都会の休日風景(1)…美月

先週末は久しぶりに都会の楽しさを満喫することができた。

土曜日は赤いスカイラインのボディコーティングもあり、時間待ちの間、先生行きつけの中華料理店でお昼ご飯を食べてから、先生の家の掃除をした。

久しぶりに程よく辛い担々麺が食べられて、体の内側からパワーが漲って来るのを感じたなぁ〜(^^♪

まあ、先生曰く、頭のおかしいレベルの辛さらしいけれど、夏はスパイシーなものが恋しくなるよね。

先生の家に着いてリビングに入ると、いつもならウォンウォンと吠えてくれるボコの姿はなかった。

もうボコには逢えないとわかっていたけれど、実際にボコの棲家のないリビングはとても広く感じられたよ。

どんな想いで檻をたたんだのかと思うと、私まで悲しくなった。

ボコの代わりにはなれないけれど、これからはボコの分も先生のことを見守っていこうと思った。

そう思いながら掃除機をかけたら、空の上からボコが下りてきたかと思うくらい部屋中にボコの匂いが広がった。

懐かしい匂いの沁み付いた掃除機をかけると、ニャンピ(先生の家のイケメン猫)までボコを探しているように見えたよ。

出会ったばかりの頃、犬と猫はどちらが幸せなのだろうか?とメールを書かれていることがあったね。

確か・・・ニャンピが遅くなってもなかなか帰ってこなくて、心配しながら待っている夜だったと思う。

飼い主に忠実で、主人の帰りを心待ちにしている犬は可愛い。

でも猫の奔放さに比べたら、犬は幸せなのだろうか?という内容だった。

他の家の犬猫さんには、本人達に直接聞いたことがないからわからないけれど、ボコとニャンピに限ってはどちらも幸せだと思う。

だってね、私も先生に飼われて幸せだもん。

ボコ…

ボコの大切なご主人様と相棒のニャンピは今も元気に暮らしているよ。

いつまでもボコと一緒にね…。

美月

 ボコ14

逢瀬に向かう車窓から…美月

今日は先生の家の掃除の日となりました。

毎日、仕事に出かけて家事をこなし、休日は千葉で過ごすとなると、家の中まで手が回らなくなるよね。

最近は共稼ぎという言葉が不自然に感じるほど、女性が家にいる時間が少なくなった。

私が幼い頃は、家が商売をしていたので、夫婦の役割分担もサラリーマン家庭とは違っていた。

ランドセルのほつれが大きくなるにつれて、首から鍵をぶら下げている子が増えてきた。

鍵っ子と呼ばれた子供は、世間から可哀想な子としての扱いをうけていたけれど、私の知る鍵っ子達は私の何倍も豊かな暮らしをしていたように思う。

京浜工業地帯に面した商店街の近くには町工場が並んでいた。

時代の流れは生産性の高さを求めるようになると、職人と呼ばれた人達の数は減り、一方で女性にも働く場が与えられるようになった。

ご近所さんと仲良く肩を寄せ合いながら、お茶を飲み飲みこなしていた内職仕事は人気がなくなり、月給制度に釣られて働きに出るようになった。

あれから40年…。

住まいや身なりは豊かになった。

今や月賦は当たり前で、銀行さんが「お金を借りてください」と下級生活者にも頭を下げて回っている。

物が豊かになれば心も豊かになれると信じて懸命に働き続けてきた日本人は、いかにして楽して金を儲けられるか考えるようになってしまったね。

私は先生の居ない過去には戻りたくないけれど、寅さんの映画を見ていると、二人でこの時代を生きていたら馬鹿みたいに楽しかっただろうと思うよ。

ううん、私達の心には今もあの頃の匂いが染み付いているのかな。

先生の匂いに懐かしい故郷の風を感じるからね。

美月

しあわせだなぁ〜美月

昨夜の先生の記事を読みながら、私、幸せだなぁ・・・と何度も思った。

今回に限らず、先生の言葉がどれほど励みになっているか…。

好きな人にここまで言われて天に昇らない女がいるとしたら、その女は詐欺師だと思う(^^♪

昔ね・・・出逢った頃は、歯の浮くようなことを一切書いてはくれなかった。

もちろん小説を書く先生からラブレターをもらったら、偏屈女だから真意を疑うけれど、今は穏やかでゆったりとした時の流れに心が和みます。

夕方になると散歩に出かける老夫婦がいます。

冬場は16時頃、夏場は17時過ぎに、雨の日以外は二人で仲良く歩いています。

二人を見かけるようになってから4年くらい経つかな!?

最初は脳梗塞の影響なのか・・・思うように歩けなかったおじいさんだったけれど、最近は右左同じ歩幅で足が出るようになってきた。

おばあさんの日焼けした顔が印象的で、おじいさんの分まで農作業しているのだろうと予想される。

二人は何か話す訳ではないのだけれど、おじいさんが杖で指す方向には小さな花が咲いていて、おばあさんは杖の先を見つめては優しく微笑んでいる。

おばあさんの顔が綻ぶと、おじいさんはとても満足そうで、見ている私まで誇らしくなるんだよね。

二人がいつまでも一緒に歩けるようにと…他人ながら願っています。

そう思うのも、二人の姿を先生と私に映して見ているからかもしれないね。

美月

紅殻格子の日記(67) かけがえのない人

紅殻格子の日記(67) かけがえのない人

今週も東浪見へ行って来ました。

読者の皆さんも飽きるだろうほど毎度変わらず、茫漠たる九十九里浜を見ながら土日を過ごしています。

十八歳の時、初めて旅して衝撃を受けた九十九里浜ですが、今は私の心を包み込んで癒してくれる大海原です。

宇宙に永遠はないとしても、蟻の心に永遠があるとすれば、私にとってこの海はその象徴であるのかもしれません。

かけがえのない宝物です。

いつかこの海が眺望できる家で、毎日静かに小説を書いて暮らせることを願っています。

もちろん美月と一緒に。

好きとか嫌いとか、そんな幼稚な感情では言い表せない、かけがえのない女性に出逢えたことを感謝しています。

結婚とか、不倫とか、そんな下世話な規程ではなく、肉体のみならず思考まで一つになってしまった存在とでも表現しましょうか。

深海魚のチョウチンアンコウ類は、雌に比べて雄の体が非常に小さく、雄が雌の体に噛みつくと皮膚が融合して血管まで繋がってしまいます。

そして雄は精巣以外退化して雌の体に取り込まれてしまうそうです。

チョウチンアンコウに意識があるか否かはわかりませんが、これは寄生という概念を超えて、脳すら吸収された雄は雌の中で生き続けるのでしょうか?

恋愛において、空気のような存在という言葉がありますよね。

でも空気は自分を取り巻く外界であって、個の自由を意味するもので、決して意識の融合というものではありませんね。

何て言えばいいのか、意識を補完し合っているような感じなのです。

つまり代替がきくということは、同じものであるということに他なりません。

今週は茂原の「アジサイ屋敷」というところへ行って来ました。

山の半分が一面のアジサイで、個人の庭園としてはケタ違いの規模だと思います。

アジサイにもいろいろな種類がありますが、好きなものを一つ選べと言われれば、おそらく私と美月は同じものを選ぶと確信しています。

良いか悪いかは別として、そこにはもう一人の自分がいるのでしょうね。

あじさい屋敷

先生マニア…美月

千葉に通うようになってから、もうすぐ二年が経とうとしている。

最近では食材の買い出しを済ませると、早々に東浪見の宿に向かうようになった。

…とは言え、満足のいく夕食を食べに東浪見に通っているわけだから、そう簡単ではないけどね。

まずは君津にあるJA味楽囲おびつ店で新鮮な旬の野菜を買う。

今の季節は、先生の大好物の枝豆と私の好物トウモロコシを真剣に選んでいます。

ここの直売所の野菜は造り手の名前入りで販売されていて、農家の人が食べている一番おいしい農産物をおすそ分けしてもらっているような安心感があるんだよね。

次に久留里にある喜楽飯店でお昼ご飯を食べる。

先生は麻婆ラーメン、私はイカラーメン、二人で一枚の餃子を仲良く食べるのが日課となっています。

ほどほどにお腹を満たすと、これまた久留里にある造り酒屋(藤平酒造)で冷酒と梅酒を買う。

今回から久留里でやらなくてはいけないことが一つ増えた。

先生がこれだけは嫌がっていた駅前の水汲み場で名水を汲んで持ち帰ります。

久留里の名水ですが、いつも喜楽飯店で出されているけど、生で飲むよりも加工(料理や焼酎の水割りなど)して飲むことで名水度がアップします。

そして久留里から睦沢町に向かいます。

睦沢町の道の駅でトマトと玉子とマカロニと納豆を買います。

納豆は好みもあると思いますが、トマトと玉子とマカロニは、絶対に他では買いたくないほどのお気に入りです。

道の駅の前にあるスーパー(HAYASHI)では、焼酎、チーズ(先生の食道癌予防)、アイスコーヒー、おせんべい、お豆腐など、殆ど決まったものを買います。

次は魚平(鮮魚店)で大きな浅利(必ず買います)と、ある時はナガラミ、その時入荷に応じてウニや生エビ、刺身と先生が今一番美味しそうだと思うものを選んでくれます。

…とここまでは、毎回、外すことのできない買物コースです(^^♪

以前は宿に向かう前に一つ、二つ、寄り道をしたのですが、最近は日が伸びてきたので、のんびりとした夕暮れ暮れ時を楽しみたくて買い物を終えると早々に宿に向かいます。

今回は嬉しいことに先生が釣り道具を持ってきてくれました。

東浪見の宿から海まで歩いて行けるのですが、大量に連れた時のことを考えて!?、車で漁港まで向いました。

先生は子供の頃から釣りが好きで、海での想い出話を色々聞かせてくれました。

先生の話を聞きながら、いつか一緒に釣りが出来たら楽しいだろうなぁ〜と思っていたけれど、今回実現できて大満足です。

私はなんでも先生と一緒がいいので、私の知らない先生の時間を塗り絵のように色を付けて二人の想い出に変えられたらいいなぁ〜と思っています。

でも、何が一番嬉しいかと言うとね…釣竿まで用意してくれた先生の気持ちです。

釣りに限らず、いつも楽しい時間を過ごす為に色々と考えてくれる先生の優しさが嬉しくて、どんなプレゼントをもらうより心が浮き立ちます。

先生はとても頭の良い人なのですが、がり勉(死語?)とは違って、遊び上手=生き方上手なのだと思います。

今回は食べられるお魚は釣れなかったけれど、また一つ、先生と共通の体験ができて嬉しかった。

今朝、出かける支度をしながらワイドショーを観ていたら、恋人がいない若者の4割弱は恋人が欲しくないと報じられていた。

それはいいとして???、欲しくない理由の半数近くが「恋愛が面倒」という回答だったのに驚いた。

でも、私も先生と出逢っていなかったら、恋に否定的だったかも…(^^ゞ

えへへ、そうなると恋そのものが特別なのではなく、先生が素敵だから恋が輝くんだね。

万年、先生マニアの美月です。

海釣り

紅殻格子の日記(66) 『機関車やえもん』

紅殻格子の日記(66) 『機関車やえもん』

我々と同様の年輩者ならご存知だと思いますが、小学校の頃の国語教科書に『機関車やえもん』という話載っていましたね。

私はこの話を今も鮮明に記憶しています。

当時はわかりませんでしたが、調べてみると『山本五十六』や『井上成美』で有名な阿川弘之の作品でした。

まあ、鉄道好きな小説家ですからね。

知らない方のためにストーリーをウィキペディアから拝借。

とある支線が通じる田舎の小さな機関庫に、「やえもん」という名の蒸気機関車がいた。
やえもんは年寄り機関車で、今日も同じくらい年寄りの小さな客車を引いて、町の大きな駅との間を、行ったり来たりしている。
ある日、町の駅に着いたやえもんは、電気機関車などに「びんぼうぎしゃ」と馬鹿にされ、「自分はまだまだ走れるのに」と、腹を立てたまま帰路についた。
ところが、あまり腹を立てたために煙突から排煙だけでなく火の粉も吐き、それが線路脇の田んぼのわらに燃え移って、火事になってしまう。
幸いすぐ消し止められたが、火事を起こしたやえもんに、周囲の住民たちはすっかり怒ってしまった。
鉄道の職員たちはかばってくれたものの、人々の怒りはおさまらず、やえもんは走ることを許されなくなり、とうとうスクラップにされることが決まってしまう。
解体のため電気機関車に牽引されていこうとするとき、運良く通りかかった博物館の人に「珍しい古い型だ、日本にも数台しか残っていないはず」と引き取られ、交通博物館で保存されることとなった。

さてさてこの話、現代の人であれば、英国の『機関車トーマス』に似ていると思われるでしょうね。

おそらく年代的にはトーマスの方が古いので、阿川が着想をどこから持ってきたかはわかりません。

国鉄150型蒸気機関車がモデルの実話に近いとも言われています。

答えはどちらでもいいのですが、私達が当時感じたのは、やえもんが可哀想でならなかったことなのです。

最後はハッピーエンドなのですが、古ぼけた機関車が虐められ、とうとう解体されてしまうと言うくだりは、子供心にとても切なかったのを覚えています。

バージニア・リー・バートンの『ちいさいおうち』という童話も、可哀想で可哀想でドキドキハラハラした物語でした。

今思うと、私達は生命のない道具を擬人化して感情移入していたわけです。

このような妄想経験は幼児期において大切だと思います。

家にある家電製品でも擬人化して考えれば、彼等にも不満や喜びがあり、捨てられる哀しさやスクラップにされる恐怖が妄想できるのです。

その結果、物を大切にする心が育てられるのではないかと考えます。

やがてその心は、物から動物へ、動物から人へと移り、人を愛しむことをしっかりと身につけることができるでしょう。

テレビの機関車トーマスはあまりにも人間化し過ぎていて、最初から人として見做してしまうため良くないかもしれませんね。

物言わぬ存在を愛しむ気持ちがあれば、動物や人間の虐待など起こらないと思います。

是非皆さんも子供さんに読んであげたらいいですよ。

ただ、やえもんを好きになると、私のように強烈な鉄道マニアになる可能性もあるので注意して下さい。

逢瀬に向かう車窓から…美月

何日かぶり陽の光に車窓の景色も眩しく感じる。

曇りの予報が晴れに変わると、陽射しを求める夏好きが揃って車内を賑わせている。

もちろん私も夏好きなので、行き先は違っても同志と共に出かけられて嬉しいなぁ〜。

でも…ちょっと混みすぎているような⁈

平日の満員電車に比べたらスマホを触れるだけましなのかもしれないけれど、子供の頃、お盆以外に家族で出かけることのなかった私には、普段着の家族連れが新鮮に映る。

2メートル幅もない路地裏で茣蓙を敷きながら、クーラー代わりにビニールプールに水を貼り、幼馴染みと過ごした夏が懐かしい。

漫画を回し読みしながら、持ち寄ったお菓子を分け合い次の食事時間まで肩を寄せ合い過ごした仲間達も今は立派な中高年だね。

もう2度と逢うことはないと思うけれど、それぞれの暮らしの中で精一杯輝いていて欲しいと思う。

都会の蛍は籠に入れられ売られていて、美しく光る姿を見る前に消えてしまった。

今思えば、私も同じだったのかもしれない。

鳩を可愛がる先生を見ていたら、半分ヤキモチ妬きながら、あと半分は誇らしかった。

今までも、これからも色々な先生に逢えると思うと嬉しくなるよ。

こんな毎日の繰り返しが幸せなのだと思う。

美月

鳩とオジサン…美月

新大久保、新宿…どちらも異文化に触れる感覚で歩けたので海外旅行しているみたいで面白かった。

異質なものに接することで知識として得られるものは多いし、その街ならではの空気だったり、価値観の違いを日本の中で感じられるのだから、東京は何でも揃っているテーマパークなのだろうと思う。

でも、フランス料理の後にお茶漬けが食べたくなるような気持ちに似て、知らない街を歩きながら慣れ親しんだ街を懐かしく思ったりもするんだよね。

まあ、言い方をかえると・・早く帰りたい(^^♪

…と言うことで、新宿伊勢丹地下街で高級フランスパンを買って上野へと向かった。

上野の公園口改札を出ると、美術とは縁遠い顔をした人達で賑わっていた。

いつもながらの光景に嫌味を一つ二つ吐き出しながら、まるで自宅の庭を歩くように公園内を巡回した。

六月に入り気温が上がったせいか・・・噴水前で休憩する人も増えてきたね。

先生と私はこの場所がお気に入りで、一日人間観察しながらお酒を飲んでも飽きない自信がある。

上野には新宿にはいないだろう人達がいっぱいいて楽しいんだよね。

老若男女のカップル、同性カップル、家族連れ、単独の男と女、得体の知れない人、得体は想像できるけれど理解不能の人etc…。

分類マニアの先生にも仕分けできない人が多いのも、今も地方色が残る上野ならではかな。

噴水前の地べたに座り、途中で買ったウーロンハイとフランスパンを食べだすと、平和の象徴の鳩が近付いてきた。

確かに食糧難だったら、まっさきに生け捕りにされて食べられてしまうだろう鳩が呑気に歩ける今だから、日本は平和なのだと思う。

一匹の鳩にパンを千切ってあげると、その様子を見ていた他の鳩がどこからともなく飛んできて、すっかりと鳩に囲まれてしまった。

「他の人の迷惑になるから餌をやるのをやめなさい」と先生に言われたので、鳩を散らして静かな空間に戻した。

…戻したはずだったけど、ふと横を見ると、一匹の鳩と戯れる先生の姿に愕然とした。

人にダメと言っておきながら、先生は瞬時に馴らして手乗り鳩にしている…(*_*)

まるで「母を訪ねて三千里」のマルコ少年とアメデオ(サル)のように、心を許し合っているように見えたよ。

50を過ぎたおじさんを可愛いと言ったら敬遠されるかもしれないけれど、幼稚園児のような純粋な目をした先生が愛おしかった。

大人の階段を上るうちに少しずつ忘れ去られてしまう純粋な心、でも何かに夢中になっている瞬間は子供に戻れるのかもしれないよね。

ううん、誰もが子供心を失っているわけではないのかなぁ…。

表に出す機会を失くしているだけで、先入観というフィルターを外したら創造世界は広がるのだと思う。

人生経験から得たものは大きいけれど、それ故に新しいものを拒否してしまう自分を見つけると、私も年を取ったなぁ〜と思ってしまいます(^^ゞ

そんな私に刺激と愛のムチを与えてくれるのが先生の存在です(^_-)-☆

美月

鳩とオジサン

東京散歩(新宿)…美月

新大久保から流れるように大通りに出て、なんとか新宿まで辿り着きました。

夜のネオン街も昼は寂れて見えて、どこか物寂しい感じがしました。

新宿駅前(アルタ前)の通りに出ると、ここも人・人・人・・(^_-)-☆

それにしてもこれだけ大勢の人がいるのに、自分と同じ人が二人といないのですから面白いものですね。

まあ、見つからなかっただけで、実はもう一人の私が歩いていたかもしれないなぁ(^^ゞ

せっかく都会に出てきたのだからと、一流デパートの地下街を覗いてみると・・・またまた人・人・人です。

普段、デパートなど歩いたりしないけれど、こんな高価なお惣菜を買って帰る人がこんなにも大勢いるのかと思ったら、ちょっとショックだった。

豊かな暮らしに憧れながら、デパートのお惣菜を高いと思ってしまう自分がいる。

もちろん買えないほどの値段ではないけれど、多分、この先も買うことはないだろうと思ってしまったのは何故だろう???

一度沁みついた貧しさは、上書きして消去することはできないのかな!?

千葉に行くようになってからというもの、今まで抱いていた衣食住の価値観が変わってきてる。

贅沢とは何か・・・お金を使うことばかりが贅沢ではないですよね。

私は先生と過ごす時間に贅沢を感じます。

人生の喜びも悲しみも、多様な価値観、人生観もそうですが、先生と過ごす時間の中で深い意味合いを含んできました。

私は先生以外の人に心を許したことがないのですが、愛ほど贅沢の極みはないと思っています。

だってね・・・ずっとこうして…このまま…と思えるほど、今を大切に思う気持ちに出逢えることってないもんね。

美月

東京散歩(新大久保)…美月

昨日は久しぶりに「ザ・都会」の町並みを散策しました。

新大久保のコリアンタウンから花の大都会「新宿」までの道のりは、短いながらも目に飛び込んでくる景色がブロックごとに違っているので何日間も旅したような気がします。

さすがに東京は見るもの聞くもの何でも新しいなぁ・・・。

流行り物が留まる時間が短いよね。

きっと、私が知る前に消えた商品も沢山あるのだろうなぁ・・・。

まあ、世の中から消えてしまうのだから大したことはなかったのだろうけどね!?

それにしても・・・人の多さと言ったら、蟻の行列以上に数えきれない。

加山雄三の「ゆうゆう散歩」ではないけれど、幾つになっても遊び心を忘れたくないと思いつつも、鳴門の渦潮に突き落とされたように人の動きに目が回りました。

先生の引率があるから何とか歩けたけれど、方向音痴の私は、昔の遊園地にあったミラーハウスのように出口が見つからない恐怖心との戦いでした。

一時、韓国政府との摩擦で閑散としてしまったと聞いたコリアンタウンは、今も大勢の女性客で賑わっていました。

イケメン通りという名の道があったりするのですが、どこにイケメンがいたのかな!?

時折、イケメン風な若者が店のチラシを配っている光景を見かけましたが、私には先生の方がイイ男に見えていました。

まあ、痘痕もえくぼというじゃないですか・・・んっ?恋は盲目の方がしっくりくるかな(^_-)-☆

新しい町並みには馴染むことができなかったけれど、新大久保には下町の路地裏が残っていました。

私が子供の頃に住んでいた町の風景によく似ていていました。

でも狭い路地の隙間から聞こえてくるのは知らない国の言葉でした。

最近は休日東浪見生活が板についてきたので、都会のネズミと田舎のネズミの話ではないけれど、刺激よりも安らぎを求める割合が大きくなってきているのかもしれません。

まあね、田舎で暮らせば都会遊びにいそいそと出かけると思うけどね。

都会にないものは、睦沢にすべてあります。

↑ 大好きな町(睦沢町)のキャッチフレーズですが、東浪見の良いところは何もない贅沢です。

何もないからこそ「食べる・寝る・遊ぶwith愛する人」…という人間の原点を満喫できるのだと思います。

美月
プロフィール

不良老人カップル

Author:不良老人カップル
___________

(♂) 紅殻格子(べんがらごうし)
1962年8月23日生まれ。
某大手企業に勤めながら官能小説を雑誌に発表する兼業作家。ブログ『妄想の座敷牢』を主宰するも、2012年、妻を亡くし、また自身も食道癌に罹り、文筆活動をしばらく停止していた。

(♀) 美月
1962年8月23日生まれ。
3人の子供と夫を持ちながら家業の役員を務める兼業主婦。ブログ『灰になるまで恋を』を主宰。 偏屈な紅殻格子と10年に及ぶ愛人関係を続けられる自身もまた偏屈で変わり者。
___________

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