路地裏…美月

私は、私の育った町を通る赤い電車に長年に亘り愛着を持っている。

時代の流れと並行しながら車両も新しくなるけれど、たまに古い型の電車を見つけると、幼馴染みに再会したような懐かしさを感じて、夕暮れ時、この電車に乗り込んだから、遠い昔に戻れるかもしれないと錯覚する。

もちろん先生のいない過去に戻りたくないけれど、あの時、母に言い忘れたことを伝えられるかもしれないと思えるほど、昔の記憶が現代の私の心とリンクする。

後悔などしたところで過ぎた時間を取り戻すことはできないけれど、伝えられなかった言葉を胸に刻んで日々を過ごしてきた。

高校進学は女子高を選んだ。

女ばかりの社会を嫌う人がいるけれど、当時は女同士の気楽さが心地よかった。

修学旅行に向かう朝、慌てて家を出た私は、荷物の最終確認の為に使った旅のしおりを炬燵の上に置いてきてしまった。

駅まで急ぐ道中で忘れたことに気付いたけれど、取りに戻るほどの物ではなかったのでそのまま駅へと向かい、すぐ来た電車に飛び乗った。

ゆっくりと走り出す電車のドアから外を眺めると、息を切らし自転車を漕ぐ母の姿が見えた。

手には旅のしおりが握られていて、こちらに向かって何か叫んでる。

「次の駅まで行くから…」 息遣いの荒い口元がそう言っているようだった。

母の優しさがやけに邪魔に思える年頃だった。

一人で何でもできると思っていた。

愛情に感謝するより恥ずかしさが先立ち、私はハエを追い払うような仕草で母を追い返した。

そんな私に対し母の瞳は翳ることなく、「気を付けて帰ってきてね…」といつものように優しく語りかけてきた。

私は目を伏せたまま、小さくなる母を見送った。

私は薄情な女だと後ろ指をさされていることを知っている。

でも、私は母が亡くなった日から一日たりとも母のことを忘れたことはなかったし、「ありがとう」と素直に言えなかったけれど、忘れられない想い出を沢山持たせてくれた両親に感謝している。

沈丁花の咲く頃になると、無性に昔が恋しくなる。

懐かしくなんかない・・・でも、何故か毎年、泣きたくなってしまう。

雨に濡れる沈丁花の香りが遠い昔へと誘ってくれる。

長細い路地から見上げる空は、小柄な入道雲さえ全体像を映すことができないほど狭かった。

あの頃、今の私のことなど想像できなかったけれど、大人になるということは、この路地から出ていけるということを意味していた。

先日、先生の実家に連れて行ってもらった。

むせ返るほどの懐かしい匂いのせいか…、遠い記憶が蘇ってきて、母の生臭い匂いまで感じ取ることができた。

路地の作りは多少違ったけれど、今まで休日散歩と称して二人で歩いた下町の風景すべてが幻想だったのではないかと思えるほど、ゴールと呼ぶに相応しい場所だった。

もしかしたら、私達は帰る場所を求めて彷徨っていたのかもしれないし、忘れ物を探していたのかもしれない。

だからかな・・・急に都会暮らしに未練がなくなった。

執着を手放すことができたと言った方が正しいかな!?

ゴールはスタート地点であり、今度は二人揃って出て行けるような気がした。

美月

紅殻格子の日記(71) 父の逝去

紅殻格子の日記(71) 父の逝去

2015年7月18日、実父が亡くなりました。

82歳、病院に入院してから2週間後に息を引き取りました。

8年前に妻(私の実母)を亡くしてから一人暮らしでしたが、老人会の代表を務めるなど晩年までスケジュールがびっしりの多忙さでした。

そもそも父は私と同居することを勧めたのですが選択しませんでした。

お仲間と生まれ育った地で死ぬことを選んだのです。

葬儀は老人会の友人を主に考えて、40名ほどのお仲間に見送って頂きました。

さて父を失った正直な感慨をいくつか私らしく書きたいと思います。

まず、ほっとしました。

長患いをしなかったことに感謝しています。

これは家内を失って私も子供達の世話を一人でしなければならないこと、弟夫婦が遠くにいることなど理由があり、とても在宅医療などとなったら面倒が看られません。

おそらく全員が共倒れになってしまうでしょう。

これは回復して一人暮らしを続けられたとしても、いつかは同じ不安がつきまとってしまうことになるでしょう。

薄情かもしれませんが、大家族制度が崩壊した時点で、この問題は誰もが抱えているとことだと思います。

そしてもう一つの感慨は自由になれたという解放感です。

つまり老いたとは言え、父という存在は暗黙のうちに、父が望む息子を演じることを強要するのだと思います。

もし受験に失敗したら、いい会社に就職できなかったら、勝手に会社を辞めたら・・きっと父は悲しむだろうと身を律してきたわけです。

無意識なのかもしれませんが、息子がいい子であろうとするのは、望むか望まぬかは別として、父という存在が道を外れぬように重石をかけているわけです。

長男ならば尚更でしょう。

従って子供を育成できる退職金が貰えれば、私は今すぐにでも会社を辞めてホームレスになれるということです。

だから葬儀に私は特別な感情を覚えず、淡々と喪主としての役割を演じました。

それは祖母を失った時の父も同じだったと思います。

でも一つ例外だったことがあります。

セレモニーホールから火葬場へ向かう途中、たまたま私が小学校に入学するまで住んでいた下町を霊柩車で通ったのです。

若かりし父と母が瞼に浮かび、私は位牌を持ちながら一人号泣してしまいました。

今は親から独立して、父と同じ一人前としての立場で生きていますが、子供の頃の父と母は掛けがえのない絶対的な存在なのです。

記憶の中の親を前にして、子供は幾つになっても子供なのだと実感しました。

親の恩 雪降る夜に 音もせん

親の恩は永遠に恩返しできないものなのです。


週末はのんびりと…美月

週末は東浪見でゆったりとした時間を過ごしました。

喪中に外出するなど一般的にはあり得ないことかもしれないけれど、ベルトコンベヤーのように次から次へとやってくる決めごとに追われる先生を案じれば、一時的に別世界に避難させてあげたかった。

…と同時に、純粋にお父さんの死を悼む時間が必要だと思った。

もちろん、普通の人の何倍も優れた判断力を使いこなす先生だから、何でも一人で取り仕切ってしまうけれど、でもね、そんな人だからこそ、人に弱っている姿は見せられないものだからね。

何でもそつなく熟せても、疲れないということではないもんね。

だからね…私は先生が「疲れたよ」と言ってくれると安心する。

まあ、今の私にできることは少ないけれど、先生の思うがままの気持ちを吐き出してもらうことはできる。

それにね…葬儀の様子だったり、生前の活躍をゆっくりと聞くことができて、お父さんがとても身近な存在に思えた。

だから、この先も、何かをヒントにお父さんのことを思い出すたび、話は繋がっていくんだね。

千葉に行く道、帰る道、いつも車の中は話を遮る音楽もなければ、耳を傾けるほどのニュースもない。

聴こえてくるのは二人の声だけ…。

「とうとうお前しか居なくなってしまった…」と先生が小声で呟いた。

先生の言葉に、自分の死というものを身近に感じた。

順番はどうあれ、私もいつか死ぬのだと・・・当たり前のことなのに、妙に心が固くなった。

私は病気になってはいけないと先生に言われている。

もちろん怪我をしてもいけないし、老けてもいけないらしい。

言いつけの多い人だけれど、何も言われない人生に比べたら、何倍も生きている価値を感じている。

でも、私は先生の何倍も口うるさい。

子供じゃないんだから…と厄介がられても、あれやこれやと注意事項を繰り返している。

「他人じゃないから五月蠅く言うんだ」

小さい頃、悪さをして叱られた後に、父が照れくさそうに一人流す言葉が理解できなかった。

まあ、茨城のど田舎育ちの父にとって精一杯の愛情表現だったのかもしれないけれど、アメリカ人の父に憧れていた私には愛とは無縁なものに思えたけどね。

でも、今は違う・・・。

他人を嫌う先生が、私の他人行儀を嫌ってくれることがある。

私が「二人で一人だね」と言うと、先生、本気で怒っているけれど、知能レベルの話ではなく、心が一つは納まりがいいと言うことだからね。

頭は二つ、心は一つ…、先生、あしゅら男爵のように、いつまでも世の中に蔓延りましょうね。

美月

一週間…美月

先週、お父さんの具合が思わしくないということで、会社を休んで様子を見に行った先生だった。

病院から帰ると、心配しながらもしばらくは大丈夫だろうとの先生の言葉に微かな安堵を覚えた。

だけど、次の日の朝を迎えると、事態は一変し…目まぐるしく一週間が過ぎていった。

お父さんが亡くなる前、行きつけのカフェバーで先生が子供の頃の話をしてくれた。

一枚、一枚、ゆっくりと絵本を捲るように、懐かしい時間が過ぎていく。

葬儀になったら悲しむ暇もないから…と、付け加えられた言葉に深い哀愁がこもっていた。

『親思う心にまさる親心』

「後悔はないけれど、恩は返しきれない」と先生は言った。

先生はお父さんの自慢の息子だったから、それだけで十分恩返しになったと思うけどね。

親を慕う先生が愛おしくて・・・

親の愛ほど尊くはないけれど、命ある限り、先生を見守り続けて生涯を終えたい思う。

…ちょこっと偉そうだけど、愛って恥ずかしいことも平気で言えたりするものだね。

美月

ありがとう…美月

しばらくブログが書けずにいた。

先生のお父さんの病状が思わしくなくなり、会社を休んで病院に向かう先生の心情を察すると何から書けばいいのかわからなかった。

土曜日の朝早く先生のメールで目が覚めた。

お父さんの容体が悪化したので、今から病院に行くと書かれていた。

それから1時間ほど経って、お父さんが亡くなったと知らされた。

7月18日 土曜日

また一つ、先生の脳裏に夏の来訪を痛感させる出来事が刻まれることになった。

死を受けいれれば生きている時の何倍も故人を身近に感じることがある。

お父さんの面影が心を擽れば、一つ一つの思い出が子供の頃の先生を蘇らせてくれるよね。

物静かなおばあちゃんのこと、ヤンチャなおじさんのこと、働き者のお母さんのこと、奥さんのこと…今は黄泉の国の住民となった先生の愛すべき人達が私の身近な人になる。

思い出の共有は、何も当事者同士でなくてもいいのではないかと思う。

伊勢佐木町の不二家レストランで、不慣れな手付きでホークとナイフを使う息子達の姿に目を細めて見つめた父親がいた。

そんな父親の年をとっくに超えてしまった息子だけど、ハンバーグを注文するたび、私に笑って話している。

何度聞いても、以前聞いたことがあると申告しないのは、いつも今がその時だからなんだよね。

昨日、お父さんの使っていた手帳を見せてもらった。

先生とは似ていないと思っていたお父さんは、先生と同じように手帳に日記を付けていた。

几帳面に並べられた文字には人柄が滲みでていて、不謹慎にも思わず可笑しくなってしまった。

先生にそのことを告げると、いつもならムッとするのに目元が柔らかく揺れていた。

「年をとってきたら親父に似ていると言われる」

…と言った先生の言葉がお父さんに届くことはないだろうけど、親子なのだから、紋切り型の礼状など必要ないよね。

あの世とこの世の境があるなら、囲いを付けるはこの世の習わし。

旅立つ人に送る言葉は、我に返る言葉となる。

ありがとう…。

美月

紅殻格子の日記(70) 蛭子能収

紅殻格子の日記(70) 蛭子能収

美月が蛭子能収について書いていたので若干の補足を。

若い方はテレビの蛭子能収しか知らないと思いますが、実は非常にシュールな漫画を描いて一部マニアに人気があった人です。

大先生のつげ義春の名跡を継ぐ人だと私は思っていました。

単行本も買いましたよ。

よく漫画とテレビのギャップを取り上げる人がいますが、私は世間体を気にしない人だからこそ危ない漫画が描けるのだと思います。

美月は私のことを気難しい人間として描いていますが、それほど実態は蛭子能収と変わらないと思っています。

純朴なのですよ。

集団とか社会とか言う秩序が大嫌いで、否、それに気を使い過ぎている弱者であるからこそ、その反作用をどこかにぶちまけないと生きていけないのです。

それが漫画であり小説なのでしょう。

だから蛭子能収の言動は素直であり、社会に無意識のままストレスを抱いている人に受けてしまうのでしょう。

逆に言えば、蛭子能収が受けている時代は、社会の管理統制が厳しい時代なのであることを自覚しなければなりません。

今日、安保法制が衆院を可決しましたが、戦争へ行かなければならない子供達は、哀しいことにいつもと変わらず電車でゲームをしていました。

大衆の愚かさです。

徴兵制と無縁の老人が自民党を支持するのはいいですが、当事者たる若者が自分の人生に対して無関心なのは頭が悪いからだと思います。

蛭子能収にしても私にしても、妄想力がある怖がり屋の小心者にしてみれば、断固として反対すべき法制であると思います。

皆さん、本当にアメリカは中国と核戦争をしてまで日本を守ってくれますか?

自衛を口にするなら、本当に自衛するべきで人に頼るべきではない。

巻き込まれることなく、自立する防衛を準備するべきじゃありませんか?

私は右翼ではありませんが、自国で航空母艦を揃えてちゃんと領土を守りましょうよ。

ペテン師…美月

日曜日の夕方からスマホの通信障害によりメールが使えない状態が続いた。

今朝になってやっと少し落ち着いてきたけれど、長年、先生からのメールを楽しみ迎えていた朝が、いつものように…といかないとなると、何とも言いようのない不安な気持ちに苛まれる。

もちろんメールがダメならメッセージ機能を使って連絡をくれるし、私が心配するだろう出来事を予想すると、その前に手立てを打ってくれる細やかな気配りにはいつも感謝している。

「逢えない時間が愛育てる」と郷ひろみが昔々に唄っていたけれど、離れていても常に傍に感じていたいと思うから、私はしつこいほど先生に「逢いたい、逢いたい」と連呼してしまうんだけどね。

でもね、たま〜に、ごくごくたま〜にだけどね、自分でも本当にしつこい性格だとしみじみ感じる時があるんだよね。

何でも先生と結び付けては、時間の隙間に色を付けて遊んでる。

一日のうちには嫌なことだってあるし、つまらないこともあるけれど、腹が立ったら先生のことを思い出して心を涼しくしている。

他人を意識することは、相手に支配されているに等しいでしょ・・・。

好きでもない人のために時間を無駄にしたくないから、おどけた先生の姿を思い出しては一人笑ってる。

最近では先生と蛭子能収さんの共通点を見つけて楽しんでいる。

世間でいえば、少々頭の可笑しなオジサン扱いされているけれど、蛭子さんって…底知れぬ面白さを秘めていると思うし、実は最高のペテン師なのではないかと想像したりする。

蛭子さんが「友達」をテーマに書いた迷言(名言?)がある。

昔の学生運動にしろ、オウム真理教にしろ、最初は友達から始まったものが、行き着いた先は犯罪であり、殺し合いですよ。
何人かが集まると、だいたいリーダーというか親分が出てきます。
そういう人についていけば、考えなくていいから楽かもしれませんが、その先には死が待ち構えているかもしれない。
これは恐ろしいことですよ。

まあ、漫画家も小説家も・・・巧みな言葉で人の心を惑わせることにかわりないかな(^_-)-☆

美月

ドン・キホーテ…美月

土曜日が仕事だったので、日曜日は横浜で待ち合わせて都会遊びを楽しんだ。

馴染みの中華料理屋は、猛暑のせいで???閑散としていたけれど、パパもママも元気そうでよかった。

東浪見に行けば夕方前から飲み始めるけれど、都会で過ごす休日は「昼飲み」を楽しめるからいいんだよね。

腹ごしらえを済ませた後は、人の波に誘われて冷やかしにドン・キホーテを覗くことにした。

まあ、暇な人の多いこと…というより、店全体がテーマパークのようだった。

ちょこっと遊び心が顔を出して、18禁コーナーを視察してきました。

むむむっ・・・まるでギフトショップのようなカラフルでお洒落な大人のおもちゃが所狭しと並んでいた。

それにしても「大人のおもちゃ」とは良く言ったものだよね。

言葉に力があるとするなら、これほどまで妄想と想像力を掻きたてるネーミングはないだろうと思う(^^♪

まあ、私達のようなエロプロになると(笑)、グッツなしでも十分、淫らな世界の扉を開けるけど、使い方次第ではラブタイムを華やかにしてくれるものも多数揃っているから、大人の社会科見学の際はぜひコースに入れてみてはいかがかな!?

でも、私達は商品ではなく消費者の方に興味があるんだけどね。

男女カップルで覗く人、男同士のお友達?単独さん・・・それぞれに目的の物は違っても、エッチな気分で店内を散策しているのは間違いないよね。

その中でも同世代らしき一組のカップル(夫婦)に焦点を当てて追いかけてみました。

旦那さんは綿密なスケジュールを練り、我が妻を「エッチな奥さん」にしたかったみたいだけど、店内に入って5分後、旦那さんを見る奥様の顔は軽蔑に変わっていた。

でもね、私が思うには、奥様が思う以上に旦那さんは素敵な人だと思うんだけどね。

私なら先生がエッチな遊びを駆使してくれると嬉しくて仕方ないんだけどなぁ〜。

だって・・・そうでしょ!?

その時間、どんな時よりも私のことを思ってくれていることになるのだからね・・・。

愛しているの一言より何倍も愛情を感じてしまう私は・・・変態なのかなぁ〜(^_-)-☆

昔、書いていた「灰になるまで恋を…」のキャッチフレーズは、「淫らさも愛の形」だった。

今もその気持ちに変わりはないけど、年を取っても女として抱いてもらえる幸せは、出逢った頃より深くなっている。

女という生き物は、女一人では維持できないのかもしれないね。

では、先生がいる限り・・・私は不滅です(^_-)-☆

美月

ひとりごと…美月

先生のお父さんの体調が思わしくなくて、入院生活を始めて一週間が過ぎようとしている。

心臓が悪いとは聞いていたけれど、83歳という年齢を考えると心配は募るよね。

この夏で先生の奥様が亡くなって三年が経つんだね。

雨音の滴る音に鬱々とした日々を過ごしていたけれど、今夜は久しぶりに窓を開けて夜空を眺めると、夏の星座が順序よく並んでいた。

点灯する星を眺めていると先生からメールが届いた。

お父さんのことを気に掛けながらも、その病状から奥様の最期の時を思い出すのだろうね。

本物の夫婦というのは、一人が病になると、もう一人も同じ苦しみを背負うものだよね。

私は残念なことに完全な夫婦体系を築けないまま尻切れトンボ状態でいるけれど、先生のことに置き換えてみると、先生がどんな想いで奥様と過ごしてきたのか…少しなら察することができるし、時間が経過するほどにその思いは深くなる。

一年前…

一周忌法要を済ませた夜のメールに、先生の悲しみの深さを改めて知ることになった。

(お前が十年もいてくれたからこうして生きているのかも しれないね)

そう言われた時、絶対に先生を失いたくないと思った。

先生の食道癌が見つかった時は生きた心地がしなかったけれど、でも、死なないととことん思い込んだ。

もちろん私が居ても居なくても先生の寿命は変わらないのかもしれない。

でもね、先生を一人死なせるわけにはいかないからね…。

私は無力ではあるけれど、少しでも先生のお役に立つことができたなら本望だし、私が先生を悲しませることだけは避けたいと思っている。

だから、どちらも先には逝けないね…。

二人になると一人の寂しさが身に染みるでしょ。

偶然にも同じ日に生まれてこれたのだから、最期も一緒がいいんだけどね・・・。

でも、そんな奇跡が起こったらブログに書きたくなるだろうなぁ・・・(^^ゞ

美月

これも愛???…美月

少し記事の感覚が空いてしまいましたが、前回の続きを…。

吉田町のバーで飲んだ後は、京急の黄金町にあるラブホテルに泊まります。

位置的には黄金町と日ノ出町の間くらいかな!?

京急の一駅は軽く歩いて行ける距離ですが、この一区間は夢と希望と絶望が入り混じっていて、戸口のない店内から吐き出されるホルモンの煙が盛り場としての貫禄を醸し出している。

今どき珍しくチェーン店の居酒屋が少ない町並みにも新しい風が吹いているのか?
どぶ川が似合いそうな灰色の影は殆ど見ることがなくなったけど、何処に潜んでいるのだろう???

先生と出会ったばかりの頃、昼間でも宵闇迫る人達が肩を寄せ合い路上で酒を酌み交わしていた川沿いも、今はすっかりと様変わりして観光地と化しているね。

時代が変われば見方も変わる(評価が変わる)ものだと改めて思った・・・。

もちろん仕掛け人はいるのだろうけど、ただ大岡川の汚さは昔も今もさほど変わりはないと先生がぼそっと言ったのが印象的だった。

春になれば両岸の桜が緑色の川面にピンクの絨毯を敷き詰めて花見客の心を和ませてくれるけれど、普段は私の住んでいた町に流れる呑川に負けないほど淀んで悪臭がするんだけどね。

横浜は目まぐるしい進化を遂げているけれど、いつか横浜DeNAベイスターズが優勝した際には、阪神ファンの聖地(道頓堀川)のように、感極まって大岡川にダイブするベイスターズファンの姿が観れるほど水質レベルが向上すればいいけれど…。

上物ばかり立派でも足元がぬかるんでいれば、全体の風景としては間違い探しのイラストのようにどこか滑稽な気がする。

でも大半の物事は、間違いだと指摘されなければ気付けない偽物に魔やかされているのかもしれないなぁ。

だから人の目に頼らず、自分自身の価値観を高めることが必要な世の中になってきたのだろうと思う。

私は先生が好きで好きで仕方ないけれど・・・好きなことに理由はないと今ははっきり言える。

だって・・・好きになってしまったんだもん、今更理由なんて考えたところで客観視するだけのことだもんね。

今日は先生が久しぶりに眼の検査に行ったけれど、今のところ目立った異常はないとわかってホッとした。
 
客観的に見れば大袈裟だと思われるだろうけれど、先生のことになると神経質になる私に対して、好きな男のことを心配するのは当然だとする先生がいるのだから、愛とは磁石みたいなものなのかもしれないね。

あれ? 私は何を書こうとしていたんだっけかな???

最近、先生は私のことを「頭の不自由な人」と丁寧な呼び方をしてくれます。

だからね・・・介助者が必要なんだって・・・(^^ゞ

美月

プロフィール

不良老人カップル

Author:不良老人カップル
___________

(♂) 紅殻格子(べんがらごうし)
1962年8月23日生まれ。
某大手企業に勤めながら官能小説を雑誌に発表する兼業作家。ブログ『妄想の座敷牢』を主宰するも、2012年、妻を亡くし、また自身も食道癌に罹り、文筆活動をしばらく停止していた。

(♀) 美月
1962年8月23日生まれ。
3人の子供と夫を持ちながら家業の役員を務める兼業主婦。ブログ『灰になるまで恋を』を主宰。 偏屈な紅殻格子と10年に及ぶ愛人関係を続けられる自身もまた偏屈で変わり者。
___________

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