『房総珍百選』 鹿野山 神野寺
『房総珍百選』
鹿野山神野寺
・訪問日 25年 2月7日(土) 天候 小雪交じりの雨
・概略
神野寺(じんやじ)は、千葉県君津市にある真言宗智山派の寺院。
鹿野山琳聖院と称し、本尊は薬師如来・軍荼利明王。
由緒
寺伝によれば、聖徳太子の開創により創建されたと伝えられ、
永正年間(1504年~1521年)に真言宗の僧弘範により中興されたという。
(Wikipedia引用)
珍光景① 宝物館の看板の写真
色々盛りだくさんの内容が書かれている看板です。
んっ?よく見ると、恐竜の卵があるらしいね。
「恐竜の卵」
北京市を北にさかのぼった内モンゴルとの境目近い、
東ゴビ地区にて採取された卵の化石らしいけど、
一体、この恐竜の卵と宗教の因果関係はなんだろうね?
まさか!!!ただのお宝自慢???
そう言えば、このお寺、昔、トラ脱走事件を起こしたんだっけ(^^;)
1979年(昭和54年)当時寺の境内に動物園を併設しており、そこで飼育されていたトラ2頭が逃げた。
結局トラは射殺された。 これに関連し忌野清志郎によって追悼コンサートが開催された。
この時、住職は寅を撃った猟友会(ハンター)に対し、「トラを殺すな!」と文句を言ったらしいけれど、トラは逃げている間、民家で飼っていた犬を食べちゃったんだよね。
どの命も命の尊さは同じだろうし、愛するものを失った悲しみも皆同じだと思うけれど、
仏の心を実直に伝えるべきメッセンジャーが虚偽を強要してはいけないなぁ〜。
ちなみに神野寺のご本尊は、12年に一度、寅年に御開帳されるらしい。
どんだけぇ〜トラ好きなのだろうね。ちなみに先生と私も寅年です。
・珍光景② 透明浄財箱
経堂の入り口にクリア(透明)な浄財箱が置かれていたけれど、クリアにする意味はどこにあるのだろうか?
募金箱で調べてみると、透明の場合、不透明の14%寄付が増えたというデーターがあった。
パーセンテージは条件により違うものの、千円札が投じられた後から1人当たりの募金額が増えるらしい。
各種のお札、お守り収入では物足りず、お布施にまで儲けを重視した経営放心に学ぶことが多いなぁ〜。
珍光景③ 天狗の写真
このお寺の最大の見せ場と言ったら、裏と表があり、お寺と神社が本堂内で仕切られている構造の面白さ。
天狗様はいるし、聖徳太子はいるし、役行者(えんのぎょうじゃ)白い蛇は軍荼利明王の化身とされている。
その他、多数の有名どころの神様仏様が祀られていて、ここに来れば何でも揃う、まさにお寺のテーマパークのようなところです。
昔の人にとってお参りは、今でいう観光旅行のような楽しいものだったのだろうしね。
それにJR東日本のコマーチャルを見ていると現代に至っても神頼みなのかなぁ〜と思う。
時代が巡り巡っても、人間の本質は変わらないものだね。
まあ、生きている人に喜びや楽しみを与えてこその仏教なのだから、商売繁盛大いに結構じゃないですか(^^)/
・珍光景④ 阿久里王の墓
《その昔、鹿野山に棲(す)む阿久留(アクル)王と呼ばれる悪鬼が、上総一帯を支配していた。阿久留王は東征で上総に進軍した日本武尊(ヤマトタケル)と戦う。鹿野山山麓の鬼泪(きなだ)山で両軍は激しく争い、敗れた阿久留王は六手(むこ)の地で捕らえられ、殺される。日本武尊は阿久留が蘇(よみがえ)るのを恐れ、その体を八つ裂きして別々の場所に葬った。》
神野寺の近くに阿久留王(胴体)のお墓がありました。
でも、阿久留王が鬼だったかというと疑問は残りますが…(^^ゞ
以前、伺った飯縄寺さんで聞いた話では、昔、山には山賊が住んでいたので旅人は山道を通らず、船で行き来していたと聞きました。
まあ、天狗に扮した山賊だったのかもしれませんが…。
また以前伺った長福寺さんの話を合わせてみると、阿久留王は蝦夷人(アイヌ人)であり、
日本武尊(ヤマト朝廷)は蝦夷民に対し征服を図ったのではないかと考えるのが筋のような気もする。
でもね…お寺も商売だからね、何か売りがないと存続が危ぶまれるよね。
そこで天狗(修験道)のパフォーマンス(見世物)で参拝客を増やしたのだろうね。
それを裏付けるように年間行事の多いこと…(^^ゞ
まあ、生きている人に喜びや楽しみを与えてこそ仏教だから、商売繁盛大いに結構じゃないですか(^^)/
でも…ここまでやるとはねぇ〜、ある意味脱帽ですね↓
神野寺の人形焼動画
美月
鹿野山神野寺
・訪問日 25年 2月7日(土) 天候 小雪交じりの雨
・概略
神野寺(じんやじ)は、千葉県君津市にある真言宗智山派の寺院。
鹿野山琳聖院と称し、本尊は薬師如来・軍荼利明王。
由緒
寺伝によれば、聖徳太子の開創により創建されたと伝えられ、
永正年間(1504年~1521年)に真言宗の僧弘範により中興されたという。
(Wikipedia引用)
珍光景① 宝物館の看板の写真
色々盛りだくさんの内容が書かれている看板です。
んっ?よく見ると、恐竜の卵があるらしいね。
「恐竜の卵」
北京市を北にさかのぼった内モンゴルとの境目近い、
東ゴビ地区にて採取された卵の化石らしいけど、
一体、この恐竜の卵と宗教の因果関係はなんだろうね?
まさか!!!ただのお宝自慢???
そう言えば、このお寺、昔、トラ脱走事件を起こしたんだっけ(^^;)
1979年(昭和54年)当時寺の境内に動物園を併設しており、そこで飼育されていたトラ2頭が逃げた。
結局トラは射殺された。 これに関連し忌野清志郎によって追悼コンサートが開催された。
この時、住職は寅を撃った猟友会(ハンター)に対し、「トラを殺すな!」と文句を言ったらしいけれど、トラは逃げている間、民家で飼っていた犬を食べちゃったんだよね。
どの命も命の尊さは同じだろうし、愛するものを失った悲しみも皆同じだと思うけれど、
仏の心を実直に伝えるべきメッセンジャーが虚偽を強要してはいけないなぁ〜。
ちなみに神野寺のご本尊は、12年に一度、寅年に御開帳されるらしい。
どんだけぇ〜トラ好きなのだろうね。ちなみに先生と私も寅年です。
・珍光景② 透明浄財箱
経堂の入り口にクリア(透明)な浄財箱が置かれていたけれど、クリアにする意味はどこにあるのだろうか?
募金箱で調べてみると、透明の場合、不透明の14%寄付が増えたというデーターがあった。
パーセンテージは条件により違うものの、千円札が投じられた後から1人当たりの募金額が増えるらしい。
各種のお札、お守り収入では物足りず、お布施にまで儲けを重視した経営放心に学ぶことが多いなぁ〜。
珍光景③ 天狗の写真
このお寺の最大の見せ場と言ったら、裏と表があり、お寺と神社が本堂内で仕切られている構造の面白さ。
天狗様はいるし、聖徳太子はいるし、役行者(えんのぎょうじゃ)白い蛇は軍荼利明王の化身とされている。
その他、多数の有名どころの神様仏様が祀られていて、ここに来れば何でも揃う、まさにお寺のテーマパークのようなところです。
昔の人にとってお参りは、今でいう観光旅行のような楽しいものだったのだろうしね。
それにJR東日本のコマーチャルを見ていると現代に至っても神頼みなのかなぁ〜と思う。
時代が巡り巡っても、人間の本質は変わらないものだね。
まあ、生きている人に喜びや楽しみを与えてこその仏教なのだから、商売繁盛大いに結構じゃないですか(^^)/
・珍光景④ 阿久里王の墓
《その昔、鹿野山に棲(す)む阿久留(アクル)王と呼ばれる悪鬼が、上総一帯を支配していた。阿久留王は東征で上総に進軍した日本武尊(ヤマトタケル)と戦う。鹿野山山麓の鬼泪(きなだ)山で両軍は激しく争い、敗れた阿久留王は六手(むこ)の地で捕らえられ、殺される。日本武尊は阿久留が蘇(よみがえ)るのを恐れ、その体を八つ裂きして別々の場所に葬った。》
神野寺の近くに阿久留王(胴体)のお墓がありました。
でも、阿久留王が鬼だったかというと疑問は残りますが…(^^ゞ
以前、伺った飯縄寺さんで聞いた話では、昔、山には山賊が住んでいたので旅人は山道を通らず、船で行き来していたと聞きました。
まあ、天狗に扮した山賊だったのかもしれませんが…。
また以前伺った長福寺さんの話を合わせてみると、阿久留王は蝦夷人(アイヌ人)であり、
日本武尊(ヤマト朝廷)は蝦夷民に対し征服を図ったのではないかと考えるのが筋のような気もする。
でもね…お寺も商売だからね、何か売りがないと存続が危ぶまれるよね。
そこで天狗(修験道)のパフォーマンス(見世物)で参拝客を増やしたのだろうね。
それを裏付けるように年間行事の多いこと…(^^ゞ
まあ、生きている人に喜びや楽しみを与えてこそ仏教だから、商売繁盛大いに結構じゃないですか(^^)/
でも…ここまでやるとはねぇ〜、ある意味脱帽ですね↓
神野寺の人形焼動画
美月
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