紅殻格子の日記(133)  来年の年賀状

紅殻格子の日記(133)  来年の年賀状

皆さん、一年は速いですね。

そろそろ来年の年賀状を考える時節がやってきました。

私は凝り性なので、年賀状のデザインや文言を毎年かなり作り込みしています。

今年は、美月と行った会津熱塩温泉近くの三ノ倉スキー場の向日葵畑にしようと思っていました。


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偶然出逢った鮮やかな色彩の丘に、西方浄土へ迷い込んだかと錯覚せんばかりの感動を貰いました。

ところが今年最大の出来事は突然その後にやってきました。

やはりルナを拾ったことでしょう。

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お陰様ですっかり元気になり、否、元気になり過ぎて、暴れん坊と息子に呼ばれるほど家の中を荒らし回っています。

階段を昇って二階の部屋まで縄張りを広げていますし、今日などは庭へ逃げ出して捕まえるのに30分もかかったほどです。

まあ、相当に家の修理費はかさむものの、元気になってくれたのは大変有難いと思っています。

さてルナのことを年賀状にどう書きましょうかね・・

『昨年十月、民家もない房総の山中を抜ける県道の脇で生後二か月の子猫を拾いました。浮き出した肋骨が痛々しいほど痩せこけ、車に轢かれたのか後脚が醜くねじれ、歩くこともできずに枯葉に埋もれていたのを車中から偶然見つけたのです。見て見ぬふりもできず家へ連れて帰り、月が美しい夜だったのでルナと名づけました。お陰様で今ではすっかり元気になり、家の家具や壁で爪を研ぐ暴れ者に豹変しています。
両親は既になく、妻を亡くし、後数年で子供も巣立つ時に出逢った新たな命です。自身、大病を患って生には執着がありませんが、猫の寿命からすると、十五年は生き続けて面倒を看ろと言う天啓なのかもしれません。赤子のように甘えるルナとともに、今年も宜しく皆様のご支援を賜りますようお願い申し上げます』

こんな感じですかねえ・・・

紅殻格子の日記(132)  二十三夜待ち 第18章

紅殻格子の日記(132)  二十三夜待ち 第18章

戸籍上の夫はいるが、子供を身籠ったことのない二十五歳の成熟した女である。

行商と農作業で鍛えた薄い褐色の体は、女豹のようなしなやかさを保っていた。

透けた肋骨を守るようにくっきりと迫り出した乳房は、硬く蕾んだ少女の張りと、触れなば融け出す年増の柔餡を兼ね備えている。

そして凛と起った乳首は、まだ十九歳の青年に男の覚悟を強いるように、その尖った銃口を容赦なく向けて脅していた。

「抱いて」

重い足枷を解いた瞬間、暴発した若い男の性は、跳びかからんばかりに小鶴をけば立った畳へ押し倒した。

「好きだ・・好きなんだ・・」

まるで大型犬に圧し掛かられているかのように、寛三は荒い呼吸を繰り返しながら小鶴の体を痛いほど抱き締めた。

「いつかこうなることを・・私も求めていたのかもしれない」

初めて受ける男の熱情に、小鶴も恥ずかしいほど陰部が熱くたぎるのを感じていた。

「小鶴さん」

寛三は乳房に顔を埋めて遮二無二乳首を吸った。

千切れんばかりに乳首を吸う男の直向きさが、またいっそう小鶴の女を燃え上がらせていく。

「あっ、寛三さん・・気持ちいい・・」

寛三の舌先が執拗に乳首を捉えるたび、小鶴は小さく喘いで上半身を震わせる。

寛三は性急に小鶴の両脚を開くと、既に濡れそぼっている陰部に顔を埋めた。

「あっ、そこは・・ダメよ・・頭がおかしくなっちゃう・・」

初めて男に陰部を晒して肉裂を舐め上げられた小鶴は、その経験したことがない強い快楽に身を捩った。

羞恥に両脚を閉じて逃げ出したいが、寛三の逞しい腕で剝き身のように拡げられている。

つづく…


巡り逢えてよかった…美月

一週間ぶりに逢ったルナちゃんは、同じ子だとは思えないほど元気になっていたよ。

引きずっていた左足の痛々しさも薄れ、自由に動けるのが嬉しいのか?弾むように楽しそうに歩いていた。

先生の家ですくすくと育つルナちゃんに逢えて、改めて先生の優しさに感謝してる。

私もルナちゃんと同じで、先生に拾われなかったら、今頃、心が荒んでいただろうとはっきり思える。

今回のことで、しみじみ出会いの大切さを感じている。

先生・・・心の底から大好きです。

美月

一触即発 


あなたにめぐり逢えて ほんとうによかった 

生きていてよかった 生かされてきてよかった 

あなたにめぐり逢えたから

つまづいてもいい ころんでもいい 

これから先 どんなことがあってもいい 

あなたにめぐり逢えたから

ひとりでもいい こころから そういって くれる人が あれば

- 相田みつを -


逢瀬に向かう車窓から…美月

今日はルナちゃんに逢いに先生のお家に行きます。

この一週間は本当に先生にお世話になりっぱなしでした。

猫の子とはいえ、離れていても心配で、ルナちゃんと結びつきのあるものが目に止まるたび、今頃どうしているだろうか?元気にしているだろうか?と、泣く泣く我が子と離れ離れに暮らさなくてはならない母のように、そばにいて見守ることのできない辛さを感じています。

まあ、いつもながらの大袈裟だけど、命短き者が最後の瞬間、赤々と高く炎を舞いあげかと思うと静かに深く燃え尽きることがあると聞いている。

ろうそくを人生に見立てて計るのも理解できるよね。

寿命というのは生れた時から決まっているのかもしれない。

でも運命は変えられると信じてる。

この世には何もしなければ始まらない物語が沢山ある。

自分の本棚に並べられた物語の数だけ思い出が詰まってる。

良いこと悪いこともあるけれど、いつも初めの一歩となれる今日があることに感謝できたら幸せだよね。

美月





助かる命と落とされる命…美月

ルナちゃんを保護した翌日、同じ道を通って帰った。

もしかしたら第二第三のルナちゃんが命からがら山から下りてきてるかもしれないと思ったからです。

誰も居ないことに安心し早めに帰路へと付いたけれど、この日はいつもと何かが違っているように感じた。

人里離れた場所であっても、たまには車に轢かれてしまった哀れな生き物の死骸を見つけることがある。

だけど一日に何度も見送ることはなく、確率的には低い不幸だと思っていた。

小さな生き物だったのだろうか?

いつも以上に儚い命の終わりに心痛むのは、車の後部座席で眠るルナちゃんと比べてしまうからかもしれない。

やるせない気持ちを抱えながらも車は山を下り村のふもとへと進んで行く・・・。

そこで突然、三頭のイノシシの兄弟が県道脇に出現したのだから吃驚したなぁ。

見えているのに幻ではないかと思いたい衝動に駆られた為、イノシシから300メートルほどしか離れていない場所にいた農家のおばあさんにイノシシの存在を知らせることができなかった。

普段の私なら先生に車を停めてもらって、おばあさんに危険を知らせただろうと思う。

テレビ等でイノシシに襲われた話など見聞きするたび、自分達も気を付けないといけないと思っているからね。

でもね、人間に存在を知らせてしまえば、まだ幼き三兄弟がバラバラになってしまうかもしれないと思うと辛くてね・・・。

こんな時、親心が出てしまうなんて思いも寄らなかったけど、私にも三人の子供がいるので、この子たちの一人でも欠けてしまったら残った兄弟はどんなに辛いだろうと馬鹿馬鹿しいことを思ってしまったんだよね。

動物と人間は生き方が違うとわかっていても、瞬間的に命の全ては平等であるべきだと思ってしまった。

千葉の山を走っていると、鳥獣被害が身近にあることはわかっている。

それでも同じ命を持つ者同士・・・生まれが違えば命長らえただろうかと考えると切ない思いはぬぐえない。

美月


紅殻格子の日記(131)  ルナの続き

紅殻格子の日記(131)  ルナの続き

会社を休んで月曜日にルナを近所の獣医に連れて行きました。

レントゲンを撮った結果、左右の後ろ脚が二箇所ずつ骨折しており、かなりずれてしまっていると言われました。

車に撥ねられたのではないかと呑気な獣医は言いますが、内臓は無事な上に、綺麗に左右の後脚が同じ位置で折れているのは人為的だと私は感じました。

真実はルナにしかわかりません。

しかしルナは一生この後遺症と伴に生きることを強いられるのです。

もう一つ、厭なことを考えてしまいます。

ルナを見つけた夜、彼女は排便したのです。

今、サイクルを見ていると、ちょうど一日に一度排便することがわかりました。

であればルナを私達が見つける前、誰かにエサを与えられていたのではないでしょうか?

民家が無い山中の県道脇です。

車の運転手が見つけてエサを与えたかもしれません。

可哀想に思ったのかもしれませんが、その人は中途半端な偽善をしただけで見捨てたのでしょう。

今日この話を会社ですると、「〇〇さんは優しい人ですね」、私だったら死ぬかもしれないネコは拾って帰れないと皆言いました。

確かにもっと酷い重症であれば、一生半身不随のネコの面倒を看なければいけません。

しかし瀕死の動物を見て無視できる人間がいるのは、形の揃ったキュウリしか食べていないからだと思います。

ダウン症の胎児を中絶し、障害者施設を山の中に造るのと同じです。

忌わしいものを見たくないのは、昨今いろいろな事件で表面化している偽善英雄的な差別殺人に通じる原理ではないでしょうか。

異形なものは予め排除しておく。

中途半端な正義感ばかりで、自らの人生を賭けて不具なものを包み込む覚悟がない。

そんな人間ばかりですよ。

だから結婚などする勇気がない。

その資格すらない透明なプラスチックの脆い人間しか生まれないのです。

私はもう15年生きなければなりません。

少なくともルナを手許に置いた以上は、彼女が寿命を全うするまで面倒を看る覚悟です。

男子たるもの、愛する者のために命を投げ出すのは当たり前ですよね?


紅殻格子の日記(130)  いろんな出逢いがあるものです。

紅殻格子の日記(130)  いろんな出逢いがあるものです。

おそらく先週加わった新しい家族については美月が書くことになるでしょう。

今もルナは私の家で一所懸命ご飯を食べています。

その一途な命の重みに感動するばかりです。

僅か二三日の命かもしれません。

無駄なお節介だと言われるかもしれません。

でも、見かけてしまったルナを放っておくはできませんでした。

それによってやるせない哀しみを与えられるかもしれませんし、これからの人生に厄介をもたらすかもしれません。

そこまで考えて知らん顔をして通り過ぎようかとも思いました。

若い頃からずっと生き物を飼ってきて、その大変さは見に沁みるほど心得ています。

そして失った時の哀しみも。

今も愛犬ボコが死んでしまった晩のことは、心が裂かれるばかりに切なくて泣きたくなります。

もうこんな想いはしたくない。

でも私はルナを見捨てることができませんでした。

これは意図した美談でも自慢でもなくて、ただ命の危機に瀕したものを放っておけなかっただけです。

きっと3.11の津波が来た時も、逃げ遅れた方を助けに行って亡くなられた方がたくさんいらっしゃいましたね。

「津波てんでんこ」と教えられても、そんなことができるのでしょうか?

どうして我先に逃げなかったのかと首を傾げる人もいるでしょうが、今回のルナの件でその理由がよくわかりました。

できないのです・・ただ理由もなく・・人間だからです。

確かに津波の時は我先に逃げるのが生存確率を高める方法です。

しかしそれが忠実に実行できたら、それは人間ではないと思います。

だから「何で逃げなかったのか?」と結論(私にはそんな論調に見えました)づける前に、その方がどれだけ素晴らしい方だったかと思い巡らして欲しいものです。

ルナは寝ています。

明日も元気でいて欲しいと願っています。

私の三男がとても可愛がってくれるのが嬉しい限りです。

ルナちゃん3

月の光に導かれ…美月

里山の秋を楽しながら、山間の道を下るカーブ走行中、枯葉の中に小さな生き物らしきものを見つけた。

この辺は猿やイノシシも住んでいるので、大きさから子猿が倒れているのかと思った。

でもほんの一瞬のことで、まして運転中の先生には見ることの出来ない位置だったので、ハッキリと生き物だとは言えなかったけれど、見たままを伝えると先生は危険な山道を戻ってくれた。

車を手前に止めて、猿らしき生き物を脅かさないようにゆっくり近づいて舌打ちしてみた。

枯葉の中からゆっくりと顔を上げたのは子猫だった。

子猫はニャーと小さく鳴きながら、ゆっくりゆっくり近づいてきた。

先生の前にちょこんと座ると、よほど人恋しかったのか?弱々しい鳴き声ではあるけれど、痛々しいほどニャーニャーと鳴いていた。

子猫が怪我をしていないか、先生が体をさすって確かめたけれど、外傷らしいものはなかったので一安心した。

ひとまず子猫を下に下ろして、この後のことを考えた。

野良猫なら親が近くにいるかもしれないし、あまり触っては家族のところに戻れなくなってしまうかもしれない。

どうするべきか考えながら、子猫から少し離れると先生の後をヨチヨチ付いて歩く後ろ姿で、この子が左足に障害を持って生まれてきたことがわかった。

右足の形も少しおかしいるかな(^_^;)

人間に慣れていること、子猫から野生とは違う人間社会の匂いがしたことから、
二人同時に悲しい想像世界が広がった。

確かなことはわからないけれど、この子は足がびっこのせいで捨てられたのだろうとするのが一番近い回答だと思う。

しばらく様子を伺いながら、結局、見捨てることができず、D2でゲージと餌とトイレセットを買い東浪見宿に向かうこととなったんだけどね。

ちなみに今、先生の家にいる猫も、捨て猫を拾ってきたもので、先生は人には厳しいけれど動物に優しい心を持った人だからね、ほっとくことはできないんだよね。

子猫はそんな先生の心が透けて見えるみたいで、宿に着いてからも先生の後をアヒルの赤ちゃんみたいにピヨピヨ追いかけて鳴いていた。

よほどお腹が空いていたのかな、無心に餌を頬張る姿を見ていたら、なんだから泣けてきちゃってね。

生後1ヶ月くらいでトイレも一人でできるし可愛い顔もしてるでしょ、でもね、もし左足の障害の為にこの子だけ捨てられたとしたらと思うと胸が締め付けられるんだよね。

真夜中、ちっちゃな前足で必死にベットの上に上がってきて、先生のことを起こしては頭を撫でてもらうと安心して眠ってたよ。

でもね、また直ぐに起きて、「一人ぼっちは怖い」って訴えるように甘えて鳴くんだよね。

おかげで二人とも寝不足だけど、子猫だけは帰りの車の中でスヤスヤ眠っていた。

まるで先生のお家に連れて帰ってもらえることを知っているかのようにね。

今回の東浪見旅は、実は火曜日にキャンセルをして横須賀祭りに行くはずだったのだけど、仕事帰りの金曜日、久しぶりに大きな月が見えて嬉しくて先生にメールしたことで急遽予定変更となった。

この月を東浪見の海で見れたら金波銀波に踊る龍にもう一度会えるかもしれないって思った。

そして先日貼った先生メールに続くのだけど、私を拾ってから12年、先生は干支一回りするたび変な生き物を拾うなぁ~と言っていたけどね。

先生の足元に纏わり付いて離れようとしない子猫が、先生と出逢った頃の私に見えて、あの時、先生に拾われなければ、私の人生は暗いものだったと思う。

あれから長い月日が経ったけれど、私は今でもしつこく先生に纏わり付いている。

子猫は大好きな月からの使者だから「ルナ」と名付けたけれど、これから私とルナで先生を取り合うことに違いないだろうと思う。

ちなみに…三毛猫の性格は、わがままであり、人間を恐れない。

一度気を許した相手にはしつこく付きまとう、ミステリアスな性格だといわれているそうです。

えへへ、私とはまるで正反対だなぁ~( ^ω^ )

美月

ルナちゃん1

ルナちゃん2

逢瀬に向かう車窓から…美月

さすが行楽の秋と言うだけのことがあって、それぞれの遊地に向かう人達で車内は大変混み合っています。

今日は月を見に東浪見に出かけます。

昨夜、久しぶりに澄んだ空に浮かぶ月を見ることができました。

月を見ていないことを忘れてしまうほど長く続いた曇り空でした。

昨日の帰り道、先生に月が綺麗だよといったら、東浪見で見る月はもっと綺麗だといい、今日のスケジュールはネオンの夜から月光浴となりました。

昨夜の先生のメールがあまりにも美しいのでここに貼っておきます。

どんな天候も大切なのだろうが、ここまで雨空が続くと気持ちが焦ってしまう。

天高く馬肥ゆる秋。

秋の夕焼け空は桜と並んで大好きな風景だからね。

後何回見られるかわからないじゃないか。

東浪見の裏山の空が赤々と燃えるのを今年も観たい。

秋の栗を毎年楽しみたい。

生落花生を毎年楽しみたい。

季節を愛する心を満たしたい。

人として・・・決して忘れてはいけないことだよ。

こんな素敵な言葉を気取らず語れる先生に出逢えて私は本当に幸せです。

美月

わかりやすい恋…美月

日暮れが早まり、道路の隅に落ち葉が集まる十月も半ばとなりました。

夕暮れ時、冷たい風が首筋をかすめると、昨年の感情がめらめらと思い出されました。

一年前の今頃、義父と喧嘩をして長年勤めた会社を辞めることになりました。

以前から辞めたいと思っていながら、嫁という立場から何度も退職を拒否され続けてきたけれど、
突然の嵐のように昨日と別の生き方を余儀なくされると戸惑うのが一般的だと思う。

結婚後は履歴書なんて書いたことないし、面接だって受けたことがない五十を過ぎたオバサンが、
「さて、私はどこで働けばいいのだろうか?」と考えるところから始めなければいけないのだから大変だよね。

でも、前回の葬儀社の営業職から現在の保険会社の調査にしてもそうだけど、先生のおかげで精神的に落ち込むことなく乗り越えることができた。

これもね…今日一日、明日一日やり過ごせば、薔薇色の週末が「必ず来る!」と思えるからなんだよね。

人生、いつ何が起こるかわからないけれど、でもね、「必ず来る」と思えるのは、先生に対して絶対の信頼感を持っているからなんだよね。

こんな書き方をすると先生は重荷に感じてしまうかもしれないけれど、だから私を裏切らないで…ということではなくて、
今となっては先生に騙されてもいいと思えるようになったということなんだよね。

私は他人に心を許したことなど一度もない。

そんな自分を可哀想だとも思ったことがないし、表面を舐めるような人間関係ほど虚しいものはないと思っている。

だから子供時代から人気者であっても、たった一人の親友さえ見つけることができなかった。

42歳で先生と出逢えた時は、世の中には似たような人がいるものだとしみじみ思った。

出逢いを奇跡だとは思わないけれど、でも、特に自分に似た、似たもの同士が引かれ合うことはないと思っていたんだけどね(^^ゞ

先生のことを知るうちに、まるで自分のことを知るような心地よさを感じた。

私が知らなかった私を、先生を通して知ることができたことで、殻の中に閉じこもっていた自制心を開放することができたんだよね。

そう・・・先生が教えてくれた「運命は変えられる」ということ。

全ては自分の生き方の中で起こる現実であって、自分が変われば世界も変わっていくものだと言葉でわかっていても、彗星のごとく激しい衝突がないと破壊するのは難しいよね。

そんな理由から先生は私の神様になったのだけど、世間で触れる神様といえば巣鴨のとげぬき地蔵さんくらいだもんね。

私は私の肌に触れる以上に先生の肌を撫でて癒されているし、アロマより先生の香りに心が静まる。

先生がいるだけで私は永遠に幸せであり、先生が居なくなったと同時に私の幸福の幕は閉じるんだよね。

そんなわかりやすい恋が私は好きだなぁ・・・(*^^)v

美月

プロフィール

不良老人カップル

Author:不良老人カップル
___________

(♂) 紅殻格子(べんがらごうし)
1962年8月23日生まれ。
某大手企業に勤めながら官能小説を雑誌に発表する兼業作家。ブログ『妄想の座敷牢』を主宰するも、2012年、妻を亡くし、また自身も食道癌に罹り、文筆活動をしばらく停止していた。

(♀) 美月
1962年8月23日生まれ。
3人の子供と夫を持ちながら家業の役員を務める兼業主婦。ブログ『灰になるまで恋を』を主宰。 偏屈な紅殻格子と10年に及ぶ愛人関係を続けられる自身もまた偏屈で変わり者。
___________

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