紅殻格子の日記(46)…年の瀬

紅殻格子の日記(46) 年の瀬

今年も何とか生き永らえることができました。

年を取って時間が貴重になると、一年生きられたことに感謝を覚えます。

無論、美月とたくさんの経験ができたことは有難い次第です。

年越しは、占い事や吉凶、縁起担ぎに躍起になりますが、そういう人ほど日々生きている幸せに感度が低いのでしょうね。

だって運勢が悪い日・悪い月・悪い年なんて、あるはずがないでしょう?

みんな傲慢になっているんじゃないですかね?

今日生き永らえた幸せが何よりじゃないですか。

飛行機は行方不明になるし自然災害で亡くなる人もいるんですよ。

もっと頭を垂れて生きている喜びを噛み締めましょう。

来年も宜しくお願いします。

上野公園

追記…美月

毎朝、通勤電車の中からメールをくれる先生に今日の元気をもらって一日が始まる。

朝の電車は混雑していて、大変な思いをしてメールを打ってくれているのだろうね。

今朝は先生私用のスマホが充電不足で今にも切れそうだったので、会社のスマホに切り替えて連絡先を確保してくれた。

私は先生のことになると大袈裟女になってしまうから、音信不通になると先生に何かあったのではないかと心配で不安でたまらなくなる。

先生はそんな私を知ってくれているから、会社の飲み会のスケジュールや出張予定など、日常と時間割が変わるような出来事があると気を遣って教えてくれるんだよね。

だからね、私は先生が飲んでいる時間も先生のことを見つめることができる。

酔っているとメールするのは面倒でしょ⁇

でもね、多少文字がずれていても、ちゃんと帰るメールしてくれる先生に感謝してるよ。

十年ってね、過ぎてしまえばあっと言う間だけど、毎日のメール積み重ねを大切にしてくれる優しさや思いやりを愛と呼んでもいいよね。

先生、一年間、お勤めご苦労様でした。

しばらく通勤地獄から解放されるね。

でも夜更かしのゲームはほどほどにしてね。

昨日会ったばかりだけど、早く日曜日にならないかなぁ〜とそればかり思ってるよ。

えへへ、私も十年経ってもちっとも変わらないなぁ〜。

離れている時間は先生が恋しくて会いたくて仕方ないだもん。
美月

女であることが生き甲斐…美月

昨日も楽しい時間を過ごすごとができた。

師走も残り僅かとなると、東京駅構内は帰省する人の波が打ち寄せては消えていく。

私は帰省と呼べるほど遠くに暮らしたことがないのでよくわからないけれど、都会暮らしで忘れていた故郷の言葉も、懐かしい駅を下りればスラスラと飛び出してくるものなのかな!?

まず先生の用事で丸の内郵便局に立ち寄った。

遠くに暮らす弟さんのお子さん達にお年玉を送るのだという。

サンタさんに負けず、郵便屋さんも子供たちの夢を運んでくるんだね。

そう思うと、サンタさんの衣装と郵便ポストは赤仲間だなぁ(^^♪

郵便局内は大変混み合っていて、年賀状の投函をする人、土産物を先送りする人、外国人もいれば・・・なぜかやたらと目に付く年配のオジサン達。

まあ、それぞれの用があって訪れているのだろうけれど、丸の内界隈の会社はお休みなのに、近くに住宅地が見当たらない大都会の郵便局がこんなにも賑わっているとは…行ってみないとわからないものだね。

「どうして混んでいるのだろうね???」
…と先生に聞いてみたら、「みんな暇なんだよ」と返してきた。

確かにね…私達も暇といえば暇人になるのかなぁ〜(^^♪

お昼ご飯を新丸ビルで食べようと思ったけれど、なんとなくビルの中というのは落ち着かなくて、丸の内線でお茶の水まで行き、餃子をつまみに昼間から一杯…で納まるはずもなく、会話が弾めばお酒も弾む。

ウーロンハイを三杯ずつ飲む頃になると、いつまでも餃子を食べ続けられるほど餃子ファンではないのでキリをつけて湯島へと向かった。

馴染みのラブホテルもさすがに年の瀬が迫っているせいか空いていたけれど、情愛に暮れも正月もなく、大好きな先生とくっついているともっと深く交わりたいと思ってしまう。

肌と肌が触れ合っていると落ち着くんだよね。

「私は先生に抱かれる為、女として生まれてきた」と思えるほど、「今こそ全て」と感じる瞬間が好き。

愛する人の胸に顔を埋める度、女であることを許されているような気がして、女人生に生き甲斐を感じている。

えへへ、久しぶりの大袈裟女登場です。

でも、こんな気持ちになれたのは生まれて初めてのことで、42歳で先生に出会う前の私は、女の姿に化けた狸だったのかもしれない(^^ゞ

まあ、かなり年のいった大人の恋愛なのだから、そこまで貪欲にならなくてもいいと思われるかもしれないよね。

「愛は美しいもの」として性を毛嫌いする女性もいるだろうけれど、私は先生の肌に擦り寄っている時間に喜びを感じるし、体二つ交わっている時の幸福は例えようがない。

先生のことが好きで好きで仕方がない感情が体の奥底から湧き出てきて、どんなことがあっても離れたくないと一途に願うんだよね。

極楽がどのようなところなのかわからないけれど、私の至上の楽園は先生の腕の中にあるといっても過言ではないよ。

だけどね…出逢った頃にね…

まだ実際に逢ったこともないメールの中の話だけど、先生が「不倫だとわからない年になったら旅行しよう」と書いてくれたことがあった。

えへへ、それは不倫であるなしというより、性愛のない関係になったらということだったのかなぁ〜(^^)/

PS…いつもブログを書き終わると、無性に先生に逢いたくなってしまう。

毎晩のメールを書き終わっても同じで、先生のことを思い浮かべながら気持ちを文字に変えていくから、画面から目を離した時に目の前に先生がいないと寂しくなってしまう。

昨晩、先生の夢を見た。

先生がお腹を抱えて馬鹿笑いをしていたよ。

どこかで見た光景だと思ったら、地下鉄に貼られた国立博物館で春に開催される「鳥獣人物戯画」の宣伝広告に出ていた蛙そっくりだった。

平安時代にも先生のように人を小馬鹿にした蛙がいたかと思うだけで人生は何倍も楽しくなるよね。

だからね、絵画に解説などなくてもいいんじゃないのかな!?

どんなに作者に近づこうとしても、所詮は他人であり感性の違いを埋めることはできないと思う。

それなら自分なりに楽しめる角度から物を見て楽しめばいいんじゃない。

先生がよく言うのだけど、人に与えられた価値より自分で謎を解く楽しみを増やしていきたい。

その為にも外遊びしないとね…。

テレビの画面で知る世界から自由な空想は広がらないからね。
美月

逢瀬に向う車窓から…美月

十二月最後の日曜日、先生に逢えると思うと師走の風も暖かく感じる。

先生の記事を読んで過去を振り返れば、いろんなことがあったとしみじみ思う。

悲しいこともあった。

淋しいこともあったけれど、こうして先生と一緒に過ごせる時間が嬉しい。

先日、先生が健康診断に出かけたけれど、なにごともなく済んでよかったと思う。

食道癌が見つかった時は哀しかったけれど、病により長生き出来たと思えたら、マイナスをプラスに変えていけたらいいよね。

人の一生は図りしれないけれど、今日一日の積み重ねを大切にしたい。

こんなにも時間を意識できるようになれたのは、先生に出逢えたおかげだね。

逢えない時間は長く、二人の時間は短くも色濃い夕陽のように輝いている。

そして月が上る頃には二人静かに海を眺めて暮らしたい。
美月

紅殻格子の日記(45)…共通記憶

紅殻格子の日記(45) 共通記憶

今夜二日ぶりに愛犬ボコがよろける脚で立ち上がり、何とか庭でウンチとオシッコをしてくれました。
こんなことが嬉しく思えるのも幸せなのでしょう。

さて閑話休題、もう今年も終わりですね。
今年から私は一念発起して日記をつけ始めました。

癌にかかったことと、もの忘れがひどくなったことが動機です。
書き残しておくことが如何に大切であるかよくわかりました。

皆さんもイベントがあった日は多少記憶に残るでしょうが、何もない平日のことなどとても思い出せませんよね。
つまり無価値な時間をつくってしまうことなんです。

しかし毎日日記を書くことで、厭な会社へ行くだけであっても、その一日が何らかの記憶と記憶に残る時間になります。

365日それを積み上げてみると、日記をつけなかった前年と比べて色濃い時間を過ごせたと実感できるのです。

もちろん美月にも読ませるつもりです。
だから極力感情表現を避けて、事実だけを淡々と書くことにしました。

事実だけ羅列することで、美月は美月の、その時に感じたことが鮮明に蘇るからです。
変な感情の先入観を与えては、二人の思い出が二倍に膨らみませんからね。

このブログも同様ですが、共通感性に基づく共通体験を、共通記憶としてきちんと残していきたいのです。

画像だけでも軽く一千枚は超えていますしね。
だから私が死んでも美月が死んでも、残された者は、二人の年月を振り返るのには膨大な時間がかかるはずです。

日記をつけるなどごくありふれたことです。
でもなかなかできることではありません、特に若い頃などは。

時間を大切にする年を迎えて改めて気づかされたことです。
皆さんも馬鹿にしないで考えてみて下さいね。

八幡岬 若山牧水碑

クリスマスイブ…美月

今日はクリスマスイブ、街はクリスマスカラーに染まり、先生からもらった帰りのメールにも家路を急ぐ人の様子が伝わってきた。

でも、私はクリスマスが近づくとなんとも言えず切なくなる。 
幾つになっても思い出の中に引きずり込まれてしまう。

冬は嫌いなんだよね…コンクリートむき出しの床が冷たくて泣きたくなるんだよね。
悴んだ手をストーブに擦り付けるようにあてながら、店番をしていた子供の頃の記憶がネオンの光波に映し出されて、大人になった今でも泣いてしまいそうになるんだよね。

クリスマスの日の商店街は夕方まで歳末大売出しで賑わっているのに、夜を迎えるころになると人の姿がまばらになる。

夕方過ぎて店が落ち着くと母は夕食の支度の為、自宅へと戻る頃になると足早に家路に帰るお父さんの手にはクリスマスケーキがあってね、私は店先でケーキの中身を想像しながら店じまいの時間を待ち遠しく思っていた。

地元のケーキ店の箱の中見は知っているけれど、見たことのないお洒落なデザインの箱の中にはどんなケーキが入っているのかなぁ・・・ってね。

クリスマスの唯一の楽しみは、クリスマスが歳末大売出しの最終日だったから、父が余った福引き券をお駄賃として私だけにくれたこと。

えへへ!こんな小さなことが嬉しくてね・・・、喜んで引きに行くんだけれど、でも最終日だから一等はとっくの昔に出てしまっていた。

毎年、毎年…最終日まで一等が残っている年など一度もなかった。
うちの店の斜め前が福引所だったから、上位の等が出るたびにガランガランと鐘の音が聞こえてくる。
売り出しの間、毎日、耳を澄まして聞いていたけれど、一等が出てしまうとくじを引きたい気持ちに諦めをつけることができた。

普段、母が買い物をして貰った券は、母と一緒に行った弟達がこっそり引いてしまう。

店にも福引券があるけれど、でもね、それは券のようで券ではなく、父がお金を出して買った物だから、店の売り上げを知る私はおねだりが出来なかったなぁ~。

「もうお客も来ないから、余ったくじを引いてきていいよ」

その言葉がとっても嬉しいのに、その反面、心を見透かされているようで恥ずかしくなった。

そんな私を思ってくれてかな?
福引所のおじさん達(商店街の仲間)は、毎年、最後の最後になってくじを引く私の為に、こっそり隠してビリの赤玉以外の色玉をガラガラの中にいっぱい入れてくれたんだよね。 

そりぁ~・・・一等はないけれど何かしら当たるよね(笑)

でもね、こっそりでも・・・本当はわかっていたんだよ。

わかっていたけれど、父に嬉しい顔を見せたくて、仕掛けを知らない振りをして店に戻ると、父に当たった物を次々と見せた。

「鐘の音が聞こえたから知っているよ、大当たりしてよかったなぁ~」と父は毎年毎年喜んでくれた。

きっと、父は私の喜ぶ顔が見たかったのだろうね。 

でもね、私はもっと奥深い仕掛けがあったことも知っていた。

父が私の隙を見てこっそり福引所に行きお礼を言っていたけれど、大人の人はね…、家の手伝いをする親孝行な子供には特別優しかったよ。

いつも私を褒めてくれた。 

でもね、子供心にその優しさは罪のような気がした。

マッチ売りの少女が夢に描いたクリスマスの風景は、今も昔も変わらず脳裏に焼き付いて離れないよ。
美月

逢瀬に向かう車窓から…美月

今日は新橋演舞場にお芝居を観に行きます。

先生が仕事関係の人から頂いたようだけど、お芝居も去ることながら、何かあるたび声をかけてくれる先生の心遣いが嬉しい。

お芝居を個人で観に行ったことはないけど、なんとなく別の世界のような縁遠さを感じていた。

でも新たなことを先生と経験すれば、話題は連れ連れと広がり、いずれは二人の共有財産となるんだね。

一人では出来ないこと、気付けないことも二人なら遊びに変えてしまうのだから、一人じゃないって素敵だよね。

今朝のテレビで天皇皇后両陛下の仲睦まじいお姿を拝見することができた。

常にお手を組み寄り添って歩く姿に「人」という字の尊さを感じた。

お互いの強さ弱さを支え合いながら、人は人となるんだね。

私は先生の腕にぶる下がってばかりで恥ずかしいな…。

早く人間にならなくちゃね(^-^)
ポンポコタヌキより

紅殻格子の日記(44)…老いる

紅殻格子の日記(44) 老いる

12年連れ添って来た愛犬ボコが老いてしまった。

後ろ脚が萎えて散歩にも行けず、玄関で寝たきりになって一週間が過ぎた。

なるべく寒くないように不要なダウンジャケットを敷いているが、下が石材の玄関では寒さが堪えるだろうか。

今晩、大河ドラマ最終回で黒田官兵衛が亡くなったが、生きるものは皆、死するのだ。

自分も含めて、哀しいことだがそれを変えることはできない。

しかし死を前にして、愛犬ボコを静かに慈しむことができる年齢になった。

大騒ぎするわけでもなく、泣き悲しむわけでもなく、途方に暮れるわけでもなく、最期の悪あがきをするわけでもなく・・・
ただボコの命が消えるのを静かに見守っている。

家内が亡くなった時も、冷たい亡き骸を静かにただじっと見つめていた。

決して諦めではない。

だが死を迎える尊厳を邪魔立てしてはいけない。

売れなくてガラスケースの中から人恋しそうに外を眺めていたボコ。

店員に頼んでガラスケースから外のゲージに出してもらうと、狂ったように尻尾を横に振って喜んでいた。

家に連れて帰るとやんちゃ過ぎて手に負えないぐらいで、リードとゲージ無しでは結局飼えなかった。

人や犬に飛びつくので夜中に指差し確認しながら散歩していた。

でもボコは前を歩きながらも、常に飼い主を振り返りながら気をつかって散歩した。

12年にわたるたくさんの幸せがボコとともにあった。

もう疲れただろう。

温かい衣服に包まれて静かに眠りなさい。

最後の最後まで、ずっと一緒にいてあげるから。

大好きなボコ

逢瀬に向かう車窓から…美月

今年最後の千葉の旅はあいにくの曇り空です。

晴れる日もあれば雨もある。

演歌ではないけれど、空色のように人生いろいろだね。

本日の電車内は大変混み合っています。

パワフル年配者の歩こう会グループが席を陣取り、会社に向かう疲れた中年層は頭は項垂れ今にも倒れそう。

わざわざ遠くまで出かけて行く向上心とハイキングコースを何キロも歩けるパワーがあるのだから、ウォーミングアップを兼ねて立っていけばいいのではないかと思うけれど、それとこれとは別だと言うだろうなあ~。

先日、野毛のおでん屋さんで、カウンターの隣に座っていた老カップルの女性をまじまじ見つめながら、先生一言。

お前もいつかああなるのかな~…だって(汗)

まあ、見知らぬ人になんて失礼なことを…。

でも、男性というものは、いくつになっても女性の美を意識するものだと思った。

…と、同時に先生が思うのだから、他の男性も私達を見ているのだろうと思ったら、幾つになっても先生に恥ずかしい思いをさせないよう、年を取るほどに身だしなみを整えていかなければいけないと思う。

まあ、見てくれはともかく、心はいつもかよらかでありたいよね。
美月

中華街続き…美月

お昼ご飯は中華街の間口の狭い小さな店で食べた。

一階に3テープル、二階席もあるようだけど敷地面積からみても、それほど大勢入れる店ではないかな。

家族三人でまかなっていた。
お父さんが調理をし、70代半ばのお母さん、そして娘さんらしき30代後半の女性が配ぜん係をしていた。

味は…中華料理というより塩分抜き成人病対策に近かったけど、普段から気を付けているのかな???

中華料理は幅が広いからね、国が広ければ食材も味付けも変わってくる。

中華の4大料理といえば北京、広東、上海、四川だけど、これに調理人の故郷の味が加わるとジャンル分けできないオリジナル中華料理が食べられることがあるけれど、これが吉と出るか凶と出るかは風任せの旅人にはわからない。

だからといってぐるなびランキング第一位の店に、寒空の下、一時間も並べるほど人の評価をあてにはしていない。

まあ、失敗もあれば成功もあるけれど、焼酎片手に先生と語らえば楽しい食事ができるからいいんだけどね。

最近の二人の口癖  「美味しいものは千葉にあり…」

本当に美味しいものが食べたいのであれば、人の手に頼らず自分で調理するのがいいと思う。

でもね・・・

店というのは味を競うことに神経を尖らせることも大切だけど、一番のおもてなしの心は、お客さんのことを覚えてくれていることだと思うんだよね。

私達は気に入ったお店が見つかると他の店を知ろうとしないところがあるけれど、味は多少落ちても「いつもありがとうございます」、その一言に心が癒される。

作る人の顔が見える店は安心できるし、ご馳走様の一言で縁を繋いでいけることが嬉しいんだよね。
美月
プロフィール

不良老人カップル

Author:不良老人カップル
___________

(♂) 紅殻格子(べんがらごうし)
1962年8月23日生まれ。
某大手企業に勤めながら官能小説を雑誌に発表する兼業作家。ブログ『妄想の座敷牢』を主宰するも、2012年、妻を亡くし、また自身も食道癌に罹り、文筆活動をしばらく停止していた。

(♀) 美月
1962年8月23日生まれ。
3人の子供と夫を持ちながら家業の役員を務める兼業主婦。ブログ『灰になるまで恋を』を主宰。 偏屈な紅殻格子と10年に及ぶ愛人関係を続けられる自身もまた偏屈で変わり者。
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