逢瀬に向かう車窓から…美月

二月も終わりの日を迎えると、車内の色も少しずつ春めいてきた。

花を観に行く人の心が明るい服を選ばせるのかな⁈

それなら先生に逢いに行く私は、林家ペー、パー子のように、全身ピンクでいいのかもしれないなぁ〜(^-^)

でも今日は乗馬をするので、あまり馬を刺激しないようにしないとね。

隣に立つ同世代の女性二人は、様々な人の悪口を順番に並べている。

斜め後ろの三人官女は、仕事の愚痴を競っている。

四人掛けに座る熟年夫婦は、一時間一言も話すことなくしかめっ面で空想世界を彷徨っている。

会話、身なり、手荷物から行き先を想定すれば、花見に出かけるはずなのに、まるで会社に向かう苦虫みたいな顔をしてる。

同じ一日をどう過ごすかは思い通りでいいけれど、できれば笑顔の一つ二つ覗かせて、「楽しかったね」といって今日を終わりたい。

今日は明日の一つ前、終着駅までの道のりは思うより長くはないのだからね。
美月


房総珍百選② 千葉県睦沢町 歓喜寺(1)…(紅殻格子)

房総珍百選② 千葉県睦沢町 歓喜寺 (紅殻格子)

珍百景シリーズ第二弾です。

前回、美月が鹿野山神野寺を書きました。
神野寺さんは関東の人間にとって名刹ですが、年を取って改めて参拝してみると、寺の台所事情を含めて滑稽な矛盾点が見えてくるものです。

昔、神野寺さんの虎が逃げて大騒ぎになりましたが、老いて考えてみれば、動物園でもないお寺さんが虎を飼わなければならなかった事情もわかってきます。

それが珍百選・・ひねくれて年老いた人間だからこそ見えて来る真実です。
つまり老いとは哀しいことではなく、世の中のカラクリを透かし見ることができる悟りの境地に至ることだと確信しています。

さて今回は千葉県睦沢町にある東光山無量院歓喜寺さんです。
まずは誰が書いたか知りませんが、歓喜寺さんを綴ったブログを紹介します。

【睦沢町の文化財巡り② 歓喜寺】

寺崎字日当に広がる「やすらぎの森」に、東光山無量院と号する天台宗の名刹がある。
寺伝によると、人皇54代仁明天皇の嘉祥2年(850)に延暦寺座主円仁(慈覚大師)が東国への布教の途次、この地に来て、仏堂を創建し、阿弥陀如来を安置したのが始まりであるという。

他方、円仁が建立した仏堂は、本納の地(茂原市)で、長享2年(1487)に土気城主酒井定隆の「七里法華」の改革の際、改宗せず、現在地に移転したともいわれる。

享保9年(1724)9月13日に火災により全山を焼失したが、同13年(1728)に住職宗順が再建したという。
堂内に安置している不動尊像は、この地の領主・吉良源六郎が寄進したものである。

山門といい、境内といい、さらに本堂といい、実によく整備されており、久しぶりに心清く参拝することが出来た。境内の紅葉も素晴らしかった。

歓喜寺①

確かに画像に納めた通り立派な山門がある歴史に満ちたお寺さんです。

しかし・・おや、よく目を凝らして下さい。
本堂へ登る階段の脇に何やら黄色いものが並んでいるではありませんか。

近づいてみると、それは黄色のペンキでベタ塗りされた十二支の動物達でした。
しかも塗り方が汚く、ペンキが下の石までベタベタと垂れています。

歓喜寺②

つづく…

記憶力の不思議…美月

本当に人間の記憶とは不思議なものだね。

年を取ると最近の記憶はすぐに薄れてしまうのに、昔のこととなるとちゃんと覚えている。

それにもまして先生一緒に過ごす時間が長くなるほどに、不思議と幼かった時の記憶を鮮明に思い出すことが出来るようになった。

まるで生まれた時から一緒に居たように…意地悪で捻くれた小学生の頃の先生まで想い出の中に見えてくる。

まあ、この辺の感じは私と先生が入れ替わった想い出としてリメイクしているのだろうけれど…
通知表の差は歴然であっても、中身は同志だったのではないかなぁ〜・・・(^^♪

でもね、なぜ昔のことを今まで忘れて過ごしてきたんだろう?と思うことが多いんだよね。

先日、吉田町のイタリアンバーでマスター&店の女の子と京急電鉄の話で盛り上がったけれど(四人揃って京急育ち)、季節ごとの車内の匂いまで思い出した。

サルビアの蜜を吸い、おしろい花の種を割って化粧をする。
U字磁石に紐を付け砂鉄を集め、空き瓶を拾っては酒屋に持っていき現金収入を得る。

こうなると・・・多摩川沿いでペットボトルを大量に積んで自転車を漕ぐる勤勉な労働者とさほどの違いはない。
確か…ビンの栓も集めたような気がするなぁ〜。 

本当に思い出せば出すほど、情けないくらいレトロだよね。

サルビアの蜜は少しだけ舐めると甘かったけれど、スプーンに絞って飲んだら甘苦かった。

ご飯を食べていけないほど貧しくはなかったけれど、暮らし以上に心は貧相だったなぁ…。

いつも上ばかり見ていた。

「上を見たらキリがない」と大人に諭されても、下を見ても面白いものは何も落ちていなかったからね。

「お前を幸せにしてやりたいなぁ〜」と出逢ったばかりの頃、先生に言われたことがある。

普段、愛の言葉など屁の河童だと思っている先生に言わたんだもん、本当に嬉しくてね…泣き出しそうになったけれど、その反面、子供の頃に欲しかったものは、お金ではなく幸せだったのかもしれないと思った。

でもね、幸せを手に入れてしまうのが怖かったのも事実なんだよね。
 
手にしてしまえば、いつかは失ってしまうような気がして…
息を殺して懸命に捕まえたトンボをそっと逃すように手離してしまいたくなった。。

きゃあ~、ものすごい暗い性格だったね(笑)

今となってはしつこいほどの執着心を持って生きているけれど、私にも可愛い頃もあったんだね。

双六の上りは 旅の野垂れ死に…by紅殻格子

(どんなに幸せな人生であっても、最後は一人死んでいくということ)

聡明な先生に相応しい名言だと思う。

けれど、父を愛するがあまり世界一の幸福と不幸を背負った亡き母の生き様を思うと、あまりにもリアル過ぎて怖くなる。

いつか私も…先生と別れなくてはいけない日が来るんだよね。

だから今を精一杯生きるというのはわかりきったことだけれど、できれば未来永劫愛する人の傍に居たいと思う。

この気持ちはいつの時代も変わることなく、愛するがゆえの我儘かなぁ。
美月

横浜デート…美月

昨日の横浜デートも楽しい時間になりました。

久しぶりに先生の馴染みの中華料理屋さんに行きました。

まあ、味はあいかわらずですが、それでも顔を出すたび喜んでくださる笑顔に心癒されます。

焼酎片手に食事をしながらテレビを観ると、中国で「春節」と呼ばれる旧正月の休暇で日本への「買い物ツアー」が加速していることが報じられていた。

「爆買い」と呼ばれる中国人観光客の豪快なショッピングにバブル期の日本人を重ね合わせてみると、金額差こそあれ、そうそう人種の違いを感じることはないよね。

テレビを一緒に観ていた中華ママは、私達と一緒に驚き、私達と同じ感覚で中国を見ていた。

現にママは、中国商品は偽物が多いから買わないというし、中国人であっても騙されると笑っていた。

長年日本に住むママは日本人感覚が身に着いてしまったのかと思い聞いてみたところ、現地に住む中国人も同じように思っていると言っていた。

中華ママ、パパを外国人として深く意識したことはなかったけれど、日本人の視点で作られた中国否定的な番組を一緒に観ることができたことで、小さな世界の日本と中国の関係が縮まったような気がする。

私の知る中国人は不慣れな土地でみんなよく働いている。
それでも日韓関係が緊張すると、昨日まで住み慣れた場所であっても外国人扱いされてしまうのだろうね。

先生は馴染みの店を多く持たない。
何軒もあったら通いきれないから、気に入った店は二、三軒あればいいと言う。

私はそんな先生の優しさに無性に惹かれる。
この人でよかった、と…馴染みの店に訪れるたび嬉しく思うよ。
美月

逢瀬に向かう車窓から…美月

今日は横浜デートです。

デートという言葉が少々恥ずかしい年頃になりましたが、恋する女に年齢制限はなく、灰になるまで先生に憑いていきます(^-^)

今日は東京マラソンがあるのですが、東京の混雑を予想して横浜で遊ぶことになりました。

…と、いつもながら機転をきかせてくれる先生のおかげで、不快な思いから逃れられていることが沢山あるのだと思います。

この日の為に練習を重ねてきたランナーの気持ちを考えると、どんより曇る空の色が気になるけれど、せっかく迎えた今日だもん、思いっきり楽しんでほしいと思います。
美月

浅間神社…美月

茂平の滝(えさまの滝)の民話に心がほっこりしたけれど、同じ男女の仲でも色々あるよね。

次の日は一宮町網田にある浅間神社からスタートしました。

位置的にはいつも私達が泊る宿の背後にそびえ立つ山の頂上になるのかな?
梨街道を通るたび気になってはいたのですが、あまりにも近い場所にある為か、いつかいつかと思っているうちに一年経ってしまいました。

浅間神社は富士山を御神体とする神様で、木花咲耶姫(このはなさくやひめ)を祀っています。

急な階段を登っていくとお社があり、東浪見の海が一望できる。

延々と海に生きてきた人々を見守ってくれているのだろうね。

人気取り神社ではないけれど、町民の感謝の心が無人の境内の整った清掃に感じることができた。

話は変わるけれど…

鳥居横に立てられた看板に「木花咲耶姫(このはなさくやひめ)」の神話が書かれていた。

邇邇芸神(ニニギ神・アマテラスの孫とされる)がタカマガハラ(高天原)に降臨したとき、美しいコノハナサクヤヒメを見つけ、父である山の神・オオヤマヅミカミに結婚を申し込む。

オオヤマツガミは快諾し、木の花のように咲き栄え(=コノハナサクヤカミ)、
同時に石のように普遍長命であるように=(イシナガヒメ)と、の娘を二人の娘を娶わせた。

ところが姉のイシナガヒメは醜く、ニニギ神は妹コノハナサクヤヒメだけを残し、姉は追い返してしまった。

これを知った父オオヤマヅミカミは嘆き、「それなら(妹のコノハナサクヤヒメのように)花のように儚く散るようにしてやろう。 姉を娶ったなら石のように長寿となったものを…となる。

掻い摘んでいうと、美しい女を選んだが為に不幸が訪れたとなるのかなぁ〜。
先生ならどうすると聞いたら、「美人がいいに決まっているだろう!!!」と即答された(^^ゞ

そう言った時の先生の顔がいつも以上に凛々しくて、穴があったら入りたい気持ちになった私です。

「美人は三日で飽きるけれどブスは三日で慣れる」と言ったのは昔の話で、
今は「長年連れ添えば、いずれはどちらも慣れてしまうのだから、一度でいい、美人と暮らしたい…」となるらしいよ。

よしっ!、目指すは美人だね。
でも、美人の条件ってなんだろう???

まあ、間違っても、お腹はぽんぽこしてないよねぇ〜・・・(*_*)
美月

茂平の滝(えさまの滝)…美月

今回の旅の始まりは…

市原市にある山間の柳川地区からスタートしました。

千葉に行くと今まで通ったことのない道を散策することが楽しみとなっているけれど、国道、県道となってはいるものの、ハイキングコースもしくは獣道状態になっている道路もあるんだよね。

一般的に街道の先に集落ありとなるのだけど、人々の生活も歩きから車へと移動手段が変われば、整備された道が用意され生活道路はどんどん廃れていってしまう。

「…なんでこんな不便なところに人が住んでいるのだろう?」

千葉に行くたび、しつこいほど先生に投げかける質問だけど、本当はポツンと孤立した集落一つ作ったわけではないのだろうね。

千葉散策の最初の頃に比べると、秘境レベルはかなりアップしているように思うけれど、最近の先生はどこまでもバックで走行する技を取得したので、車一台通れる道があれば、「とりあえず進め!」とばかりにアクセルを踏む。

でも、山間の林道で真っ赤なスカイラインが前から走ってきたら、村人は振り返り、一大事とばかりこちらを睨みつけるよ。

まあ、どこに行っても不審車両扱いだけど、本気で悪いことをするつもりなら赤い車は選ばないと思うけどね。

柳川は渓谷になっていて、紅葉の季節ともなると美しい里山の景色を十分に醸し出してくれると予想されるけれど、真冬ともなると、♪「なんにもない、なんにもない、まったくなんにもない〜♪です(^^♪

えへへ、この歌を知っている人は、かなりの年代者となるかなぁヽ(^。^)ノ

柳川添いを進んで行くと、手入れがされた開けた場所が現れ、よく見ると枯れ木の合間に小さな滝が見えました。

「茂平の滝 (えさまの滝)」と書かれた看板が立っていましたが、当日はなぜこのような場所に滝の名が記されているのかわからなかった。

滝とは書いてあっても水量不足の為か、雨水が岩に染みている程度だったし、
そんな状態にも関わらず…茂平の滝とえさまの滝と二つの名前が付けられている意味がわからなった。

二人の名だと思わず、一つは別名だと想像した結果、先生は「茂平の滝」が正しいといい、私は「えさまの滝」が本当の名だといい、一日中、仲良く戯れていました。

帰ってから調べてみると…

茂平は地元に尽力した庄屋の長男の名で、えさまはそのお嫁さんの名でした。
二人はとても仲良く、90歳を超えるまで長生きした実在の夫婦だそうです。

手を握り合い、仲むつまじく語り合う二人の姿を見た村人達は、人を信じることの大切さを知り、滝の前を通るたび手を合わせるようになりました。

地元の人達は、現在に至っても九月になると「2人の魂が永久に生き続けてくれるよう…」白鳥神社と柳川の前で祈るのです。

そして…秋になると柳川の木々の葉が七色に染まるのは2人からの恩返しだとか。

このような伝説のある滝だったのですが、何も知らずに偶然訪れた私達でしたが、この地に下りた時、とても不思議な気持ちになりました。

当日は耳を削ぐほど北風が冷たく感じられたのですが、その場所だけがまるで春のように柔らかかったのです。

山間の地形が風を防いでくれていたのかな…。
きっと、遠い昔も、あの長閑で穏やかな風景に溶け込むように二人の姿があったのでしょうね。

立ち止まらなければ気付くことのなかった風景の中にも、心を揺るがす物語が存在するんですね。

何を求めて彷徨うのか…ふと旅をしながら思うことがあります。

小さな足跡を拾い集めて想像世界を膨らませれば、現実には会えない人達にも逢うことができる。

純粋な夫婦愛が人々の心を動かしたこと、そして二人を神仏に見立てそっと手を合わせた村人達の心の美しさに触れることができました。

大人になると感動が減ると、世間で耳にすることがあります。

それは大人になるほど世の中を知るので、新たな感動が生まれにくいということのようですが…。

世の中ってね、歩けば歩くほど知らないことが多いことに気付かされるのですが、私は若い頃の何倍も感動屋になったし、何を見ても知る楽しみへと繋がっていくのだから歩くことがますます好きになる。

一粒で二度おいしいアーモンドグリコのように旅が二人の絆を深めてくれているのかなぁ〜(^_-)-☆

先生はとても頑固な人ですが、その反面、柔軟な心を持っています。

私は先生のことをよく知っているつもりになっているのですが、
そんな先生が一旦旅に出ると、慣れ親しんだ都会生活の何倍も驚いたり笑ったり怒ったりと忙しいのです。

まるで初めて外に出してもらえた子犬のように、見るもの出会うものすべてにまっすぐ向き合う姿があまりにも愛らしくて…隙あればすぐに抱きつきたくなってしまいます。

先生は私との付き合いを長くするまで、自分がこれほどまで我慢強い人間だと知らなかった!と、しつこく何度も私に言いますが、自分も知らなかった自分との出会いだってあるのだから、人間、生きている限り、無限の発見があるのですよね。

だから茂平さんとえさまさんのように、二人仲良く長生きしたいなぁ・・・。
だって90歳の先生がどこまで慈悲深くなるか!?、想像しただけで楽しくなるでしょヽ(^。^)ノ
美月

茂平の滝(えさまの滝)

紅殻格子の日記(53)…謦咳に接する

紅殻格子の日記(53) 謦咳に接する

美月が書いてくれましたが私の恩人が亡くなりました。
恩人と言うのも厚かましほどその人は会社の偉い方で、『釣りバカ日誌』の浜ちゃんとスーさんぐらいの地位の開きがありました。

でも恩人は実に自由闊達な人で、地位の序列など関係なく、企画を考えると私のような者でも忙しいのに呼んで聞いてくれました。

その代わり新しい発想を持たない幹部連中は全く相手にもしませんでした。
だから世間はその恩人を厳しい人だと避けていましたね。

確かに仕事には厳しかったと思います。

彼の直属の部下達は、何日も徹夜をしなければならないほど過酷な要求をされていました。
そうしてメガバンクが明日すぐに一兆円貸しますと言わせる会社に彼は育て上げたのです。

長いサラリーマン人生、私もいろいろな経営者に仕えてきましたが、これほど剃刀のように切れる人物には初めて接しました。

でも捻くれ者の兼業作家である私がそれだけで人を好きになるはずがありません。

おそらく恩人も私も美月が言うように、同じような匂いを認識していたのだと思います。

人づきあいはできるが肌の合う人しか信じない。
発想力のない人間の戯言は、時間が無駄なので一秒たりとも聞きたくない。

反面自分の真意を理解できないものは徹底的に排除する。
新しいことを考えられない人間は、どんなにいい人でも猿以下であると断定してしまう。

好戦的な人間である。
だから真の友達ができない。
常に心の中は孤独で、事業という玩具で孤独感を慰めている。

酷い性格ですが何となく私の性格と似ているんですね。

でも本当に優しい人でした。
会社の人間はほとんどが信じませんが、謦咳に接することができた一部の人間は皆そう思っているでしょう。

私は恩人と二人きりで話して、いい年をして男泣きしてしまったことがあります。
会社で、しかも人前で泣いたのはその時が最初で最後でしょう。

今思い出しても涙がでます。
そんな人に巡り会えたことが、私の人生にとって大きな変節点になったのかもしれません。

人と巡り会うこと、そしてその機会を自分の人生に刻んで行くこと、それは言葉や知識以上に人生を豊かにしてくれるものだと信じます。

私が美月に出逢ったのも同じことです。
同じような匂いがしたのだと思います。
だから排除せず、真剣に向き合えたのでしょう。

恩人に仕事以外でそういう人がいたかわかりませんが、私は是非いて欲しいと願うのです。
ならば短い人生であっても、きっと幸せに充実した時間を楽しめたと想えるからです。

どんなことよりも…美月

先週も土日は千葉で過ごした。

今のようなスタイルを始めたのは、昨年のちょうどこの頃かな!?

都会遊びで使う時間とお金を、もっと有意義なものにしたいと先生が言ってくれたのが休日東浪見スタイルの始まりだった。

まあ、都会にいると面白い人は沢山いるけれど気持ちが忙しなくてね…。

その点、都会を離れてしまえば、東浪見生活はユートピアだよね。

趣味として?神社仏閣巡り(伊八巡り)をしているけれど、旅の目的は観光ではないので本当は何もなくてもいいのだけれど、いつものように楽しい時間を過ごせるのは先生のおかげだと思っている(^^♪

果たしてマンネリ化といつものように…は、何がどう違うのだろうね?

型にはまる=しっくりいく…としないのは、今の自分が幸せかどうかで決まるのかな(^^ゞ

若い頃、50歳を過ぎて、こんな幸福な時間に沢山出会えると予想もしていなかった。

だけどね、旅をしていると思うけれど、同じ物を見ても一人では楽しめないことがいっぱいあるとつくづく思うんだよね。

感動を共有してくれる人がいることで、その時間が何倍も豊かに膨らむんだね。

眼を閉じると、二人で並んで観た星空が瞼の裏に焼きついているよ。

こうして移り行く季節を一回りしたけれど、旅に出るほどに楽しみが増えてきてしまって、綿密な長生き計画を立てないと収まりが付かなくなりそうです。

いつまでも…一緒にいたい人がいる。

どんなことよりも、そう思える人に出会えたことが嬉しいなぁ。

美月

追伸…昨年の今頃、乗馬の帰りに落ち着ける場所を見つけたいと思っていた。
上野や横浜のようなホームタウンが千葉にもできたら楽しいよね…と先生と話したことがある。

それから間もなくして、東浪見の常宿を見つけて一年、今や別荘というより完全に自宅化しているなぁ。

スーパーで買った食材(大荷物)を抱えて、マンションのドアを開けると、非日常が日常へと変わる。

二人でお酒を飲みながら、ゆっくりと夕ご飯をいただく度に、こんな安らかな時間が永遠に続けばいいと願う。

ほろ酔い気分の先生の顔を見ながらね…(^^♪


お返事遅くなりました…美月

まあやさんへ

久しぶりのコメントは、とて哀しい内容でした。

突然に亡くなられたご主人のことを思う、まあやさんの心情を察すると感情の行き場が見つかりません。

長い間の単身赴任生活でお互いに不自由な思いをしたことも多かったと思います。

9年前の胃癌から始まり、急性重症膵炎、重度の貧血症状と、ご主人は直向きに大病と闘ってきましたね。

それなのにインフルエンザにかかり、たった18日間の入院で帰らぬ人となってしまうなんて、誰が想像できたでしょ…。

何もしてあげられなかった…と後悔する気持ちわかります。

でもね、…してあげられなかったのなく、予想もつかない出来事に直面し、何をすれはいいのかさえ浮かばなかった無念な思いが、まあやさんを後悔させているのでしょうね。

>結婚生活の半分以上が単身赴任生活でした。
子供達との三人の生活に慣れてしまって、いきなり毎日家に居る主人との生活にストレスも感じつつ違和感もあり思いやる気持ちが無かった。

ううん、まあやさんだけではないと思いますよ。
同じ状況になれば誰もが感じる違和感だと思うし、たとえ同居していても同じことは起こり得ると思います。

それにね。毎日、同じ屋根の下で暮らす我が子の心さえ、全て覗くことはできません。

それでも死という現実を突き詰めらると、何も手出しできないもどかしさから、
ああすればよかった、こうすればよかった…と、思い出を辿りながら、
もう二度と戻らない時間を懸命に埋めようしているのかもしれませんね。

>主人に思いやる気持ちが持てていたらと、後悔ばかりです…

うん、わかります。そうですよね。
愛することは、相手のことを思いやることなのでしょうね。
そうすれば人間関係はうまくいくと思います。

でもね、思い遣れなくなってしまった理由もあったのだと思います。

不倫相手の方が心の支えとなったのも、決していい加減な気持ちから始まった恋ではないでしょ。
若い頃の恋愛と違って、リスクを背負ってまで、
それでもこの人と一緒にいたいと思う気持ちが強くなければ、大人の恋は続きません。

>不倫相手の彼とこれからどう付き合っていけば良いのか…
美月さんと先生のようなお付き合いが出来るのでしょうか…

…そうですね。 私はまあやさんと逆の立場でした。
世間でいえば私は鬼だと思います。

ううん、それは今も変わらないし、この先も変わらないのだと思います。
死が全てを解決するとは思っていない、止まったままの時間は永遠に止まったままなのだと思います。

でも、先生の傍にいられるだけで幸せだと思っていた私なので、この先もずっと傍にいたい…。

毎日、そう思いながら暮らしています。

まあやさん、焦らずにゆっくり考えてくださいね。

追伸…ご主人は幸せだったと思いますよ。
家族がいてくれたから頑張れたことが沢山あったと思います。

まあやさんの後悔は、ご主人の後悔にもなってしまうから、
自分ばかり責めたりしないでね。

きっと、ご主人もそう思ってくれていると思います。
美月
プロフィール

不良老人カップル

Author:不良老人カップル
___________

(♂) 紅殻格子(べんがらごうし)
1962年8月23日生まれ。
某大手企業に勤めながら官能小説を雑誌に発表する兼業作家。ブログ『妄想の座敷牢』を主宰するも、2012年、妻を亡くし、また自身も食道癌に罹り、文筆活動をしばらく停止していた。

(♀) 美月
1962年8月23日生まれ。
3人の子供と夫を持ちながら家業の役員を務める兼業主婦。ブログ『灰になるまで恋を』を主宰。 偏屈な紅殻格子と10年に及ぶ愛人関係を続けられる自身もまた偏屈で変わり者。
___________

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