紅殻格子の日記(90) 

紅殻格子の日記(90) 
 
房総珍百選⑥ 千葉県石堂寺・久留里・行元寺付近・睦沢町  

河津桜 (紅殻格子) 前々回(88)で冬の風物詩を書いたのですが、時が経つのは早いものでもう3月を迎えます。
 
先々週、先週と早春の房総へ行ってきました。
まるで火事のように杉林から花粉が煙っていましたが、すでに里山の風景に心が浮き浮きするような明るさを感じることができました。
 
花の彩りです。
千葉を代表する花は菜の花だと先入観を抱いていましたが、意外にも山々に薄桃色を滲ませる河津桜が多いことに気づきました。
 
画像A (1) 

お恥ずかしい話ですが、河津桜は伊豆の河津町へ行かなければ楽しめないと思っていました。
確かに雲海のように咲くあれほどの河津桜は河津町にしかないのかもしれません。 しかし気をつけて見ると、結構あちこちで見かけることができます。
 
画像B 

昔、有名な湯島天神の梅祭りへ行きました。
湯島天神の境内に咲いている梅はせいぜい十本ぐらいでしょうか、そこにカメラを構えた何百人という人々が押し合いへしあいしていました。

あまりの雑踏で梅の香りより土埃の臭いばかりがしました。
この人達は馬鹿じゃないかと思いましたね。
 
花を愛でるってそういうことなのでしょうか?
私は行ったことがありませんが、河津町の桜祭りも相当な人が繰り出すようですね。
 
何故他人がいいと言うものを鵜呑みにするのか・・・自分がいいと感じるものを探そうとしないのでしょうか?
 
画像C 

お陰様で美月と私は河津桜を誰にも邪魔されずに堪能することができました。
 
画像D 

でも本当に考えて下さい。
行き先を他人に決められている観光バスツアーなんて恥ずかしいだけですよ。
路傍の小さなスミレがどうしようもなく心を打つこともあるんですよ。
 
発見です。
そういう感性がないと、いつも一緒にいるパートナーを美しく感じることもできないでしょうね。

房総珍百選⑤ 千葉県 九十九里浜 (紅殻格子)

房総珍百選⑤ 千葉県 九十九里浜 (紅殻格子)

私立の中高一貫進学校(男子校)に通っていた私は、当時全国各地に住む同年代の女性と文通していました。

京都・会津・金沢・・・
文通は古い・・でも今のフェイスブックと何も変わらないんですがね。

だって6年間男に囲まれて勉強ばかりしているわけですから、普通はそのぐらいしないと頭がおかしくなってしまいます。

その中に九十九里浜に住んでいた女性がいました。

まあ、その娘とは千葉市内で一度映画を観て終わりましたが、そのおかげで私は九十九里浜を知ることができたわけです。

初めての九十九里浜は、親にも内緒で高校の文化祭をさぼって一人旅した時でした。

日帰りですが横須賀線と総武線、外房線、東金線を乗り継ぎ、東金からバスに乗って行くわけですから大冒険です。

でもあれほど感動した風景は今もありません。

画像①

画像②

水平線を見て地球が丸いと感じられる茫漠とした海と砂のオブジェです。

人間がつくった小賢しい物など何もなく、ただただ海と砂しかない自然なのです。

今考えると恥ずかしいのですが、その圧倒的な迫力に涙するしかありませんでしたね。

それから35年、私は相変わらず九十九里浜に通い続けています。

観光とか旅とかのレベルではなく、私がこうして存在している原点になっているのです。

しかしね、個人的には九十九里浜をそっとしておきたいのですが、どうしてこれほど人気がないのかと不思議になりますね。

確かに遠浅で波が荒いため海水浴には馴染みませんが、乗馬もできますし、釣りもできますし、美味しいハマグリやナガラミもありますよ。

画像③

画像④

湘南と比べてはいけませんが、夏場でも人気が疎らで哀しくなります。

逆に、これほどの風景を人は愛することができないのかと思い、自分が誇らしく感じる時もあります。

でも美月は何もない九十九里浜を愛してくれています。

それが私にとっては奇跡であり本当に嬉しいのです。

皆さんも一生を賭けられる風景に出逢うことがあるでしょうか?

観光じゃありませんよ。

そこで死にたいと思えるような永遠の極楽浄土です。

画像⑤

画像⑥

房総珍百選④ 千葉県月崎駅  素掘り隧道 (紅殻格子)

房総珍百選④ 千葉県月崎駅  素掘り隧道 (紅殻格子)

房総珍百選も第四弾となりました。

今回のテーマは素掘り隧道、つまり人が手でこつこつ掘った手掘りトンネルです。

昨今は道路や鉄路の敷設も、複雑な権利関係がある地上より地下の方が安易で、やたらとトンネル化する傾向にあるようです。

それはシールドマシンの登場などトンネル掘削の技術が進んだことも要因なのですが、菊池寛の小説『恩讐の彼方に』を紐解くまでもなく、昔は全て人手ですから大工事だったのだと思います。

私達が初めて素掘り隧道を知ったのは、房総は上総松丘辺りの旧道を走っていた時でした。

突然目の前に現れた隧道は、トンネル内部が不規則に凸凹しており、途中で車のボディを擦りそうな不安を感じるほどでした。

手掘り隧道a

今はコンクリートで壁面を固めてありますが、手掘りのゴツゴツ感が何とも往時の面影を偲ばせます。

いつ掘られたのかはわかりませんが、人は歩く距離を縮めて楽をするためにこれほどの膨大な労力をかけるのです。

否、隧道を通すことで町を更に発展させ、子子孫孫の幸福を願ったのかもしれませんね。

次に見つけたのは、小湊鉄道月崎駅付近にある永昌寺トンネルでした。

車で山道を走っている時に、美月が「あっ!何かある」と大声を出して指差したのです。

この隧道は更に長く狭く、将棋の駒に似た形をしています。

手掘り隧道c

手掘り隧道d

手掘り隧道e

カーナビを拡大してもなかなか出て来ない細い地元道ですが、おそらくこれほどの隧道を手で掘るわけですから、昔は非常に重要な道だったのでしょう。

今は地元の人がたまに車で通るだけで、すっかり旧道は世間に見捨てられていました。

それが何とも切なさを感じます。

歩いて中に入ると坂になっており、明治時代の技術では、村をあげての難工事だったのかもしれませんね。

実はこの時、私は少し微妙な違和感を覚えました。

最近になって、私は勇気を振り絞って(歩きたくない美月に急かされて)、真っ赤なスカイラインでこの隧道を走ってみました。

すると旧道は山奥へ続き、その先にもう一つ永昌寺トンネルと同じ形をした隧道と出逢いました。

それが柿木台第一トンネルです。

手掘り隧道f

手掘り隧道g

年代的には永昌寺トンネルとほぼ同時に掘られたものだとわかります。

「あれに・・・似ていない?」

湯上りの婆さんのように、冷たい北風の吹く中、美月が頬を染めました、

そうです、女性の性器に似ているのです。

そう言われると、駒形に掘っているのだから「駒形掘り」と命名すればいいのに、何故か「観音掘り」と両トンネルともに書かれているではありませんか。

どうやら駒形に掘るのは地形の圧力を分散させるためなのですが、昔の人はなかなかエロチックな発想をするものですね。

この隧道を通るたびに、奥さんの陰部を思い出してニヤリと一人笑んだのでしょうか?

本当に女性の観音様は、男をいかなる時も奮い立たせてくれるものです。

女性読者の皆さん、是非とも観音様をしっかりとお手入れして、男達を喜ばせてあげて下さいね。

房総珍百選③ 千葉県 飯給駅…(紅殻格子)

房総珍百選③ 千葉県 飯給駅 (紅殻格子)

飯給駅は、房総半島のど真ん中、釣りで賑わう高滝湖の南にある無人駅です。
関東の鉄道マニア、或いは写真が好きな人しか知らない駅だと思います。

ごく俗世的に言えば、小湊鉄道の有名な上総鶴舞駅と並ぶ名駅なのでしょう。
上総鶴舞駅は様々なCMやドラマにも登場する所謂「田舎駅」で、その懐かしい里山の風景に日本人ならば必ず涙を流してしまうはずです。

是非皆さんも房総を訪れた時、何かの拍子で圏央道の市原鶴舞で下りてしまった時は訪ねてみて欲しい駅です。
その鶴舞と双璧をなすのが飯給駅。

ここを人が訪れるのは四月上旬、駅に植えられた桜と駅前の菜の花、そして小湊鉄道の車輛が美しい箱庭の風景を描き出します。

飯給駅①
飯給駅②

ご覧の通り、大変趣がある原日本の駅ですよね。
そしてこの風景には伝説もあります。

ウィキペディアによれば・・・

この付近には壬申の乱に敗れてこの地に落ち延びたとされる弘文天皇(大友皇子)にまつわる伝説がある。
飯給駅前の白山神社は弘文天皇を祭神としている。
「飯給」という地名も、この地の人々が天皇一行に食事を捧げたことから、弘文天皇の3人の皇子が「飯給」の名を与えたとされる。

このほか、「御所塚山」は弘文天皇が仮の御所を置いた地、「安房森」は弘文天皇に随行した安房大納言の旧跡とされる。
安房森には弘文天皇の3人の王子を祀ったとされる3つの祠がある。
飯給の地名に関し、大友皇子にまつわる以下のような伝説がある。
672年、壬申の乱に敗れた皇子は東海道を下ったが、このさい11人の公家を引きつれて川をさかのぼって来る途中、前の川岸では6人が溺れて亡くなった。
疲れ果てた皇子一行を、村人たちは追っ手が良く見える八崎代に案内のうえ、休息をとらせ食事も与えたことに対して、一行は大変喜んだという。
このことから、当地を飯置(いいち)と呼称するようになり、飯を給うたので飯給と呼称するようになったという。

また、地元の言い伝えでは皇子の3人の子どもを村人に預けて、現在の市原市万田野地区を越えて落ちのびたという。
村人は3人の子供達の顔にススを塗るなどして変装させたが、10月の酉の日に追っ手に捕らえられ、現在の駅前に見える白山神社で打ち首になったが、この翌日から付近には白い3羽の鳩が舞うようになったため、村人達がその場所にお宮を建て祀ったところ、その日から白鳩の姿は見られなくなったと言われる。
なお、白山神社の別称として白鳩の宮というのはこの伝承に由来するという。

白山神社は丁度駅の前、深い杉の林に覆われた深閑たる丘の上にあります。
実に神秘的な佇まいをしており、社殿は新しいものの、古代から伝わる伝説の地として相応しく感じます。
ですから花の季節は絶好の被写体となり、多くの鉄道写真マニア達で足の踏み場もないほどごった返すのです。

飯給駅③


飯給駅④


これでは人の頭ばかり写っていい写真など撮れるはずがありません。
そもそも誰かが飯給駅の美しさを写真に納めて発表したのでしょうが、何故同じ場所を真似して撮ろうとするのでしょうか?

私にはその心情が理解できません。
写真が芸術の範疇にあるのなら、先人の轍をのほほんと辿って行くなどあり得ません。

誰かが気づいた飯給駅の景色を自分もコピーしたいと思うのでしょうか?
芸術であれば、歯噛みするほど悔しく感じ、新しい素材を見つけようとするのが本当ですよね。

だから花の季節の飯給駅は無人でなければならないのです。
本当に異様な光景ですよ。

飯給駅⑤

オリジナリティを求めない人間などゾンビにしか見えません。
飯給駅はたまたま通りかかった偶然で見つけたのですが、私はその風景の美しさよりも人々の愚かさが面白くて写真に撮ろうと思いました。

これぞ珍百選なのです。
そんな気難しいことを言う私達は何をしたかと言うと、先週、桜も咲かない季節外れの誰もいない駅のベンチで弁当を食べました。

ただ何も無い静かな山里の水彩画です。
花は咲いていないけれども、春を待つ桜のつぼみにはうきうきするような刺激があります。
誰もこんな風景は撮らないでしょうがね・・・

飯給駅⑥

房総珍百選② 千葉県睦沢町 歓喜寺(3)…(紅殻格子)

これは切実な問題ですね。

いや、でもちょっと待って下さいよ。
あの真新しい仏様は相当なお金をかけて最近つくったものではないのですか?

「ああ、あれは元々木造だったのですが、上からコンクリートを塗って綺麗にしたんです」

「え?」

でも木造の方が価値があって、参拝する皆さんも有難がるのではないでしょうか?

「もしかするとあそこに置かれている龍の木造も・・?」

「お金がないから修復できないでいるんです」

あの龍がコンクリートで固められてしまうぐらいなら、私は今晩にでも盗みに入ってやろうかと真剣に思いました。

続けて住職曰く。

「この寺には、江戸時代三代将軍家光以来、9人の将軍の御朱印状が残されていますが、管理が面倒臭いので町の文化財保護施設に預けてしまいました。コピーが本堂に貼ってありますから見て御覧なさい」

まあ確かに色褪せた古いコピー用紙が本堂にありましたが…

「他にも価値がある秘仏があったんですが盗まれてしまいましてね」

こうして町の骨董屋などにお宝が流出するのでしょうが、ここまでいい加減だと、果たして外部犯行なのか内部犯行なのかも定かではありませんね。

いずれにしても珍百選に間違いなく入る名所であろうと確信します。

しかし同時にお寺さんの事情もわかる気がしました。
過疎化で檀家が少なくなり、地方は疲弊しているのです。

地方のお寺さんは、その存亡を突きつけられているのも事実でしょう。
もし『波の伊八』がつくった彫刻でもあれば何とか観光客でしのげるのでしょうが、何も無いお寺さんの台所はそれこそ火の車なのです。

こうして珍百選としてご紹介していますが、その背後には地方創生を急がなければならない大きな課題が潜んでいることを改めて知らされました。

終わり
プロフィール

不良老人カップル

Author:不良老人カップル
___________

(♂) 紅殻格子(べんがらごうし)
1962年8月23日生まれ。
某大手企業に勤めながら官能小説を雑誌に発表する兼業作家。ブログ『妄想の座敷牢』を主宰するも、2012年、妻を亡くし、また自身も食道癌に罹り、文筆活動をしばらく停止していた。

(♀) 美月
1962年8月23日生まれ。
3人の子供と夫を持ちながら家業の役員を務める兼業主婦。ブログ『灰になるまで恋を』を主宰。 偏屈な紅殻格子と10年に及ぶ愛人関係を続けられる自身もまた偏屈で変わり者。
___________

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