっぴり神様にお願いしてみる・・・。

「私は良い子になるからね、大切なものを奪うのは止めてね・・・」

空が白けだし、朝日が昇ると安堵感で眠くなる。 

家に戻ると「寂しくて眠れなかったんじゃないの?」と母が聞いてきた。

「全然、寂しくなかったよ・・・。広〜い部屋で寝れて気持ちよかったぁ〜」

…と嘘吹くけれど、母にはどこか見透かされいるようで目と目が合うたび罰が悪かった(汗)

でも、今の私は先生と離れるたび、寂しくて悲しいと素直に思う。

嘘吹くことも、強がることもできず、ただ黙って先生を見つめることしかできないほど無力な私。

「今日もありがとう・・・本当に楽しかったよ!」とホントは言いたいの・・・。

でも言葉を一つ発したら、涙も一緒にこぼれてしまいそうだから言えないよ。

私が泣いてしまったら、おどけてくれてる先生に悪いよね。

だから先生が見えなくなるまで少しだけ我慢するけれど、一度、溢れた涙を乾かすのは泣かないよりも難しい。

泣くほどに愛に触れる・・・。

涙の数だけ幸せとは思えないけど、泣きたくなるほど愛しい人に出会えたことで「愛」と言う字が身近になった。

美 月(*^_^*)

逢瀬に向かう車窓から…美月

濃い霧の朝、今年の最後となる東浪見に向かっています。

春のような暖かさに、ホームで電車を待つ人々の顔も綻び、今日一日が全ての人にとって穏やかでありますようにと願っているように見える。

幸せは自分の心の音色によって奏でる曲が違ってくる。

春の長い国の人は歩き方も緩やかだろうなぁ。

そして今日は天皇誕生日ですね。

駅まで歩く間に日の丸の旗を一つ見つけた。

昔は、祝日ともなるとキリスト看板より多く掲げられていた日の丸だけど、お正月のお飾りと同じように少なくなってきたよね。

最近、右寄りの視点で物を見ることが増えてきたからか?横文字のイベントがヤケに鼻に付く。

幼い頃、クリスマスに過大なる期待を抱いてカレンダーを眺めていた。

もういくつ寝るとクリスマス~♪

あといくつ寝たらお正月~♪

まだ捻くれることを覚えていなかった私は、心の中を唄って見せた。

うら若き頃の母が、小唄とお三味線を習っていた影響だったのか? いわゆるどどいつ調で弾む心を伝えて歩いた。

「おいおい、クリスマスなんてキリスト教でもないのに浮かれてどうするんだ」

商店街の街の大人は口々に言った。

寅さんの台詞ではないけれど、一般の庶民が喜ぶ時は商売人の稼ぎ時なのである。

だから働けと…(^^;;

それからというもの外来種のイベントが嫌いで、妙にテンション上げて浮かれている奴を見ると無性に腹が立つ(笑)

それも幼い頃のトラウマかもしれないよね。

先日のニュースで天皇陛下がお風邪をめされていると聞いた。

日々、公務に追われ、自愛に欠けての生活から解放されても良いお年であると思う。

天皇陛下が天皇である限り、皇后さまは皇后なのだから大変だと思うんだよ。

だって、長い間、働き尽くしだもんね。

私の希望は、いつかは専業主婦なのだけど、そう言うとね…働けるうちが幸せよ!と山びこが木霊する。

確かにそうかもしれないよね。

でもね、そんなこと人に言われて認めたくはない。

自分の心は自分で決める…幸せも不幸せも自分で作るものだからね。

美月

紅殻格子の日記(140)  二十三夜待ち 第21章

紅殻格子の日記(140)  二十三夜待ち 第21章

その半年後、四年間続いた太平洋戦争は敗戦を迎え、マッカーサー司令官が厚木に降り立った時、この国は羞恥心の欠片もないほど変節してしまった。

それは山奥に位置する月海集落とて例外ではなかった。

名主だった睦沢家は農地解放によって没落し、和馬と千代との間にできた娘は、月海集落を離れて東京へ転居したと聞く。

睦沢家も華族も、巨大な財閥にしても、別に悪いことをしたわけではない。

ただ、あの八月十五日を境に時代が変わっただけなのだ。

だが人の心根は変わらない。

「南無、二十三夜様」

「南無、二十三夜俗諦勢至菩薩」

暗い灰色の時代、二十三夜に集う女達が深夜密かに祈ったのは、決して日本が戦争に勝つことではなく、亭主や子供、そして家族が幸せに暮らせることだった。

ほんのり薄紅をさした女心。

女達が解放される夜。

未通娘だった小鶴にはわからなかったが、夜も更けると、若い女達は村の男衆の噂話に花を咲かせ、女房衆は夫との閨を自慢し合って騒いだのではないか。

夫を戦地へ送った女房は、その無事をただただ月に祈っていたのではないか。

戦時下にあっても、人を愛する心は変わらない。

だが小鶴が寛三に抱かれたのは、千代の後押しがあったからだけではなく、昭和三十一年という自由が許される時代だったことも無縁ではなかろう。

小鶴は谷上正一に離縁を告げた。

あれほど小鶴を邪魔者扱いしていた谷上家だったが、労働力を失うことを恐れて掌を返したように遺留した。

「私は家畜じゃありません」

そう吐き捨てて、小鶴は家を飛び出して寛三のアパートへ転がり込んだ。

つづく…



逢瀬に向かう車窓から…美月

北風も本番となり師走も半ばとなりました。

この一年を振り返るのは少々早いかな⁈

今日の予定は、まず先生の家に行って悪チビルナちゃんの成長ぶりを見てから、横浜に出て都会ならではの年の瀬風景を楽しみたいと思っています。

まだ朝の9時ですが、電車内は混み合っています。

車内の服装から推測すると、遠くに出かけるというよりは近場でショッピングを楽しむ人が多いのかな?

まあ、この時期の休日を自分の為に使える人は、私も含めて幸せ者だよね。

今週は自ら刃物を振るい、寿命を落とさずにいられなかった方のお宅にお手続きに行ってきた。

それも一週間のうちの三軒ともなると、日頃、無心の私も少々心が揺らいでしまう。

普段、7名で訪問活動をしているのだけど、なぜか私に自殺者宅が当たる率が高いのは…気のせいだと思いたいね(^^;;

家の台所、先祖の墓の前、リビング…テレビドラマでは風呂場に水を張り手首を切るシーンが王道だけど、この仕事を始めて10ヶ月経つけれど一度もなかった。

不思議なことに、三軒とも午前11時台というのは何か意味があるのかなぁ?

ご主人を亡くされたご家族は、都内近郊の駅前で喫茶店を経営していた。

開店より40年、客足は昔に比べたら減ったと言っていたが、元気なご年配の男女達が仲良く会話を楽しんでいた。

店と客、お客様同士が仲睦まじく過ごせる場所となるようにと、店の名前はハーモニーご主人が名付けたと奥様に聞きました。

素敵なご主人さまですね!と一言伝えると、黒髪に色白で真っ赤な口紅が知性を強調するお顔だちの澄んだ瞳から、一筋の涙がまっすぐに頬を伝って手の甲に落ちた。

ご主人がご家族に残してくれたものは大きい。

でも、優しさや思いやりが大きければ大きいほど、なぜ愛する人を救えなかったのだろうかと自分を責めてしまう。

心の病というのは他の病と違って死を受け入れるまでの時間がかかるけれど、決して癒されることはないのだと思う。

私も先生に出逢えなければ、心を壊していたかもしれない。

この仕事ができるのも先生のおかげで、痛みに耐えられる心のメンテナンスが出来たからだと毎日思って死と向き合っている。

そして、いつか誰もが失う命だからこそ、日々、大切にしていこうと思っています。

今日という日は自分の為にあるように、明日という日を穏やかに迎えられるように、命ある今に感謝しようね。

美月




紅殻格子の日記(139)  悪魔ネコ

紅殻格子の日記(139)  悪魔ネコ

ルナを拾ったことを皆様にご報告してからもう二ヶ月が経つのですねえ。

お陰様で両足の折れた痩せっぽちのネコは元気に暮らしています。

子供に聞いたのですが、今日お隣に住む老夫婦の奥様が我が家へ訪ねてきたそうです。

「窓のところに新しいネコがいるのを見たんだけど・・・」

どうやらルナが窓際で昼寝をしているのを庭の外から見つけて、飼いネコが増えたのかを確認に来たようでした。

私はもう一匹ニャンピと言う白ネコを昔拾ってきて、この地で12年飼っています。

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ニャンピは家の外にも出しているのですが、お隣さんは動物好きらしく大変可愛がってくれています。

どうやらルナをいつ家から出すのか気になるようでした。

まあ、近所の人もネコ好きばかりではないので、ルナはこれからも家ネコとして飼うつもりなのですが、
日頃からそこまで我が家を監視しているのかと驚きました。

でもルナは器量良しですから、無理もないことかもしれませんね。

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ずいぶん大きくなって可愛くなってきました。

でも基本的には悪戯好きな悪魔ネコですから、これからも厳しく躾けていこうと思っています。

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豆腐の美味しさ…美月

お豆腐の美味しさ

東浪見での夕食に湯豆腐を食べた。

久留里の水と昆布で出汁を取り、久留里の名水で作られた豆腐を優しく湯出る。

付け汁は、冬の野菜の王様ネギを細かく刻んで、上品なかつお節と特選醤油に付け込み美味しくなるのを待ちながら、煮立った鍋にタラを静かに寝かせて一煮立ちさせる。

そして、これまた久留里の名水仕込みの日本酒をちびりちびり飲みながら、熱々の豆腐を二人仲良く並んで頬張る。

完璧なまでの美味しさが食レポの煩わしさを忘れさせてくれる。

大豆の甘みが出ているねぇ~などと恥かしい表現は使わず、ただただ…美味しいね!とインコのように繰り返すばかりで、あっと言う間に大きめの豆腐二丁をペロリと平らげでしまった。

豆腐の美味しさに感動があるとは…今まで気づかなかったけど、先生も同じように思っていたみたい。

夜のメールには…

人間なんて不用意に生きている。

もっと日頃から豆腐に関して気を配らなかったのか?

豆腐ひとつでこれだけ感動があるのなら、きっと世の中は感動だらけなんだろう。

昨日、お前を迎えに行く時にラジオの寄席番組で「母心」という漫才師を知った。

歌舞伎漫才というのをやるのだが、実にこれが面白かった。

ネタとかではなく、人の声というのは心の琴線に触れてくるものだと感心した。

何も知らないことばかりだ。

だからこれからも一生探し続けるんだろうね。

退屈な人生などあるはずもないなあ。

…と、豆腐への熱い思いから人生論へと転じるところが先生の素晴らしいところだよね。

先生は不真面目なことも手を抜かず、生きる活力へと変えてしまう。

本当に頭の良い人というのは、計り知れない面白さを持っているよね。

星の数ほど男はいるというけれど、キラキラ光る一番星は一つだけ、私の心をいつも明るく照らしてくれているよ。

美月


逢瀬に向かう車窓から…美月

師走も中程に差し掛かる土曜日、9時前にも関わらず、都会に向かう車内は大変混み合っています。

昔なら主婦が年末に出かけるなど以ての外だったけど、今は年の瀬も新年も花見も月見も一緒くたになっていて節目や区切りがわかりにくい。

最近ではバレンタインデー、ハロウィン、クリスマス等、外来種によって日本のカレンダーが賑わっているから色使いの少ない行事は人気ないよね。

この時期ともなると、正月の餅も買えないといって身に迫る思いで働いた人達は今は居ないんだろうなぁ。

そもそもお餅買う人も少なくなったし、お雑煮を三日続けて食べられる古風な家もなくなったもんね。

子供の頃は家が商売をしていたから大晦日まで働いていた。

夜も八時を過ぎる頃、父と二人で店のシャッターを洗い仕事納めとなったけど、今でもあの日の光景を思い出すと、手は悴み、体の芯が冷えてきて肩の辺りがガチガチに強張る。

私は冬が嫌いだけど、特別冷え性でもなく、むしろ体感的には寒さに強い方だと思う。

それでも寒さが苦手なのは、北風に吹かれ商店街の隙間から見上げた月の澄み切った輝きに、闇に隠した心の内まで透けてしまう気がして怖かったからかもしれないなぁ。

今でもクリスマスイルミネーションを見ると、悔しさと寂しさと優しさがごちゃごちゃに絡まって、鬱っとした気分になる時がある。

年の瀬も迫ると昔もクリスマスがやってきた。

ある年のこと「ほんの少しでいいので、お金を貸してもらえませんか」と泣いて縋った近所のおばさんは、もうとっくの昔に死んでいるけれど、おばさんの子供達もきっとクリスマスは嫌いだろうと思う。

父は黙ってお金を貸してあげた。

おばさんはすぐにうちの店の隣のお菓子屋に行き、クリスマス恒例のお菓子入りのブーツの中から真ん中のサイズを二つ買って帰った。

私が貰うだろうブーツと同じ大きさだった。

きっと残りのお金で売れ残りのバタークリーム仕立てのケーキを買い、ケーキのおまけの子供用シャンパンを抱えて、急いで家に帰ったのだろうと思う。

「こうしてみんな揃ってクリスマスが迎えられて幸せね!」

母が父にビールを注ぎながら毎年同じ台詞を語り、テーブルにいっぱいに並べられたご馳走を弟達と喧嘩しながら食べた。

ちなみにテーブルは炬燵だったのでご馳走がいっぱいあるように見えたけど、4面のうちの一面には小さなクリスマスツリーとケーキが置かれてしまっていたので、五人家族の晩餐は穏やかにお祈りなどできる状況ではなかった。

私は小汚いクリスマスツリーを炬燵から下ろして欲しかった。

でも九つ離れた弟が「〇〇ちゃん、綺麗だね、綺麗だね」と何度も繰り返し言うものだから、この日だけは捻くれず弟を思って我慢した。

子供シャンパンの泡がチカチカ光る三色に色付いていた。

私は一口飲んでクリスマスケーキと一緒に弟達に分けてあげた。

両親は私のことを家族思いの優しい子だと思ってくれていたけれど、実はね、私は今も炭酸が苦手でバタークリームのケーキを食べると二、三日、大好きな白ごはんが食べられないほど胃がむかついたから譲ってあげただけなんだけどね。

でもね、両親の優しさの前に正直な気持ちは言えなかった。

嘘も方便というけれど、私は今でも優しさを怖いと思う時がある。

優しさと怖さは、親の心と同じなんだね。

美月





オチない話…美月

いつもより駅のホームが空いているような気がするけど、今日辺り忘年会も多いのかな?

先生も飲み会だといっていたけど、お酒を飲む機会が増える12月はスケジュール管理するだけで気持ちが逸るね。

来年の話をすると鬼が笑うというけれど、予測不能の未来を語っても意味がないかといえば、そんなことはないと思うんだけどね。

昔ならそれでよかったのかもしれない。

でも、ゆとりのない世代育ちの私としては、そんな呑気なことで現代社会は生きられないと思う。

さて、では何から始めましょうか?

まずは昔話で脳を活性化させるといいかもしれないよね(^.^)

美月

紅殻格子の日記(138)…また師走

紅殻格子の日記(138)  また師走

本当に一年は速いものです。

と言う人は、如何に一年の中身がスカスカだったかを反省すべきですね。

悲しいかな人間は忘れる生き物ですから、あっと言う間に一年など一週間ぐらいに縮んでしまいます。

だから書き残さなくてはいけない。

私の父も母も手帳や家計簿に日々の出来事を綴っていました。

その効果のほどは疫学調査を待たねばなりませんが、亡くなるまで決して呆けることはありませんでした。

私も日々を書き残すようになった丸三年になります。

大した文字数ではありませんが、二つだけ守っていることがあります。

一つは手書きにすることです。

やはり漢字を書くことは、埋もれかけた記憶を呼び戻す大切な訓練になりますよ。

記憶もオチンチンも使わないことが衰退させる原因です。

過度ではなく、過度ではなく、何も二度書かなくてもいいんですが、適度な継続が機能を長持ちさせるのだと思います。

もう一つは、その日の出来事を二三日置いてから書くことです。

これが辛いんですよ。

二三日経つと、昼飯で何を食べたか思い出すのに苦労します。

記憶を辿る作業は老いるほどに重労働となり、そこから逃避しようと言う気持ちが強くなっていきます。

思い出すコツは関連性をもたせることだと思います。

正攻法で朝からの出来事を時間で辿って行く場合もありますし、共に食べた人の顔から思い浮かべる場合もあるでしょう。

でも二三日前の記憶を辿ってみて、もし辿らなければどれほどの時間を忘れてしまうのかぞっとしますね。

手帳に何の行事もない日は、全く一日何をしたかわからなくなっていることもあります。

本当に恐ろしいです。

でも気負って日記帳など買ってはいけませんよ。

手帳の片隅にメモするぐらいが続けるのにちょうど良いのです。



プロフィール

不良老人カップル

Author:不良老人カップル
___________

(♂) 紅殻格子(べんがらごうし)
1962年8月23日生まれ。
某大手企業に勤めながら官能小説を雑誌に発表する兼業作家。ブログ『妄想の座敷牢』を主宰するも、2012年、妻を亡くし、また自身も食道癌に罹り、文筆活動をしばらく停止していた。

(♀) 美月
1962年8月23日生まれ。
3人の子供と夫を持ちながら家業の役員を務める兼業主婦。ブログ『灰になるまで恋を』を主宰。 偏屈な紅殻格子と10年に及ぶ愛人関係を続けられる自身もまた偏屈で変わり者。
___________

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