紅殻格子の日記(42)…共通体験

紅殻格子の日記(42) 共通体験

私と美月が10年を越えてつきあってこられたのは、冷静に分析すると今のところ二つの要因があると考えています。

一つは、無理矢理でも共通体験を広げてきたことでしょう。

結婚と不倫が決定的に違うところは共通体験の量だと思うんですね。

「ホテルで逢ってホテルで別れ・・」

誰かの歌ではありませんが、これでは二人だけの密室行為しか体験として残りません。

私達も昔はそうでした。

逢えるのは平日の18:30から22:00まで、しかも週一回でした。

それでも距離があるので新幹線を乗り継いで帰宅すると23:30、普通に家庭があるとこれが嘘の限界だと思います。

だから外で食事をする時間が勿体なくて、出来合いの惣菜を買ってホテルに入って食べていました。

今思えば笑い話ですが、当時はそこまでしても二人だけで居たかったわけです。

そこで私が心がけたのは、惣菜を食べながら二人でテレビを観ることでした。

如何せん夫婦のように元々の共通する話題がないわけで、番組を観ながらお互いの感想を紡いで行くことしか共通体験が生まれないのです。

出逢ったばかりの頃ですが、美月が私の知らない身の回りのことを延々と喋るのでよく怒りました。

「そんな話は聞きたくない」

だってそうですよね、会社の◎◎さんがとか、近所の××さんがとか話されても、私は知らないんですから時間の無駄じゃないですか。

そんな喧嘩を繰り返しながら、やはり共通の話題を積み上げていくことが大切なんだと悟りました。

やがて美月が私の会社の近く(上野)まで出て来るようになって時間の余裕ができました。

すると二人の世界で、馴染の店ができたり、親しい人と出会ったり、たまには休日出勤と嘘をついて旅をしたり・・・どんどん共通体験が広がっていきました。

そうなるともう話題が尽きませんよね。

ですから大切なことは二人だけの世界を創り上げていくことなのです。

しかしただ共通体験をつくればいいわけではありません。

この続きはまた次回。

ポッポの丘

大福山…美月

大福山は、千葉県市原市にある山です。
標高は292メートル、山頂には展望台と日本武尊を祀る白鳥神社があります。

292メートルといっても、千葉は高い山がないので展望台からあたり一面ぐるりと見渡せば、天空の城(竹田城)にも負けず劣らずの絶景が見られます。

まあ、ちょこっと大袈裟な感じはあるけれど、でも自然のあり方豊かさに甲乙つけるほど人間は偉いかといえば・・・これまた猿にも劣るよね。

豊かさの象徴が山の中に散乱している。
地中深く埋められた産廃物が、長い年月をかけて山を侵食していくのだろうね。

名水の里に住む者達ならわかっているはずなのに…
お金がなければ受け入れざるおえない必要悪もあるのかな!?

前々回、大福山に上った時にお猿の親子を見かけた。

山頂付近の山が崩れて補修工事がしばらく行われているけれど、作業用建設機械を怖がる様子もなく、現場監督のように人間の仕事ぶりを監視しているようにも見えた。

初めて野性の猿と遭遇して、「猿って、本当に山に住んでいるんだね!」と、さも知っていそうなことを先生と二人、深く納得してしまった。

母親猿は見慣れないド派手な赤い車を見つけると険しい顔になり、小猿をヒョイと背負うと猿技とも思えるほどの身軽さで樹木の中へと消えて行った。

猿に会えたことに驚きはしたけれど、嬉しかったか?というと複雑な気持ちを整理できないまま山を下りた。

こんな時、私達は多くを語らない。
でも、語り合わなくても同じことを感じていることはわかる。

下界に下りてしばらく走ると、何もない田舎の一本道の路肩に一台の車が停まっていた。
よく見ると、運転手は道路に無造作に転がる大きな物体を心配そうに見つめていた。

茶色の毛並みにくすみのない白いラインが印象的な鹿だった。
大きさからみると、人間でいう小学生くらいになるのかな?
道路を横切る際、車にぶつかってしまったのだろうね。

初めて交通事故にあった鹿を見て、ショックだった。

確かに鹿、狸、猿マークの警戒標識は良く見かけるけれど、本物を目の当たりにすると普段住んでいる世界とまるで違う場所にいることに改めて気付く。

ここは都会と違うのだから、道路を走行する際は人間以外の生き物にも十分注意を払わないといけないと思った。

「あの小猿が大きくなれるといいね」

…先生が一言、小さな声で呟いた。

「うん、そうだね…」

…とだけ言って、しばらく走り去る景色を黙って見ていた。

なんだかわけもわからず悲しくなって、隣に座る先生を見たら私より哀しげな顔をしていた。

今まで気付かなかったけれど、何度も通ったことのある道でありながら、農作物への被害を食い止めるべく動物除けの策が張られているんだよね。

野性動物により地元農家の被害を考えると一概に動物愛護を訴えることはできないけれど、本来であれば人間を恐れるはずの野性動物が山から下りてくるのは何故だろうね?

田舎の集落ともなると衰亡とあいまって人の数と動物の数のバランスが崩れていることも原因の一つかもしれない。

田舎道を走っていると、歩く人、自転車に乗る人に出会う確率は低く、たまに人影を見つけると、殆どの場合、草刈りをしている。

そのうち人間に代わって猿が草刈りしている姿を見かけるかもしれないなぁ。
…その時、私達はあの子猿を可愛いと思えるのかな?
美月

運かなぁ〜罠かなぁ・・・???

千葉に向かう途中、アクアラインを走行していると覆面パトカーらしきグレーのスカイラインを見つけた。

私達が見つけた…と言うより、彼らが私達を獲物と定めたと言った方が正しいかもしれない。

海ほたるから本線に合流するグレーのスカイラインは、私達の後ろに着こうと速度を調節しているのがわかった。

なんといっても、ほぼ毎週、アクアラインを利用しているので、グレーのスカイラインには再三の注意を払ってはいるけれど、まさか自分達がターゲットになる日がくるとはね…(^^;)

覆面パトカーかどうか疑いながらも、グレーのスカイラインがすぐに左に寄ったので、先生もすかさず車線変更して後方に回った。

…と同時に、追い越し車線を気持ちよく走る新車のワーゲンが私達の横を通過した瞬間、グレーのスカイラインが右に出たと思ったら、ワーゲンをあおりだした。

ええっ〜・・・それはないよねぇ〜。

だって左車線は数珠繋ぎで入れないことをいいことに、速度を落とそうものなら左右へと蛇行運転で煽ってくるし…。

結局、加速したまま二台は消えて行き、私達の想像通り次のインター手前でワーゲンは捕まってしまった。

ワーゲンに乗車していたのはカップルだった。
三連休、初日、それも見たところ新車の輝きだったから、この日の旅行(ドライブ)を楽しみにしていたと思う。

喧嘩にならなければいいけれど、どの道不幸だよねぇ〜・・・(^^ゞ

運の良し悪しは、ちょっとしたタイミングの違いなのだと身を持って感じた。

アクアラインは全国で覆面パトカー取締による検挙率が圧倒的に高いらしい。
まあ、千葉に行くたび、上り下りのどちらかの車線でかならず捕まっている車両を見かけるもん。

帰ってからネットで調べると、アクアラインにはもう一台、白のクラウンの覆面パトカーがいるらしい。

それも二台で連携して違反車を取り締まるというけれど…

その後は詳しく書いていなかったけれど、一台が煽って加速させたところで、もう一台が横から速度を計り捕まえる手法なのだろうということは察しが付く。

もちろん違反は良くないけれど・・・高速道路で100キロは猛スピードとは言わないよね。

でもオービスのないアクアラインで80キロ規制となると・・・誰が捕まってもおかしくないと思う。

先生は次に同じような機会があったら、覆面スカイラインと仲良く並んで走りたいというけれど(^^ゞ、
せめて私の役目として、高速道路走行中は目を凝らしパトカー探しに精を出すしかないよね。
美月

泣きたくなるほど…美月

満点の星の下、二人で星を眺めながら、口から出る言葉は「綺麗だね」しかなかった。

何度も何度も、先生が先、私が先・・・同時の時もあった。

月の無い夜は、冬の星座の代表さえ点で結ぶことができないほど星が煌めく。

数え消えないほどの星々が今にも降ってきそうで、あまりの美しさに、ただ「綺麗だね」としか言えなかった。

でも、それだけで幸せだった。

泣きたくなるほど幸せだと思ったよ。

美月

まあやさんへ

いつも読んでくれてありがとうございます(^^♪

えへへ、今回の先生…可愛いでしょ!?
普段、捻くれておりますが、先生の心は繊細でガラスの少年のようなところもあります。

繊細だから脆いのではなく、神経が細やかだからこそ、気配りの出来る優しい人になれるのでしょうね。

>先生の感謝のお言葉をお聞きになった美月さん…
今頃、嬉し泣きかも〜ですね。。

はい、何度も読み返しては瞳を潤ませ、幸せを噛みしめています。

先生に幸せを感じてもらえて嬉しい、私にとってこんなに幸せなことはありません。

私の幸せは先生の幸福の上に成り立っているのだと思いました。

「人生の楽園」という番組を二人で観ては、ああでもない、こうでもない…とケチをつけておりますが、
私達は「楽園」がどこにあるか?本当はずっと前から知っているんですよね。

先生の記事にもありますが・・・。
「おもろい夫婦」の話は、出逢ったばかりの頃、記事と同じ内容を話したことがあります。

二人の感性はよく似ていました。
私達の描く楽園は…夫婦であれ、恋人であれ、まっすぐに向き合う相手の心の中に存在するのだと思います。

愛する人の心が幸せであれば、鏡と同じ・・・私の心を映してくれる。
だから私一人では幸せになれなかったのだと思います。

まあ、こんなこと、私達だけの特別ではないと思いますが…(^^♪

まあやさん…嬉しいコメントありがとうございました。
私達がいることを楽しんでもらえる人に出逢えて幸せです。
美月

紅殻格子の日記(41)…感謝

紅殻格子の日記(41) 感謝

11月22日は「いい夫婦の日」ということになっているらしい。
その日、房総の大福山には紅葉目当てのたくさんのハイカーがいたが、夫婦の姿が多かったのも頷けるかもしれませんね。

二人で黙々と山道を歩く姿に感動しました。
昔、『唄子・啓介のおもろい夫婦』という番組があって、そのエンディングに、赤子に授乳する妻が乗った荷車を夫が引いて農村の山道を行く映像が流れるんです。

「夫婦、不思議な縁(えにし)で結ばれし男と女。もつれ合い、化かし合い、許し合う、狐と狸。夫婦、おもろきかな、おもろきかな。この長き旅の道連れに幸せあれ・・・」

この鳳啓介のナレーションが同時に流れると私は子供心に涙したものです。

一緒にいるってことは本当に素晴らしい。
皆、その有難さを忘れているんじゃないかと思います。

私は美月に感謝しています。
毎回逢う度に、今日も一緒にいてくれて有難うと口には出しませんが心の中で手を合わせています。

昨日は東浪見海岸で満天の星空を二人で観ていました。
二人で腕を組んで、数え切れない星の下で泣きたいぐらい嬉しかった。

こうして二人でずっといつまでも星を観ていられたらと、偶然に星空を横切った流れ星に願いをかけました。
52歳になって、本当に今が一番幸せだと感じています。
美月、ありがとう。

東浪見寺と軍荼利明王

たまには恋愛論?…美月

三連休初日、紅葉狩りに出かける人も多いのかな?

私はこれから千葉に向かいます。

いつもと同じ千葉です。

でも、毎回、見どころ笑いどころも違うし、車の窓から流れる景色も季節ごとの色合いを楽しませてくれる。

五十を過ぎて休息以外の目的で、休日を待ち遠しいと思えるのは先生のおかげだと思っています。

先生の記事を読んで、一途に一本道を歩く私は相談者の彼に少しイラっとしてしまったけれど、でもね、私は本気で好きかどうかもわからないのなら、恋も結婚もやめた方がいいと思うんだよね。

なぜってね、自分が思っていることは相手も少なからず感じていることだと思うから…。

それに失敗するしないは自分次第だとわからないのだから、いくらエリートだとはいえ頭が良いとは言えない。

考えの浅い人は、自分に不都合が生じると必ず人のせいにするからね。

でもね、彼の目はある意味正しいのかも…?

だって本気で自分に惚れていない女だと察しているのに、寿命の延びたこのご時、こいつに一生飯を食わせるのかと思ったら、この人無しでは生きられるないと思える人を見つけた方がいいと思うよ。

なかなか出会えないよ…というだろうね。

まあ、自分が変わらなければ出会えないと思うよ。

人生は短いけれど、だからといって妥協して生きる必要もないんじゃないのかな⁈

えへへ、失敗したから伝えられることもあるんだよね\(^o^)/

だけどね、私が彼の彼女なら、彼が自分のことで他人に相談していると知ったら悲しいなぁ〜。

そんな思いを抱いたまま、かけがえのない二人の時間を過ごしているなら、きっぱりと私を捨てて欲しいと思う。

男の包容力は地位や名誉じゃ買えないよね。

理想とする結婚って、女が気兼ねなく愛せる環境を作ってくれる、男の優しさあっての共同生活をいうんじゃないのかな?
美月

紅殻格子の日記(40)…一神教と多神教

紅殻格子の日記(40) 一神教と多神教

まだ31歳の部下は恋愛に悩んでいるようです。
彼は頭がいい現代の若者ですから、彼女を細分化して冷徹に分析しているようです。

「こういうところはいいけど、こういうところが好きになれない」みたいな発言が随所に出てきます。
おそらく真面目で潔癖でバランス感覚に優れたエリートなんですよ。

これは仕事でもそうですが、彼等は失敗することを極端に恐れるんですね。

常に周囲から自分がどう評価されているかを重視いるあまり、一度でも躓けばあっと言う間に酷評されてプライドも存在も吹き飛んでしまうと考えています。

大きな挫折を経験したことがない人間の弱さです。
だから彼等は絶対に失敗しないために100%を求めようと努力するのです。

程度の差こそあれ男も女もそうでしょう。
これも晩婚化の原因だと思います。

私「そんなキリストみたいな人がいるわけないだろう」

彼「では紅殻先生は奥様に気に入らないところがあっても結婚したんですか?」

私「恋は盲目、悪いところがあっても、いいところに相殺されれば構わないじゃないか。それがどうしてもダメなら、浮気して別の女に求めたらいいでしょう?」

彼「・・穢い」

つまり彼とは、完璧な相手がいるかいないかと言う前提が違っているわけです。

性格が良くて容姿が悪い相手がいたとしたら、彼は絶対に結婚しないでしょうし、私は結婚したいと思うかもしれませんね。

それで相手に容姿に思い悩んだら、性格の悪い美人と浮気すればいい。
でも絶対にその相手とは別れないし、浮気した美人とのことで迷惑をかけたりしない。

狡賢いとか穢いと言われるかもしれませんが、多神教の日本人らしい昔からある考え方ですよ。
これが信心深い一神教の信者なら宗教戦争になってしまう。

新しい絶対神が現れたら、すぐに今の信仰など捨てて新しい女の許へ走るでしょう。
清教徒は自分を幸せにしても他人を幸せにできるとは限らないんですよ。

・・おっとこれ以上書くと我が迫害されそうですね。
美月は私と出逢って多神教から一神教へ宗派替えしたようですから・・


飯縄寺

もう一つの昭和…美月

高倉健さんがお亡くなりになりましたね。
今まで意識したことがなかったけれど、父と同じ年だったと思うと、長い間、お疲れ様でしたと言いたいね。

渥美清が亡くなった時も、実際に逢ったことのない人なのに親しい人を失くした気持ちだった。
私の頭の中の健さんは、ロマンスグレーの紳士とは違う、義理と人情を秤にかけた健さんなんだけどね。

子供の頃、通っていた商店街にある銭湯(梅の湯)には、健さんそっくりな三助がいたけれど、
刺青を背負っていて、どう考えても風呂掃除するような生き方をしてきた人じゃないよなぁ〜。

当時の銭湯は今と違って刺青禁止ではなかったから、男湯には様々な絵柄の背中が並んでいたけれど、それも田舎ではあるまじき光景なのかもしれないね。

鯉の彫物の途中で痛み耐えきれず完成を断念した下っ端は、子供にも「お〜い、鱗が剥げてるよ」と馬鹿にされる始末。

今思えば、怖いものがなかったのかもしれない。
今どきの親のように過保護ではなかったけれど、子供は街(地域)や大人に守られて大きくなった。

今は良い人と悪い人の区別がつかないから、「人を信じてはいけない」と教わるのかな?

私は父に「むやみに人を信じるな!」と教えられて育ったけれど、その反面、母は馬鹿が付くほど人を疑わない人だった。

…言ってみれば、私は善と悪のハーフみたいなものかな(^^♪

まあ、ハーフというより、悪ときどき善くらいに言っておいた方が、先生の突込みも軽く済むかなぁ〜(^_-)-☆
美月

巣鴨庚申塚…美月

昨夜は先生と長年、通いなれた上野で楽しい時間を過ごしました。

お昼ご飯は以前、ブログに書いたことがある大塚にある上海チキンという店に行き、二人のお気に入り「エビとイカの春巻き」の美味しさに再びの感動です。

最近、久留里にある「喜楽飯店=ザ・中華」だと思い込んでいる節があったけれど、やっぱり競争相手の多い都会の商売は違うよね…。

「カンカンカン」

フライパンを煽る音で「美味しい炒飯はいかがぁ〜?」と迫ってくる。

腕の良い鍛冶屋職人の奏でるハンマーのようにリズミカルに叩かれるプライパンの上で、油を纏って金色に輝く米粒が宙を舞いながら卵と出会い旨みを増した炒飯となる工程が浮かんでくる。

日本料理のように出汁から手間をかけた料理も素晴らしいけれど、瞬間芸とも言えるほどお客の食欲を第一に考えてくれるスピード感と火力は炒飯の命でしょうね(^^♪

先生と一緒ごはんでお腹いっぱいになれば、幸せも両手いっぱいになる。

おまけに上を見上げれば、空はどこまでも青く澄み亘り、穏やかな散歩日和ということで、先生の腕にぶら下がりながら巣鴨まで足を延ばすことに…。

都電荒川線に乗ると・・「庚申塚前」という駅名を見つけて、千葉神社巡りの流れで庚申塚を見に行くことにしました。

巣鴨商店街入り口に巣鴨庚申塚はありました。

※ 巣鴨庚申塚は江戸時代中山道の立場として栄え、旅人の休憩所として簡単な茶店もあり、人足や馬の世話もしていました。江戸名所図会ではそれらの様子がにぎやかに描かれています。
ここは中山道板橋の宿場にも近く、右に向かえば花の名所「飛鳥山」、紅葉の王子にでる王子道の道しるべを兼ねた庚申塔が建っていました。庚申塚は広重の浮世絵にも描かれています。
現在は庚申堂に猿田彦大神を合祀しています。猿田彦大神とは日本神話に登場する神様です。天孫降臨の際に道案内をしたということから、道の神、旅人の神とされるようになり道祖神と同一視されました。

狛犬の代わりに愛嬌のあるお猿さんが、三猿を抱えて座っていました(^^♪

駒ゾウは千葉で二度ほど見たことがありますが、駒ザルは初めてだったので自宅に帰って調べたところ、明治の初期に千葉県銚子市の猿田神社から猿田彦大神を分祀してからのことだそうです。

猿田彦といっても、直接、猿とは関係ないと思うのですが・・・(^^;)

では何かと言うと・・・私は道祖神=天狗様だと思っています。

境内では小さく菊祭りをやっていましたが、菊もそろそろ終わりかな…?

石のお猿さんと写真を撮り、賑わう商店街を進んでいくと、元気なお年寄り達が衣・食・楽を充実させていました。

それにしても、みなさんお元気ですねえ〜。

もっともここまで出かけて来るのだから元気なのでしょうけれど、先生のコメントにもありましたが、昔からお詣りは庶民の楽しみであり、今でいうテーマパークのような娯楽施設に近い感覚だったのかもしれませんね。

商業も宗教も人あってのものですからね…、
人を惹きつける魅力がなければ養老渓谷の廃ホテルになってしまうよなぁ〜($・・)/~~~

だから月に何度となく縁日を開いたり、年に一度の祭りに始まり、季節ごとのイベントが用意されていたのでしょうね。

どちらにしても人が賑わう場所というのは、人が人を呼んでくれるのですから街も明るくなっていくのですね。
美月

旅は終われない…美月

東浪見から外房黒潮ラインで走ること15分ほどで岬町和泉にある明王山飯縄寺に着いた。

このお寺に行ったのは、いつものように偶然の出来事で、太東崎灯台(恋のビーナス)に向かう途中、波の伊八の宣伝看板を見つけて目的地を変更した。

飯縄寺は別名「天狗」の寺として、防火、海上安全、商売繁盛、無病息災などの祈願寺として多くの信仰を集めていたお寺です。

戦国の世に飯縄大権現を祀り、江戸中期には上野寛永寺直轄となり、江戸から船に乗って訪れた参詣者も多く、成田山新勝寺を凌ぐ賑わいを見せたといいます。

縦1m横4mのケヤキの一枚板で作られた波の伊八の最高傑作と言われている「牛若丸と天狗」を見ることができました。

牛若丸と大天狗は今にも動き出しそうで、伊八の腕の良さに加え「職人としてのやる気」が伝わる作品です。

牛若丸と大天狗

伊八の彫刻以外にも天狗の彫刻が数多く残されていましたが、どれも欲しくなってしまうほど素晴らしい出来栄えです。

恐れ多いことですが、本堂中に仲良く並んで座る天狗五人集も欲しくなってしまいました。

どの天狗様も怒っている、でも怒った顔の内に秘めた愛嬌があって可愛かったなぁ・・・(^^♪

私達…大の伊八好きですが、今回は伊八以上に心を動かされたものがありました。

(なぜ?海のそばに天狗?) 

天狗って山の上にいるんじゃないの???

そう、単純な疑問として山門をくぐる前から考えていたのだけど、今でも憑りつかれたように何通りかの仮説を立てては妄想世界に引き込まれてしまっています。

…と、言うのも先生の記事にもありましたが、大福山、鹿野山の山頂に日本武尊を祀る白鳥神社があるのだけれど、元々は役行者を祀る権現様で、明治になって神仏分離、廃仏毀釈、国家神道の推進にあたり、日本武尊が祀られたと記されているものが多い。

でも、他の山にも権現様の足跡は多く、飯縄寺の和尚さんのお話では、山には山賊がいるから江戸(深川辺り)から船で参拝に来たと聞いたんだよね。

それがね・・・何の根拠もないけれど、山間を走っていると明らかに天狗の仕業ではないかと思うような、大きな竜巻が通った後の傷んだ木々の姿を目にします。

それも人力ではどれほど時間がかかるだろうと思うほど、反り返りねじ曲がる大木を目の当たりにすると、人間の無力さを思い知らされながら、後で知ると…その山に祀られているのは権現様(天狗様)だったり、龍神伝説が残っていたりね。

もちろん自然の猛威だといってしまえばそれまでだけど、民話には昔の人の暮らしを知る手がかりが隠されているんだよ。

だからね、ただ…そのまま読んでは面白いものも面白くなくなってしまうのだろうと思う。

歴史的背景を重ねて読むと、淡々と書き綴られたお地蔵さんの話にも涙することもあるよ。

でも・・・でも・・・今、私の一番の関心ごとは・・・結界です。

飯縄寺は全てが江戸時代の建造物なのですが、このお寺は最近では珍しい「結界」が張ってあると教えてもらいました。

第1の結界の鳥居を潜るとイライラが除かれ、第2の結界の石垣では人の“強欲”が除かれ、第3の結界では“死の恐怖”が除かれ、その後本堂にお参りすることにより、“良い事をしたくなる”、“世の中に尽くしたくなる”と言われています。

でね、私・・・不思議なことに結界の話を聴く前に、神秘的な何かを感じることができました。

私の体験は和尚さんのお言葉とは違って、まだまだ人の為より自分為に物思うことばかりなのだけど、第三の結界により「この場所が居心地の良い空間」へと変わっていったのです。

先生が本堂の縁側に立つ私の写真を撮ってくれたのですが、その時、私・・・「帰りたくない、ずっとここに居たいなぁ~」と言ったと思います。

でもね、先生の後ろ姿を目で追いかけていたら、なんだか急に怖くなってきて、早く現実世界に帰らないと戻れなくなるのではないか思ってしまいました。

まあ、頭のおかしい人の話も、たまに聞く分には害になることはないと思うので、しばらくお付き合いくださいね。

江戸にタイムスリップしたかのような境内を本堂から眺めると・・・江戸情緒に溢れた当時の子供たちの遊びが見えてきました。

手毬をする子もいれば・・・竹とんぼを飛ばすヤンチャ坊主、とおりゃんせ遊びをする幼女達の歌声が遠くから(山門の外)聞こえてきました。

この歌には色々な説があるけれど、歌詞にある「行きはよいよい 帰りはこわい」とは、結界を越えた人間は元の世界に戻れなくなると言っているのではないかと思った。

常々思っていることだけど、神はどこから連れて来られてどこにいるのか?と考えると、そもそも神社にある結界は神を封じ込める為にあるのではないかと、逆説も浮かんでしまうんだよね。

…となると、狛犬は門番であり、見張り番ね(^_-)-☆

結界となる一番は、鳥居の存在だよね。

鳥居も神社によって様々な形があるんだね、神と鳥居の形の関係は調べる価値あるなぁ〜。

ホント・・・一つ知ると、次に調べたくなるものと繋がってしまうから、どのジャンルにも言えるけどマニアというのはキリのない人、聞き分けのない人のことを言うのだろうね(笑)

以前、先生に伊勢神宮に連れて行ってもらったんだけど、その時、神宮式年(神様のお引越し)を知った時、まるで神様が監禁されているように思えて自由のない暮らしはつまらないだろうと言っちゃった。

ちなみに私が神ならとっくに逃げ出しているけれど・・・(^^;)

先生にも言ったんだけど、先生・・・この手の話は絶対に怒らないし、くだらないと鼻で笑ったりしない。

もちろん先生の知識で考えれば現実に近い形の歴史が次から次へと見えてくるはずだろうけれど、でも結果として縄文時代レベルの話となると、本当のところ・・・どれが本当なのかわからないことが多いからね。

だから理論を踏まえた上で、仮想世界の中で私を自由に遊ばせてくれる先生の思いやりが嬉しい。

人間が出られないというのは人間側から見た感想であって、結界の意味は黄泉の国と現世を分けているのではないのかな?

そう思ったのは、少し前に改めて読んだ神話「黄泉の国」からがヒントなんだけどね。

イザナギは死んだ妻・イザナミを追って黄泉の国へと行く。
そこで変わり果てたイザナミの姿を目撃したイザナギが黄泉の国から逃げ帰る話です。

黄泉の国は、元々、「夜見」の国なのではないのかな?

…となると、大好きな月読宮が登場するんだけど、月読は天照の光りに対して反対の闇を支配する神だから、、黄泉の国から逃げる帰ろうとするものを見張る役目を持っていたのかもしれないなぁ~。

月讀神社は月出(西に向かって建てられている)と思いつつ、天照大神が(東向き)に祀られている神社に向かって建てられているのかもしれないね。

はあ・・・ダメダメ・・・話が広がり過ぎて一夜ではまとまらなくなってきた。

また続きは書くとして、明日は先生に逢えるのに、寝不足の皺皺ババアでは行かれない。
早く寝ないと・・・(^^;)(^^;)(^^;)
美月
プロフィール

不良老人カップル

Author:不良老人カップル
___________

(♂) 紅殻格子(べんがらごうし)
1962年8月23日生まれ。
某大手企業に勤めながら官能小説を雑誌に発表する兼業作家。ブログ『妄想の座敷牢』を主宰するも、2012年、妻を亡くし、また自身も食道癌に罹り、文筆活動をしばらく停止していた。

(♀) 美月
1962年8月23日生まれ。
3人の子供と夫を持ちながら家業の役員を務める兼業主婦。ブログ『灰になるまで恋を』を主宰。 偏屈な紅殻格子と10年に及ぶ愛人関係を続けられる自身もまた偏屈で変わり者。
___________

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