紅殻格子の日記(163)  『野良猫』 第二章

紅殻格子の日記(163)  『野良猫』 第二章

男の動きが止まった。

ベッドに胡坐をかいて背を丸め、射精した避妊具を男根から外す姿が如何にもみすぼらしい。
何もそこまで毛嫌いせずともいいのだが、麻美には昔から底意地悪く男を値踏みする癖があった。
絶頂の余韻を楽しむかの表情をつくりながら、冷徹に男と別れる算段を考え始めた。

ベッドで煙草を燻らせながら、麻美はバスルームから出て来た男に話しかけた。

「ねえ、奥さんとは上手くいっているの?」

「えっ、ああ、まあね・・でも子供がいるから一緒にいるようなものだよ」

男は一瞬顔を曇らせたが、何かを取り繕うように素っ気なく答えた。

「遊び人なのね」

「そうでもないさ・・でもお互いに家庭があるんだから、できればこれからもスマートに大人の世界を楽しみたいね」

男が気障にそう答えた時、突然鞄の中でスマホのバイブ音が鳴り始めた。
慌てて鞄を開けた男は、顔を強張らせながらスマホを懸命にチェックした。

「奥さんからの連絡?」

「い、いや、家内とはほとんどメールなどしないからね」

麻美の想像が図星だったのか、我に返った男は再びスマホを鞄に投げ込んだ。
麻美はベッドから跳ね起きると、上半身を反らしてバストとヒップのラインを強調したポーズをとって見せた。

「あたしの身体と奥さんの身体、どっちが好みかしら?」

「そ、そりゃ君さ・・家内の身体なんか、ぶよぶよに弛んで無残なものだよ」

再び萎えた男根を半ば勃起させて、男は麻美の身体を執拗に撫で始めた。

(どこまで下衆な男なの?)

自分の妻を醜いと蔑んでまで麻美の身体を欲する神経が、最低の部類に属する性欲豚であることを証明していた。

つづく…


紅殻格子の日記(161)  『野良猫』 第一章

野良猫

紅殻格子の日記(161)  『野良猫』 第一章

ベッドが軋んでいる。

覆い被さった男が乳房を揉みしだき、息を荒げて激しく腰を撃ちつけてくる。

「気持ちいいか・・気持ちいいだろう?」

担ぎ上げた両脚の間から男は顔を覗かせ、何度も同じ台詞を問いかけ続ける。

「ええ、凄く気持ちいいわ」

藤野麻美は男の興奮を陰部で受け入れながら、次第に醒めていく自分の心と身体を感じ始めていた。

(哀れな男・・)

馬ほどに鼻の穴を広げて呼吸を荒げ、顔面が引き攣るほどの必死な形相で、男は麻美の快楽を征服しようと腰を振り続ける。

「ど、どうだ、亭主なんかよりずっと気持ちいいだろう?」

「ああ、いいわ・・あなたの方がいい・・」

麻美は男の動きに合わせて腰を揺すり、口をわざと半開きにして喘いでみせた。

心が次第に凍りついていく。

(世の中には、この程度の男しかいないのかしら?)

男の阿呆面を心の中で笑いながら、麻美は冷静に自分が置かれた不遇を自嘲した。

この男とは出会い系サイトを通じて知り合った。そして初めて会った今夜、食事もそこそこにラブホテルへ直行したのだった。

元からさほど期待はしていなかった。

そもそも出会い系サイトを利用して、極上の男に巡り合える可能性など皆無である。
だがサイト使って麻美は三十人近い男を漁ったが、セックスに長けた男ぐらいなら、十人に一人ぐらいの確率で出逢うことができた。

ところが男はセックスでも外れだった。

女泣かせを自称した男の男根は、麻美の子宮口を突くこともできない粗品だった。
この先つきまとわれては面倒なので、今夜は一夜限りの夢だとはっきり教え込まなければならない。

つづく…

紅殻格子の日記(142)  二十三夜待ち 第22章

紅殻格子の日記(142)  二十三夜待ち 第22章

昭和三十二年の春だった。

蕎麦屋の主人夫婦が仲人となって、寛三と小鶴はささやかな結婚式をあげた。

「寛三、いい嫁をもらったな。お前もこれで一人前だ」

蕎麦屋の主人は結婚の餞に暖簾分けを許してくれた。
寛三はこつこつ貯めた金と主人の支援で、横浜の港湾労働者が暮らす街で小さな店を開いた。

僅かに四人がけのテーブル席が五卓あるだけの店だったが、寛三が打つ蕎麦と行商で鍛えた小鶴の接客で繁盛した。

小鶴は幸せだった。
やがて二人の子供を授かり、小鶴はおんぶに抱っこで店へ出て働いた。
寛三は心配してくれたが、小鶴は働いていないとこの幸せが夢になりそうで怖かった。

やがて東京オリンピックを契機に、モータリゼーションと言われる車社会が到来した。
自動車の普及が進み、船や鉄道が主流だった貨物輸送もトラックやダンプへと変わって行った。

小鶴はそこに目をつけた。

自家用車と違って、大型のトラックやダンプの運転手は、昼飯を食べるのにも駐車場探しに苦労する。
そこで街から離れた国道沿いに、大型車用の駐車場を持つ支店を出してみた。

するとこれが大当たりした。
蕎麦以外のメニューも豊富に揃えて店の数を増やし、今では関東圏で百店舗を超える外食チェーンにまで成長していた。

寛三は五年前に鬼籍に入った。

「あの時・・お前と一緒になって本当に幸せだった・・」

「それは私も同じですよ」

寛三は亡くなる間際、小鶴の手を握って涙を流した。
小鶴も子供のようにわんわん泣いた。

時代もあるし、持って生まれた境遇もある。
だが人生は自分でつくるものだと千代は教えてくれた。

運命など後出しジャンケンのようなものだ。
一瞬一瞬で下す判断の累積が人生だろう。
ボロアパートで寛三の胸に飛び込んだ勇気は、それまで小鶴が積み重ねてきた人生の結論なのである。

空が仄かな赤みを帯びて、房総の山々へ影を落とし始めていた。

「母さん、そろそろ横浜へ戻らないと、夜の会食に間に合わなくなりますよ」

「もうこんな年寄りが銀行との会食に出なくてもいいだろうが?」

「それは困りますよ。メインバンクの頭取は母さんと話をするのを楽しみにしているんですから」

「外房の勝浦辺りへ出れば、のんびりと今晩泊まれるホテルが空いているじゃろう」

「我が儘言わないで下さいよ、母さん。あなたは従業員五百人を抱える企業の会長なんですよ。
まだ現役で頑張って貰わないと、従業員達が路頭に迷ってしまうんですよ」

いい年をした息子に懇願されて、小鶴は渋々車に乗り込んだ。

「やれやれ」

月出山の山頂に大きな満月が姿を現した。
それは幼い頃に観た月と何一つ変わってはいなかった。

閉幕


紅殻格子の日記(140)  二十三夜待ち 第21章

紅殻格子の日記(140)  二十三夜待ち 第21章

その半年後、四年間続いた太平洋戦争は敗戦を迎え、マッカーサー司令官が厚木に降り立った時、この国は羞恥心の欠片もないほど変節してしまった。

それは山奥に位置する月海集落とて例外ではなかった。

名主だった睦沢家は農地解放によって没落し、和馬と千代との間にできた娘は、月海集落を離れて東京へ転居したと聞く。

睦沢家も華族も、巨大な財閥にしても、別に悪いことをしたわけではない。

ただ、あの八月十五日を境に時代が変わっただけなのだ。

だが人の心根は変わらない。

「南無、二十三夜様」

「南無、二十三夜俗諦勢至菩薩」

暗い灰色の時代、二十三夜に集う女達が深夜密かに祈ったのは、決して日本が戦争に勝つことではなく、亭主や子供、そして家族が幸せに暮らせることだった。

ほんのり薄紅をさした女心。

女達が解放される夜。

未通娘だった小鶴にはわからなかったが、夜も更けると、若い女達は村の男衆の噂話に花を咲かせ、女房衆は夫との閨を自慢し合って騒いだのではないか。

夫を戦地へ送った女房は、その無事をただただ月に祈っていたのではないか。

戦時下にあっても、人を愛する心は変わらない。

だが小鶴が寛三に抱かれたのは、千代の後押しがあったからだけではなく、昭和三十一年という自由が許される時代だったことも無縁ではなかろう。

小鶴は谷上正一に離縁を告げた。

あれほど小鶴を邪魔者扱いしていた谷上家だったが、労働力を失うことを恐れて掌を返したように遺留した。

「私は家畜じゃありません」

そう吐き捨てて、小鶴は家を飛び出して寛三のアパートへ転がり込んだ。

つづく…



紅殻格子の日記(137)  二十三夜待ち 第20章

紅殻格子の日記(137)  二十三夜待ち 第20章

蝉の声がけたたましい。

小鶴の息子は、月讀神社の眼前に広がるゴルフ場に目を遣り、退屈そうに軽くクラブを素振りする動作をして見せた。

「なかなかいいゴルフ場だね」

「ここは一面、薄の野原だったんじゃ」

小鶴は吐き捨てるように言うと、暫し真昼に遠き昔の夢を見た。

二十三夜の青白い月明かりの下、執拗に睦み合う千代と清一の姿は、まるで雌雄の龍が絡み合う神聖な営みに見えた。
月光を遮る木々の葉影が、月に照らされた二人の肌に模様を描き、縄文人が施した刺青のように妖しく隈取っていた。

遠く月讀神社から、呪文にも似た女達の念仏が聞こえてくる。

「南無、二十三夜様」

「南無、二十三夜様」

「南無、二十三夜俗諦勢至菩薩」

「南無、二十三夜俗諦勢至菩薩」

陰暦二十三日の夜、月待ちをすれば願い事が叶うとされていた。

だが千代と清一の願いは叶わなかった。

否、あの戦争の時代、二人は駆け落ちしてまで一緒になろうとは思わなかったに違いない。
生きるだけで精一杯だったからだ。
せめて二十三夜だけでも、二人で過ごせる時間が与えられることを感謝していたのかもしれない。

(酷い時代だった)

あれほど才色兼備だった千代が、画家として大成したかもしれない清一が、人生を最期まで全うすることなく命を絶った。
時代と境遇を怨みながら、花火のように持てる命を刹那の逢瀬に輝かせたのだ。

それが千代と清一にできる生の成就であり、暗い世相への抵抗だったのかもしれない。
清一が描いた天女の下で千代が縊死したのも、人間が生来持つ愛を貫けない時代や境遇に対する無言の抗議だったのかもしれない。

プロフィール

不良老人カップル

Author:不良老人カップル
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(♂) 紅殻格子(べんがらごうし)
1962年8月23日生まれ。
某大手企業に勤めながら官能小説を雑誌に発表する兼業作家。ブログ『妄想の座敷牢』を主宰するも、2012年、妻を亡くし、また自身も食道癌に罹り、文筆活動をしばらく停止していた。

(♀) 美月
1962年8月23日生まれ。
3人の子供と夫を持ちながら家業の役員を務める兼業主婦。ブログ『灰になるまで恋を』を主宰。 偏屈な紅殻格子と10年に及ぶ愛人関係を続けられる自身もまた偏屈で変わり者。
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