逢瀬に向かう車窓から…美月

これから千葉に向かいます。

電車の運行は昨日の雪の影響が出ることもなく順調です。

晴れる日もあれば雨もあるけれど、殆どの天候に対応できる気力を持ちながら、やはり雪だけはどうしようもなく、先週末の週間天気予報から心配していた。

駄目なら見送ればいい、来週にすればいいよね…と思えるほど心のゆとりはなく、そのたびごとの機会を無駄にしたくないと思えるのは先生のおかげです。

まあ、美味しいものへの執着心が強いのも事実ですが…(^-^)

一昨日、あわてんぼうの梅の花が恥ずかしそうに咲いていました。

まどまだ頬を摩る風は冷たいけれど、一歩ずつ春に向かって歩いているんですね。
美月

紅殻格子の日記(52)…人質事件

紅殻格子の日記(52) 人質事件

イスラム部族が日本人を人質にとって政治犯の釈放を求めている事件で、日夜マスコミは大変な騒ぎになっています。

詳細については敢えて書く必要もありませんね。

そもそも彼等は自己責任で赴いたのであり、またジャーナリストという仕事は命がけだから価値があるので、そっとしておいてあげればいいと思いますよ。

人道的に問題であるといいますが、そんなのは西洋文明の勝手な理屈であり、首狩り族だって人間ですし忠臣蔵で切腹を命じたのも人間ですしね。

自爆テロなんて、戦中日本の得意技だったはずですよ。

ユダヤ人を大量虐殺したドイツの首相が、敵国だったフランスで平和のデモ行進をするんですからね。

さんざん魔女狩りの拷問やギロチンを作った残酷な国々が、まるで聖人のような顔をしてイスラム文化を野蛮だと言うわけです。

大体イスラム部族が使っている兵器はどこの国が売りつけているんですかね?

日本でも幕末に死の商人が大量の殺戮兵器を売りつけにきましたよね。

賢かったから日本人は本格的な内戦に至りませんでしたけど、兵器を輸出している国に平和と言う言葉を口にする資格はありませんよ。

つまり文化レベルがそもそも違っているのです。

今も現存する狩猟民族(例えばエスキモー)をアメリカの動物保護団体は批判していますか?

世界は一つの客観性で成り立っているわけではないのです。

主観の集合体である以上、永遠に隣人との差異は埋まらないのではありませんか?

だからイスラムのことはイスラム内で解決したらいい。

昔、ポルポト政権が大量虐殺しましたが、それは彼等の台頭を住民たちが歓迎したからですよ。

仕方ないんですよ、それが彼等の主観だったのだから・・・

結論として、中井英夫の『虚無への供物』の一節を引用したいと思います。

「考えてくれ、いまの時代で、気違い病院の鉄格子の、どちらが内か外か。何が悪で、何が人間らしい善といえるのか」

「しかし、この一九五五年、そしてたぶん、これから先もだろうが、無責任な好奇心の創り出すお楽しみだけは君たちのものさ。何か面白いことはないかなあとキョロキョロしていれば、それにふさわしい突飛で残酷な事件が、いくらでも現実にうまれてくる。いまはそんな時代だが、その中で自分さえ安全地帯にいて、見物の側に廻ることが出来たら、どんな痛ましい光景でも喜んで眺めようという、それがお化けの正体なんだ。おれには、何という凄まじい虚無だろうとしか思えない」

「あの人」…美月

青い空、広い海、満天の星、見渡す限り一面の菜の花、雪に彩られた里山の風景、
千葉に行くようになってから、美しいものとの出会いに感動しきりです。

…と常日頃から私は思っているのだけれど、

そのことを先生に伝えると…

実は絶対的に美しいものなんかこの世には一つもない。

人の心に美しさを見出す能力があるだけなんだよ。

美は相対的な個人の感情なんだよね。

でもその能力が欠如した人もいるんだろう。

だから人が評したものを美しいと自覚するしかないんだね。

…とあまりにも素晴らし過ぎる返答をもらい、昨夜は寝ていながらも「うんうん」と頷いていた。

先日の記事にも書いたけれど、長福寺の娘さん(実は私より年上です)は本当に心の美しい人でね、
傍にいると肩の荷が下りて背筋が緩む感じがするんだよね。

でもね、ただのお喋りオバサンだと思う人も多くいるだろうと先生は言う。

確かにね…そうかもしれないよね。

実は「伊八の作品」で有名なお寺があるのだけれど、遥か遠くから手招く看板に引かれて行ったには行ったけれど、見ないで帰ってきてしまったことがある。

なぜ帰ってきてしまったかというと、お寺にいらした老婆の物言いが、あまりにも高い位置から発せられたので敷居が高くて上がれなかった。

…と言うものだから、私は嫌味な女だと思われるのだろうけれど、でもね、長福寺の娘さんと出逢ってからというのも、同じようにお寺に住む者でありながら、この違いはどこから生まれてくるのだろうかと考えてしまう。

相田みつをの作品に「あの人」という詩がある。

「あの人」

あの人がゆくんじゃ

わたしはゆかない

あの人がゆくなら

わたしもゆく

あの人

あの人

わたしはどっちのあの人か?

この作品のどちらの「あの人」が、長福寺さんの娘さんにあたるか誰でもわかると思うけれど、
私も人と接する時には、分け隔てのない清らかな心で向き合いたいと思ってる。

そんな思いを改めて感じさせてくれた人との出会いに感謝しています。

えへへ、ここで終われば可愛いのだけれど…そうはいかないのが私の天邪鬼たる由縁です。

「あの人」という作品に最初に出会った時、直感的に感じた思いは…

この作品は「人」に焦点を当てたものではなく、
誰が居ようと居まいと自分の意志を持つこと、主体性のない行動は慎むべきであると読みました。

はあぁ〜これだから同世代には好かれないのだろうなぁ〜(^^ゞ
美月

追伸…
ちなみに私はちんけな邪鬼だけど、先生は浄瑠璃の鏡を持っている閻魔大王だろうなぁ〜(^_-)-☆

紅殻格子の日記(51)…二つ星

紅殻格子の日記(51) 二つ星

ある会社に接待されて、銀座にあるミシュラン二つ星の日本料理屋へ行きました。
酒がついて一人三万円ぐらいだから、相当な高級店なのではないでしょうか。

でも正直に言うと、家庭料理に近い味つけだと思いました。
これは考えてみると、日本料理は京懐石の縛りに囚われ過ぎていて、高級料理は薄味でなければならないと言う縛りが昔からあるのでしょう。

でもあれって本当に美味しいですか?
あの出汁ばかり前面に出て味がない料理を真顔で美味しいと言えますか?
だって庶民の食べ物は、関西のうどんだってもっと塩が効いているでしょう?

私は庶民だから、はっきり不味いと言ってしまいたい。
何で皆さんあれを有難がって食べるのかな・・・食通と呼ばれる付和雷同の輩がそう言うからですか?

私は京料理の味が薄いのは二つ理由が考えられると思うのです。

一つは内陸故に塩が貴重だった。
もう一つは海から運ばれてくる魚介が塩漬けだったため、逆に他の料理の塩分を控えなければならなかった。

まあ、素人考えですので答えをご存知の方はコメント下さい。
いずれにしてもミシュランは家庭料理に近いものを美味しいと宣言したわけですから、味覚の評価は正しいと思いますよ。

進歩のない日本料理界にとって黒船なんじゃないですか。
不味いものを不味いと堂々と言ってくれているわけですからね。

でも私はその二つ星にも不満を感じました。
味つけはいいが、まだ根っこでは懐石の伝統に縛られています。

量が少ないことです。
食材の使い方が日本料理の伝統に縛られていてチマチマしているんですね。

おそらく批評家は洗練された使い方と言うのでしょうが、全然素材の良さがわかるほどのボリュームがないのです。
例えば和え物に鮑の断片が入っていたりするのですが、小さ過ぎて鮑を食べた気にならないわけです。

食通は食感などというのでしょうが、食感だけならば何も鮑を使わなくてもいい。
その一昨日、四国で海女料理を食べたのですが、鮑など気持ち悪くなるぐらいたくさん出て来ました。

それはそれで大人気の店です。
両極端じゃありませんか?

食通など馬鹿ですよ。
私は自分が美味しいと思うものだけをたくさん食べるのが大好きです。

硯山 長福寺…美月

硯山 長福寺

当寺は大同2 年(807) 宗祖伝教大師自ら建立されたと伝えられる古刹です。
石橋山の戦いの後房総に逃れた源頼朝が平家追討の書状を当寺でしたため、その時当寺の差し出した硯が素晴らしかったので「硯山」の山号を頂戴したとも伝えられます。
また、布施城主上総介広常の攻略後、源頼朝が当寺に立ち寄り本堂前の槙の大木に筆を掛けたとする伝説「筆掛の槙」もあり、これが頼朝の名馬「磨墨」の伝説にも結びついています。
当寺中興の祖とされる海吽阿闍梨は上州世楽田長楽寺の法系に連なり、蓮華流の房総における拠点として発展したものと思われます。
(長福寺HPより引用)

次の日はずっと場所の特定ができず探し続けていた念願の長福寺さんに寄せてもらいました。

本堂正面の欄間彫刻は大変見事なものだったのですが(波と龍・雲と麒麟の3面)、それにもまして須弥壇下に「亀と波3面」が彫られていて、先生も見入ってしまうほど(眼で楽しむだけでは飽き足らず、触る触る!)素晴らしい出来栄えとなっておりました。
 

長福寺本堂の欄間は伊八38歳作で波は平行線のままでした。
けれど須弥壇に彫られた波は、波の伊八と呼ばれるようになった重なり合い崩れる躍動感溢れる波となっていました。

記録にはないようですが、私が勝手に思うに(^^ゞ、須弥壇は飯縄寺の仕事後に彫られたものではないかと思います。
もう一度見たい作品です。

気に行った作品は何度も観に行こうと思っているけれど、先日の記事にも書きましたが、千葉にはまだまだ沢山の素晴らしい作品があるので…果たして全部を三回ずつ観られるかどうか(笑)

でも、こちらのお寺にお邪魔して、一番の感動したのは人の心の優しさです。

こちらの本尊は 阿弥陀如来造像なのですが、室町時代と伝わる座像の仏様です。
金色に輝いていたと思われるお顔やお体には黒い部分が見られました。

江戸時代に火災にあったそうで、(以前にも火災にあったらしいのですが…) 阿弥陀如来を外に出す時、運ぶ人の着物で擦れて金が剥げたか? もしくは煤に染められてしまったか?とのことでした。

火災が多いことについては、昔、宿のない者、旅の途中の者達は、寒さを凌ぐため本堂の床下で暖を取るため火を炊くうちに火事が起きてしまうことが多かったと聞きました。

誰が阿弥陀様を救出したかといえば、あの大きなお体ですもの、大勢でないと外には出せませんよね。

…となるとね、火を炊いた人達(犯人)も一緒になって助け出したのだと思います。

私は火を起こした人を罪人(悪者)にしようとしたのですが、お寺のお嬢さんは「寒ければ本堂の中でお休みになればよかったのに…」と仰っていました。

「きっと本堂内に入るのは心苦しかったのでしょ」と私が言えば…、

「本来、お寺というものは困っている人の拠り所となるべきところです」と澄んだ心で言われました。

人前で恥をかくことが少なくなりましたが、私は、私の心の貧しさが恥ずかしくて、穴があったら入りたい気持ちになり、心を改めなければいけないことが沢山あると感じました。

先生への思いも同じです。
千葉に行くようになり、先生の横顔を見つめる時間が増えてからというもの、心に響き渡る「ありがとう」の連打です。

思い出を積み重ねるというのは一人で出来るものではありません。
感動を記憶に残すことと、心に刻まれることが同じとも限りません。

よく長年連れ添ったご夫婦が、二人の関係を例えていうなら、お互いを空気のような存在だと言います。

でも、私にとって先生は空気ではありません。

もちろん空気と同じく、私の人生になくてはならない人だけれど、一番身近な人だからこそ意識し続けたい。

だからといって「愛とはなんだ?」と問い続けたら、それはそれで疲れちゃうよね。

それにね、愛は惜しみなく奪っても与えても、どちらも一方的な話のように感じてしまう。

月のように…互いに引き合いながら傍にいたい。

太っている日も痩せている日もあるけれど、見えない時もいつも先生を見つめていたい。
美月

紅殻格子の日記(50)…生きる前提

紅殻格子の日記(50) 生きる前提

お陰様で私のコラムも50回になりました。
まあ、書き散らしているだけかもしれませんがね。

今回は、最近ふと気づいたことについて書いてみます。
老と若の違いは何かと言うことです。

私自身も癌の宣告を受けた頃から、自分の人生に対する前提が老へと変化していたと今更ながら気づかされました。

精神的な老と若との違いは何か?
それは死ぬことを前提として将来を考えているか、それとも生きることを前提にして将来を考えているかの違いです。

若い人は、まずもって自分が近い将来死ぬことを本気で信じていませんよね。
まあ、生命保険には一応入ったとしても、自分が死ぬことなど予測できないほど遠い未来であって、家族を持って子供を育てると言った生産的な思考しか浮かばないでしょうね。

しかし年を取ると巣鴨の老人達のように、自分の死を意識して残りの人生を計算し、その期間中に何ができるかと言う発想に陥ってしまいます。

つまり死を前提にして、残りの人生をどう生きようかを考えてしまうわけです。
ビッグバンで生じた宇宙の終末が、拡散して終るのか、収縮して終るのか、みたいな生活全体のパラダイム・シフトが起こるのだと思います。

どちらがいいかと言う話ではありませんよね。
でもどこかに必ず境界線があるはずです。

私の場合は、家内の死と己の癌が、考え方の変化を引き起こしたのだと思います。
一般的にもその誘発原因は、病気であったり、親族の死であったり、命に限界があるのを実感した時なのでしょうね。

人生と言う時間軸を生の側から見るか死の側から見るか、それが老と若の違いなのではないでしょうか?
そう考えると、人は死を意識しないで永遠に若として生きたいなどと勘違いします。

でもそんな惨めな人生はありませんよ。
生を自覚していないミジンコと同じです。

それは自分の存在を自覚することなく死んでいくのであり、血を吸っている蚊が不意に叩かれて死ぬのにも等しいわけです。

自分の人生を締め括ると言う行為は、期限のある生にとって欠かさざるけじめなのです。
そしてそれが生に対する感謝を生み、充実した後半生を過ごせる前提となるわけです。

是非皆様も明日とは言いませんが、一年後に自分が死ぬかもしれないことを真剣に考えてみて下さい。

大山不動尊つづき…美月

お寺の参道には沢山の首なし石像が立っていた。

明治の廃仏毀釈で壊されたものだろうということは想像つくけれど、誰が壊したかと先生に問えば「信者だろう」との回答に時代背景は遠い過去へと遡った。

千葉は古いお寺や神社が多く残っていて、小さな村にも必ずといっていいほど神々は鎮座している。

冬温暖で夏は涼しく自然豊かで農作物も海産物もたくさん獲れる土地だから、寺社は豊かな暮らしの象徴だったのかもしれない。

ただし檀家制度というのは今のような仕組みとは違っていたのかな?

江戸時代は戸籍台帳のようなものを寺院が作成管理していました。
檀家の家族、奉公人、出入りの行商人などのすべての項目があり、名前、年齢、所属寺などが記入されています。

檀家=キリシタンでないことを証明するための記録でしたが、同時に住居移転、奉公、結婚や旅行に至るまで、寺請証文という証明書を発行することで、身分制度を確立させていきました。

今でいう戸籍謄本のようだね、それをお寺が管理していたのは知らなかったなぁ〜。

まあ、えげつない話になるけれど、お金がなければ神も仏も祀れないのが現実だからね。

だけど豊かさを競うように闇雲に寺院の数を増やした結果、僧たちの質は落ちるし、寺の維持にも相当なお金が必要となる。

そうなると檀家に豪華な葬儀や法要を強制したり多額な布施を要求したりと、結局は民衆が苦しい思いをすることになるんだね。

そもそも値段によって戒名の長さが変わるというのはどうなのかなぁ〜(^^ゞ

「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」「地獄の沙汰も金次第」ということわざは、この頃生まれたのかもね???

廃仏毀釈で寺院を統廃合すれば一つのお寺あたりの檀家数も増え、寺院の経営維持も楽になり、それに伴って檀家の負担も少なくなると考えたのだろうね。

そうなると先生の言う通り、石仏の頭を落としたのは民衆なのかもしれない。
だから政治的記録に残されていないのではないかと思った。

崇めた者の手によって首を落とされた石像の気持ちを思うと切なくなるけれど、それが人間の仕組みだから仕方ないのかな…。 

「罪を憎んで人を憎まず」 
厳しい修行を積んだ徳の高いお坊さんなら、きっとこう思ってくれたのかなぁ・・・???

では、日本人にぴったりの神様はどんな方が良いかと考えたら、ハクチョン大魔王のように呼んだ時だけ出てきてくれたらいいのだろうね。

ひょんなことから出会った伊八さんだけど、でも月読神社の龍を観てからというもの、最近では伊八の作品あるところ、豊かな土地だっただろうということは想像がつくようになった。

だけどね、千葉には伊八以外にも素晴らしい職人が沢山いるけれど、どれも名無しの権兵衛さんなので追跡調査が難しくなる。

でも元々職人は自分の名を商品に入れることは少なかったそうだから、そういう意味でも伊八は時代の走りだったのかもしれない。

そう思うと、彫刻や天井絵は今でいう「ブランド」に近い感覚だったようにも思う。
伊八ブランドのエンブレムは「波」になるのかな(^^♪
美月

大山不動尊

大山不動尊(鴨川) …美月

大山不動尊(鴨川)

大山不動尊(大山寺)は、神亀元年(724年)、良弁僧正が創建。長狭地方でもっとも古いお寺で、源頼朝や足利尊氏と源氏の総帥が信仰し水田を寄進、社殿や山道の石段を築造しました。
天保11年(1841年)正一位に叙せられ、大山不動尊は関東三大不動のひとつともいわれています。

最近では千葉に行くたび伊八の作品を巡るのが旅の楽しみの一つになっています。

大山不動尊は伊八の素晴らしさもさることながら、仁王門、本堂、鐘楼、どれを見ても美しく、境内からは長狭平野から太平洋まで一望できる眺望が昔と今を繋ぐ架け橋のように思えた。

伊八巡りのツアー客だろうか? 数名の女性グループが伊八の作品を見に来ていたけれど、彼女達は何が面白くて観光しているのだろうと気になった。

まあ、余計なお世話だけどね…(^^ゞ

冬枯れの美しさを堪能しながら、棚田を走り抜けると山の上に大山不動尊を見つけた。

見えるけど着かない…
これは普段ないパターンなので私としてはワクワクドキドキ楽しかったりするけど、運転している先生にとっては迷惑な話だと思う。

山門下で大きな竜口(たつくち)を見つけた時から、昔、雨乞いのお寺だったのだろうと想像しながら長い急階段を頑張って上った。

向拝に据えられた二匹の竜は伊八作品の中でも珍しい図案だと思った。

大山不動尊(向拝)

まだまだ全ての作品を目にした訳ではないけれど、今まで観た「波と龍」とは違う手法が使われているような気がした。

多分、飯縄寺の大作後だからかなぁ…上品で繊細な彫りになっているように見えた。

う〜ん、この作品に題名をつけるとしたら…「陸と空?」→「天気予報」かなぁ(^^♪

二匹を別の物として見るのではなく一つの物語として辻道を立てて眺めれば、向拝(下)の龍の足元から白波が空(雲)へと立ち上り、上の龍まで繋がっているように見える。

地上と空を結ぶように彫られた作品は雨の仕組みを表しているようにも思えるし、飛龍(上)は落雷と共に勇ましく降りそそぐ夏の雨のようにも見える。

素晴らしい作品に出会うと何度も観たくなるのがマニアのしつこいところだけど、大山不動尊には伊八の作品以外にもまだまだじっくり観たい知りたいものが沢山あるので、また先生に連れていってもらいたいなぁ〜。

月読神社には三度連れて行ってもらったけど(先生って素敵な人でしょ)、記憶が薄れそうになると再びこの眼で見たくなる。

写真も想い出を辿るヒントとしては必要だけど、実写とはいえ感動まで映り込ませることはできないだね。

私の頭は少々ポンコツなので、感動を紐解くカギは先生の脳内に置かせてもらっているけれど、研ぎ澄まさせた感性で磨かれた感動は、新たな行動を創造する活力となるよね。

大好きな人と胸の高鳴りを共有できることで、一人ではないのだと…一体になれる瞬間の喜びが心と心の繋がりを深めてくれている気がする。

それでいて新鮮だからね…

何年経っても先生の魅力が翳ることがないのは、先生は不動ではなく行動派だからかな(^_-)-☆

最近ね…各種様々な仏様(仏像)を見つめていると、なぜか先生の顔に見えてくるんだよね。

姿形に関係なく、閻魔様から風神雷神までもが、なんとなく飄々とした可愛い顔に思えてくる。

次回、詳しく書くけれど、今回の旅で寄らせていただいた「長福寺さん」のお嬢さんから、仏師が彫る仏様のお顔をいうのは、見る人の心を映す鏡になるように彫るのが本来のあり方だと教えてもらった。

お話を聴きながら、私が仏様とお顔を合わせる時は、いつも先生と一緒だから穏やかで満たされた顔に見えるのだと思った。

でも仏様を見ていると心が落ち着くのは、先生と同じ息遣いになるからかもしれないなぁ〜。

優しいお顔の仏様がお好きな方は、愛する人と参ればいいね。

感謝すべき人と旅路を行く同行二人…。

この先も弘法大師様のお手を煩わせることのないよう、先生と共に歩いていきたい。
バーバリアン美月

 大山不動尊

新連載のお知らせ

★ お知らせ ★

「妄想の座敷牢」〜官能小説家 紅殻格子の世界〜にて、
新連載 「闇に抱かれて」 がスタートしました。

小説をお読みになりたい方は下記よりお入りください↓

闇に抱かれて

『闇に抱かれて』

欲望を我慢していたのか、口唇を重ねると狂ったように舌先を押し込んできた。
(これが美也子か)智彦は心中でうめいた。

妄想の座敷牢6

「妄想の座敷牢」〜紅殻格子の世界〜へ進む

紅殻格子の日記(49)…愛犬ボコ②

紅殻格子の日記(49) 愛犬ボコ②

愛犬ボコとの出会いは、別の用事で或る園芸・ペット関係の店を訪れた時だった。
当時は15年連れ添った柴犬と雑種を失ったばかりで、もう犬を飼うのはやめようと心に誓っていた。

しかし何度か園芸用品を買いに行くうちに、ペットコーナーのガラスケースに、ゴールデンレトリバーの子犬がいることに気づいてしまったのである。

さてそうなると、その子犬の行く末が気になって仕方ない。

時代は小型犬ブームで、大型犬の人気は凋落の一途をたどっていたからである。
いい飼い主と出逢えるのか、それとも・・・子犬が気になって毎週その店を用もないのに尋ねるようになった。

すでに子犬は生後半月以上経過し、ガラスケースいっぱいの大きさに成長していた。
八月末、店へ行くと13万円だった子犬の価格が半値になっていた。

「この犬を連れて帰る」

もう限界であろうと判断した私は家内と子供達にそう宣言した。

毎週この店につきあわされていた家族は、こうなることを想定していたらしく、何も言わずに呆れた顔をしていた。

子犬をガラスケースから出してゲージに入れると、長年出してもらえず嬉しかったのか、尻尾をぶんぶん振ってゲージを飛び出さんばかりに跳ね回った。

これがボコとの出会いである。
家へ連れて帰っても、ボコはとにかく暴れまくった。

フローリングの床を滑りながら走り回り、木製の家具をボロボロになるまで甘噛みし、散歩をしても常に全力疾走であった。
大人になれば落ち着くだろうと高を括っていたが、バーバリアン故かそれは生涯治らなかった。

だがそんなボコが却って好きだったのかもしれない。
(私のバーバリアン好きは美月と10年いるのも同様かもしれない)

ボコが死んだ後も、私は一緒に歩いた散歩コースを独りでウォーキングしている。
ボコがどこにオシッコしたか今も全部覚えている。

12年間一日も欠かさずボコと歩いた道、それは私にとって忘れられぬ思い出であり、私の人生そのものなのである。

人間にとって犬は生活の一部だが、犬にとっては飼い主が全てであると言う。

確かにそうなのかもしれないが、犬を飼うことは飼い主の生活を著しく制限するのも事実である。
この12年、出張もままならず、家族旅行もできず、相当なコストもかかっている。

しかしそれでも私はボコと一緒に居られた人生を幸せだったと思う。
きっと飼い主の気持ちはみな同じであろうと思う。

ボコとお散歩
プロフィール

不良老人カップル

Author:不良老人カップル
___________

(♂) 紅殻格子(べんがらごうし)
1962年8月23日生まれ。
某大手企業に勤めながら官能小説を雑誌に発表する兼業作家。ブログ『妄想の座敷牢』を主宰するも、2012年、妻を亡くし、また自身も食道癌に罹り、文筆活動をしばらく停止していた。

(♀) 美月
1962年8月23日生まれ。
3人の子供と夫を持ちながら家業の役員を務める兼業主婦。ブログ『灰になるまで恋を』を主宰。 偏屈な紅殻格子と10年に及ぶ愛人関係を続けられる自身もまた偏屈で変わり者。
___________

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