坊主憎けりゃ袈裟まで…美月

昨日の先生の日記を読みながら、一人苦笑しています(^^;)

えっ・・・先生の日記は本当かって!?

えへへ、いくら先生が作家だとはいえ、日記はノンフィクションであり、まさに事実は小説より奇なりなのです。

私は『ぶっちゃけ寺』を観ていませんが、(放送当初は観ていたのですが…最近は観ると後味が悪くて…)
千葉に通うこと三年半・・・今も事あるごとに、お寺&神社詣りをしているのですが、ご住職と話す機会があると必ずといっていいほど聞かされるのが「愚痴」です。

檀家への不満、金銭事情、葬儀のあり方などなど…(^^;)

私以上に世の中の不平不満を嘆く住職の言葉に、なんといって心を収めて戴こうかと考えながらも、「んっ!?待てよ!」こんな時はお布施を包んでもらわないと言葉が続かないだろうと、欲深さが顔を出してしまう生臭人間の私です。

でもね、自動鐘つき機、テープで流れるお経と中身丸見えクリア賽銭箱となると、仏への心が遠のいてしまっても仕方ないよね。

そもそもね・・・お経はお釈迦様の説法であって、テープで流れるお経はただのBGMに過ぎないと思うんだけどね。

でね・・・そうなると今まで参列した葬儀や法事の読経も、生声だったのか&テープだったかと考えると、住職の年齢と声の感じが違う時もあったような気が…(^_^;)

もちろん、お経を唱えることができても、僧侶自身に特別な能力があるわけではないことはわかっている。
職業として僧侶を選んだ人がいるかもしれないよね。

そうなると学校の先生と同じように 優秀な人もいれば落ちこぼれ寸前の人もいるだろうし、欲深い人もいれば信徒の為に一生懸命になれる人もいるだろうと思う。

どんなに位が高くても所詮は人間だからね・・・みんな違っていいのだけれど、私が声を大にして言いたいのは・・・

人からお金を取るのであれば、手を抜くことなく商売人としての誇りを持ってほしいんだよね。

坊主憎けりゃ袈裟まで憎いとならないように、常に顧客を大切に・・・お客様は神様なのですからね(^_-)-☆

美月


紅殻格子の日記(94) 『ぶっちゃけ寺』を観て

紅殻格子の日記(94) 『ぶっちゃけ寺』を観て

本日、デレビ朝日で『ぶっちゃけ寺』の特番をやっていました。
最後の方で坊さん同士の討論会があり、その金儲け体質についていろいろと弁解していました。

でも坊主の大半は金儲けが大好きですよ。
これまでにも書きましたが、私が千葉の寺を廻って正直に感じたことです。

http://choufukujuji.com/
これは千葉県の長南町にある長福寿寺のホームページです。

皆さん、これが信仰の対象となるのでしょうか?
吉ゾウ君に願をかけると、宝くじに当たったり競馬で勝ったり、金運が上がると言うのです。

しかし博打を勧めるのが仏教の教えですかね・・?

そしてこの寺では、まるで総合病院の如く、ありとあらゆる病気を治す専門の仏様が毎年増え続けています。
去年は眼病に効果がある仏様が増えていました。

ここの住職は、地域に人を呼ぶためにテーマパーク化していると弁明していますが、お守りを売った代金を町の発展に寄付しているわけではありません。

『ぶっちゃけ寺』では、偉そうに仏教を広めたい最後は口を揃えていましたが、これが仏教の教えであるならディズニーランドの方がよほどご利益はありますよ。

聖天様のように仏教も末期になると現世利益で信者を集めますから、これもインドで仏教が衰退したのと同じ現象なのかもしれませんね。

そもそも寺がお守りを売り、賽銭の名を変えた浄財を集めること自体おかしいでしょう。
無論、檀家の減少や文化財の修復で金が必要なことはわかっています。

でも庫裏の裏にあるガレージに高級外車を隠し、隣町で愛人と逢瀬する坊主を見かけることもありますよ。
家族葬なんて全く儲からないから厭だと或る坊主が平気で言っていました。

坊主ども、お前らは地獄に落ちるぞ。

檀家から寄付を絞り取るだけでなく、ちゃんと彼等の不安に耳を傾けてあげなさい。
坊主は檀家の良き臨床心理士であるべきですし、良き人生のコンシェルジュであるべきでしょう。
それが檀家マネジメントじゃないんですか?

どんよりとした月曜日…美月

土日は大好きな千葉で過ごしました。

いつもなら車窓からお出かけの挨拶をするのですが、今回は春休みということもあってか?
スマホを手に持つ気力さえ失われるほど車内は大変混み合っていました。

…と言うことでご報告が遅くなりましたが、今回も楽しい時間を過ごす事ができて本当によかったと思っています。

ただし・・・
先生と過ごす休日、ましてや大自然の中でゆったりとした時間を過ごしていると、月曜日はそのギャップが辛いこと…。

「でも、楽しい時間があったのだからいいじゃない!?」

…と言われれば、「確かにその通りです」と答えるしかないけれど、でもね、月曜の朝、満員電車に揺られて行きたくもない仕事に向かっていると、ものすごく侘しくなるんだよね。

お金はあって不便ではないけれど、でもね、何のために働いているのか?
今一つ実感が湧いてこなくて・・・。

もちろん親でもあるわけだから、子供の為に何かできることを喜びと考えたらいいのだけれど、
でも、根が欲張りだからね・・・それ全て「私の為」という、しっかりとした目的意識を持って働けたら労働も一入だと思うんだよね。

そんなことを思う今日この頃、そろそろ我武者羅に働く時代は終わろうとしているのかもしれないね。

千葉に行くとね…、都会では信じられないけれど線路の上に立つことが多々あるんだけど(鉄道マニアでもあるからね…)、

まっすぐに伸びた線路を見ながら、二人でこの先の人生について色々と考えることがあるんだよね。

よく、人生は線路のようなものだと言うでしょ・・・、

でもね、聞かされる話の中に主人公がいないことが多い。

だけど五十歳も過ぎれば電車を走らせているのは自分であるということを、しっかりと意識して毎日を過ごさなければといけないと、最近、つくづく思うんだよね。

男女の平均寿命が延びたのは、大変素晴らしいことだよね。

でも命が伸びたからといって幸せの数が増えることに繋がらないこともいっぱいあるでしょ。

生きていながらゾンビのように意識がない人もいっぱいいるし、右に倣っているばかりで手本がないと自分が見えなくなってしまうようでは、せっかくの人生が台無しになってしまう。

私は先生に出逢ってからというもの、何かあるたび今があることに感謝できるようになった。

それはね、何かあるたびに一緒に喜んだり悲しんだりしてくれる先生がいるからなんだね。

私は孤独が好きだと思ってきたけれど、でもね、本当は誰かとまったりとした時間を過ごしたいと思っていたのだと思う。

今年も、春を迎えられる喜びを感じられるのも、先生の桜時間のおかげなんだけどね。

でもね、最近は桜よりも先にまっ黄色に咲く菜の花に幸福の証を重ね合わせて見ているよ。

天国一面に広がるお花畑は、間違いなく黄色い世界だと思う。

でも天国でその美しさを感じる時はきっと一人ぼっちで・・・私は先生の姿を探してしまうだろうと思う。

だからね・・・生きているうちに何度も何度も、先生と春を迎える喜び、自然の美しさを体験したい。

私の欲深さは天下一品だと先生はいつも言っている。

だからね、この先も生きている限り欲深くありたいと思うんだよね。

美月

子供のように

春なのに・・・美月

桜の便りもチラホラ聞こえてきたけれど、私は春を迎える前の一戦とばかり、今年も花粉と戦っています。

でも、今日はさすがに辛かったなぁ・・・。

先日も雨の後、酷いことになったけど、今日は鼻が壊れた蛇口状態となってしまっている。

先生は花粉症ではないので、ホント…羨ましいなぁ・・・。

最近はへバーデン結節も症状が進んできたのか?指先のこわばりと痛みが増してきた。

でもね、先生は私が体調不満をいうと、「お前は癌ではないから大丈夫だよ」と言って慰めてくれる(笑)

確かにその通りだと思うし、50歳を過ぎて何もないというのも可笑しなものかもしれないよね。

先生には「一病息災」で長生きをしてもらおうと思っている。

健康の大切さって、失ってみてはじめて身に染みて感じるものかもしれないね。


一人ぼっち・・・

六人兄弟の三男として生まれた男は、名前そのままに三男(みつお)と名付けられた。

里山を後にして早40年・・・

還暦を過ぎても定職に付けないままではあったけれど、一人暮らしも板に付き、誰に迷惑をかけることなく一人静かに暮らしていた。

男は10年前から心臓病を患っていた。

医者は手術を勧めたが、本人は仕事を休めないといい・・・投薬での治療を希望した。

それから数年経つうちに病状は悪化し、医者は改めて突然死の危険性を危惧するも本人の意思に変わりはなかった。

最後に病院を訪れたのは先月のことだった。

男は自宅の炬燵の中で眠るように亡くなっていた。

長年、住み慣れた町であっても、人付き合いのない男を訪ねて来る者はなく、男の身を案じてくれたのは、毎朝、ゴミ出しの際、挨拶を交わす程度の近所の老人達だった。

警察から知らせが入ると、田舎に住む兄弟が男の死の直前の足跡を辿って歩いた。

派遣先での仕分けの仕事を終えた男は、その足でパソコン教室で一時間学んだ後、近所のコンビニで弁当を買い自宅へと戻った。

そのまま・・・時が止まったまま数日がたった。

警察の検視の結果、事件性のない病死と断定された男に親しい友人はなく、未来に希望のない人生ではあったけれど、男にとって唯一の冒険はパソコン教室に通っていたことかもしれないと、他人行儀な兄弟の談が記されていた。

果たして60歳を過ぎた男の人生にExcelは必要だったのだろうか?

保険金は6人兄弟の5人で分配されることとなったが、残念なことに増額分は支払われないと知ると不満そうだった。

男は…もしも自分に何かあったら兄弟に迷惑をかけるだろうと思い、心臓病を告知することなく増額していた。

そんな男の思いを知ることなく、男が重い心臓病を患っていたことさえ誰一人知らなかったという血の繋がった兄弟達。

男の部屋には名もない大きな金魚が一匹、澄んだ水の中を気持ち良さそうに泳いでいたという。

大切な友達を失った金魚のことを思うと・・・春なのに切ない思いに駆られてしまう。

美月


紅殻格子の日記(93) 墓参り

紅殻格子の日記(93) 墓参り

三連休、墓参りに行ってきました。
昨年の春は父を赤いスカイラインに乗せて行きましたが、父を夏に亡くして、今春のお彼岸は一人墓標に額ずくこととなりました。

墓前に仏花を活けていると、改めて独りぼっちになった自分を思い知らされます。
祖父母、父母、妻が眠る墓です。
私だけが逝き遅れてしまった孤独感に苛まれます。

昔から父には「長男は墓守をしなければならない」と言われ続けてきました。
まさにたった一人、私は墓守として残されたのです。

墓は先祖代々繋ぐものではありますが、父母と妻を見送り、祖父母の代から60年続いた実家を解体した今、私は長男としての務めを事実上終えたと感じています。

勿論生きている限り墓参は続けますが、家長としての現役をそろそろ退いて、子供達に引き継いでいくことが最後の役目だと考えています。

でも私には美月がいます。
自分のお骨は海に撒いて欲しいなどと美月は言いますが、私は彼女と死後も一緒でありたいと思っています。

死んでしまえば何もわからないのでしょうが、目に見えない神が下りる依代(よりしろ)のように、どちらか残された方にとって形のあることは大切なことです。

位牌は木の板ですが、そこに死者を念じて焼きつけることができるのです。
神と同様、存在を思い返すことができるのです。

ですから私が死んだら、美月との新しい墓を造って分骨しようと思っています。
美月と私、一代限りの墓になるかもしれませんが、二人とも死んだら無縁仏になっても構いません。

小さな墓でいいですね。
戒名なんていりません。

二人の名前を彫ってそれで終わりです。
そうですね、戸籍とは別の名前でいいでしょう。

美月と紅殻格子・・・後で見た人はどう思うでしょうか?
それがまた人をからかうことが好きな二人の墓らしいじゃないですか。

逢瀬に向かう車窓から…美月

三連休最終日、あいにくの曇り空にもかかわらず、電車内は鮨詰状態で、私は寿司折の端っこで丸まるガリのごとく小さくなってスマホと戦っています。

はぁ〜平日のラッシュ以上に混み合う電車に乗っていられるのも、先生に逢いたい一心が原動力となっているんだなぁ。

今日あたり、桜を待てずに家を飛び出した人も多いかもしれないけれど、車窓から薄紅色の花色は見当たらない。

それでも春風に誘われて、人の心は綻び今にも咲きそうです。

私は人の楽しそうな顔を見るのが好きなので、たとえ見知らぬ人であっても私までちょっぴり嬉しくなる。

でも一番喜ばしいことは、先生の笑顔と耳に流れる笑い声、そしてその瞳は私に向けられている瞬間に、あぁ…私、本当に幸せだなぁ〜と痛感する。

だからね、遠く離れている時間、先生が怒っていたり泣いていたりしていると思うと、ものすごく切なくなるんだよね。

そばにいれば、今、そばにいられたら…こんな思いをしなくてすむのにってね。

そう思うと、私は私を喜ばせたくて先生を思い続けていることになるんだね。

人の為と書いて「偽」(いつわり)という漢字になる。

「あなたの為を思ってしてあげたのに」

などの言葉を使ったり聞いたりすることも多いけれど、結局は人の尺さえ私の物差しに合わせて測ろうとしているのかもしれない。

先生と過ごす休日も、決して当たり前のことではなく、先生によって与えられているんだよね。

公私ともに大勢の人に携わってきたけれど、そんな風に思ったこと一度もなかった。

生きているうちから手を合わせたい人に出逢えるなんて素敵だよね。

人生の豊かさは発見の連続にあるんだろうなぁ…(^^)

美月

上手くいかないね…美月

都会では待機児童の問題が騒がしい中、里山の学校は次々と廃れていくんだよね。

廃墟マニアでもある私達ですが、思い出の染み込んだ運動場に立つと、
今にも子供達の歌声が聞こえてきそうで、無性に切なくなるんだよね。

都会では待機児童が問題になっているけれど、少子化にも関わらず、待機児童が増えるのは不思議だよね。

シングルマザーも珍しくない世の中だから、離婚問題もあるのかな?

でも、現代は共働きをする必要がある家庭も増えているから待機児童の数が増えてきたかな!?

どちらにしても田舎道で子供の姿を見かけることはごく稀で、たまに見つけると先生と二人で大騒ぎ(^^♪

まるで座敷童に出逢ったような新鮮さがあるんだよね。

でも、小奇麗な顔つきを見ると、お盆や彼岸で帰省中なのだろうということは想像できてしまうんだけどね。

地方の過疎化は深刻な問題だし、都会は待機児童問題と・・・住む世界が違うと悩みも違うものだね。

この二つを足して二で割ったら、満遍なく平均年齢が統一化されるような気がするけれど・・・

都会のネズミには田舎の良さがわからないのだろうね。

美月

紅殻格子の日記(92) 房総珍百選⑦ 石神の菜の花畑(紅殻格子)

紅殻格子の日記(92) 房総珍百選⑦ 石神の菜の花畑(紅殻格子)

昨日美月の書いた記事とだぶりますが、私の感想も敢えて載せておきます。

先週は東京散策、そして今週は房総散策です。
いつも美月と二人、赤いスカイラインでガイドブックに頼らない発見の旅です。

標題の石神は、小湊鉄道の上総大久保駅と養老渓谷駅の中間にある土地で、見事な菜の花畑を観ることができます。
この風景は二年前、たまたま通りかかって発見して以来、大好きになりました。

最初に言っておきますが、今週の三連休が菜の花のピークですよ。
是非読者の皆様、一度はお出かけ下さい。

菜の花畑を走るローカル線の撮影ポイントで、鉄道マニアはたくさんいますが、一般の人にはあまり知られていない穴場です。

石神 2016①

(画像は2016/03/12に撮影したものです)

ご覧の通り美しい里山の風景で、その真ん中を単線の小湊鉄道が走ります。
鉄道マニアでなくとも、線路から柵もない目の前を通り過ぎる気動車には圧倒されます。

石神 2016②

そしてこの国鉄色の車体がまた里山の花畑によく似合うのです。
本当に感動しますよ。

でも事故は絶対に起こさないで下さい。
心ない人々が一度でも事故を起こせば、この風景は永遠に奪われてしまうことになります。

また三連休の初日からは、小湊鉄道がトロッコ列車を再運行します。
去年の紅葉の時期に機関車が故障してしまったのですが、社運を賭けて仕切り直しするそうです。
是非併せて見に行かれたらいいと思います。

石神 2016③

一つ申し上げておきますと、この石神地区の菜の花畑周辺には他に観光地がありません。
強いて言えば養老渓谷が隣駅ですが、これと言った見どころはこの季節ありません。
だから観光バス的な旅行を期待する人には不向きです

でもそれが房総の良さなんですよ。
自分で好きな風景を見つければいいのです。
他人に決められた日帰りバス旅行なんて房総じゃありません。

テレビとか観ていると、バス旅行の昼食で、ホタテやカキ、サザエなどの海産物を焼いて食べているところがよく映ります。
でも千葉でホタテは採れませんよ。
サザエや岩ガキも地元産は高くて食べ放題なんかできませんからね。

旅の喜びは、自分の脚で発見することにあるのですよ。


春待ちの菜の花畑…美月

どこかのスーパーが毎日ハッピーディを売りに明るい商売をしているけれど、私は…というと、先生と過ごした土日の楽しさが月曜日をどんよりとさせている。

長年一緒にいながらにして先生自慢もなんだけど、本当に二人の時間は楽しいんだよね(o^^o)

土日で一週間分の笑いがあって、ここで気持ちをリセットできることでまた一週間頑張れる。

たまにね…最近は喧嘩も少なくなったけど、たまに先生と喧嘩して憂鬱な週末を迎えると、身体は休んでいるのに、ちっとも安らげない。

…返って休んでいることがストレスになって、それなら忙しく仕事をしている方がいいんじゃないかと考えてしまう。

喧嘩が必要な時もあるけれど、意地の張り合いはよくないよね。

せっかくの時間が勿体無いもんね。

閑話休題

土日はあいにくの天気だったけど、時折、車を降りると雨は止んでくれたので、今年も石神の菜の花畑を歩くことができた。

まだあの世のお花畑ほどの花盛りではなかったけれど、人影もまばらなこの時期の自生の菜の花もよかったなぁ~。

千葉ではカメラ片手に趣味を謳歌する人の姿をよく見かける。

まあ、もっとも遭遇率が高いのは撮り鉄と呼ばれる人達だけど、色褪せたローカル線は里山の風景によく似合うんだよね。

ガタンゴトンとガタンゴトンと線路を噛み締めるようにゆっくりと走る小湊鉄道を自分自身に置き換えると、なんだか泣きだしたくなる。

センチメンタルな気分ではなくてね…
若い頃は時は金なりとばかり、新幹線こそヒーローだと思っていたけれど、人生も残り三分の一となった今は、先生と穏やかな景色を眺めながら、ゆっくり進んでいきたいと思うんだよね。

だからね…私達の希望を乗せて走る電車が消えてしまわないように陰ながら応援してる。

来週の三連休から、紅葉狩り時に故障が見つかり中断していたトロッコ列車が、菜の花の開花に合わせて再開します。

まあ、トロッコでなければならない意味はどこにもないと思うんだけど、蒸気機関車のレプリカが頑張って引っ張ってくれるそうなので、お時間ある方は、是非一度ご覧になってくださいね。

…という私達ですが、実は撮り鉄に徹していて、小湊鉄道&いすみ鉄道に乗ったことがない。

毎年、今年こそチャレンジしたいと思いながらも、車で行くとなると行き場がないんだよね。

何と言ってもローカル線です、一時間に一本は当たり前で、下手すると乗車時間より待ち時間の方が長い場合だってある。

そうなるとね・・・のんびりしたくて東浪見に行くのに、時間に追われることになってしまうから無理なんだよね。

まあね、いずれ一日中、電車に揺られて、同じ場所を何度も往復できる時も来るだろうからいいんだけどね。

その日が来たら、早起きをして二人でお弁当を作ろうっと!

先生・・・味噌おにぎりがいいっていうかなぁ…。

きっと、子供の頃より想い出深い遠足になると思うんだよね(^^♪

美月

石神の菜の花

逢瀬鈍って向かう車窓から…美月

花の香りに誘われて 出かける人達の頬元も、ひと月前と比べると綻んで見える。

春はいいね…。

たとえ花粉塗れになっても、不快な中にも希望があって、これから先、楽しいことがいっぱい待っているような楽天的な気分になるんだよね。

昨日は息子の卒業式だった。

先生に気を揉んでもらいながらも、保護者代表の言葉を無事に納めることができてホッとしてる。

仕事も少しずつ慣れてきて、スーツ姿も段々と板についてきた。

蕾がひとひらずつ開くように、立ち止まらなければ道は開けるものだね。

最近は先生と物作りについて話すことが増えた。

まあ、食いしん坊の二人だから、手作り=好物となるんだけど、千葉の豊かな農産物、海産物を、農家や漁師の人達が、日頃、何気なく食べているご馳走を自分達も作ってみたいと思うんだよね。

いくら新鮮宅急便時代となっても、まだまだ世間に出回らないものもあって、特に旬と呼ばれる食べ頃に、地元の人達だけでこっそり味わう食材に出会った時の喜びは、別荘生活ならではの贅沢だと思ってる。

都会と正反対の暮らしは、何も無い場所であっても想像力が養われる。

先生はね、どちらか一方では小さな感動に気付ける感性が鈍るから、その場に止まってはいけないという。

もちろん、いずれは安住の地を求めるのかもしれないけれど、今しばらくは、こうして都会と田舎を行き来しながら色々なものを吸収していけたらいいね。

追伸…先生と出会った頃は、この時期ともなると、顔がグジャグジャになるほど花粉に攻撃されていたけれど、ここ数年、青い海の上を渡り、うねる杉山を幾度か超えて再び海に向かううちに、抗体ができてきたのか?クシャミで舌を噛み切ることがなくなった。

私は自分にとって嬉しいことは、何でも先生のおかげだと思ってしまうので、決して年を取って免疫細胞が低下したとは思っていない。

えへへ、自分を楽しませることに自由な発想は不可欠だよね。

美月
プロフィール

不良老人カップル

Author:不良老人カップル
___________

(♂) 紅殻格子(べんがらごうし)
1962年8月23日生まれ。
某大手企業に勤めながら官能小説を雑誌に発表する兼業作家。ブログ『妄想の座敷牢』を主宰するも、2012年、妻を亡くし、また自身も食道癌に罹り、文筆活動をしばらく停止していた。

(♀) 美月
1962年8月23日生まれ。
3人の子供と夫を持ちながら家業の役員を務める兼業主婦。ブログ『灰になるまで恋を』を主宰。 偏屈な紅殻格子と10年に及ぶ愛人関係を続けられる自身もまた偏屈で変わり者。
___________

最新記事
最新コメント
カテゴリ
月別アーカイブ
ご訪問ありがとうございます
現在の閲覧者数:
想い出の引き出し
画像をクリックするとアルバムが開きます
ブログランキング
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

検索フォーム
RSSリンクの表示
QRコード
QR