紅殻格子の日記(170)  『野良猫』 第五章

紅殻格子の日記(170)  『野良猫』 第五章

麻美が自宅のマンションに着くと、珍しく夫の藤野勇樹が既に帰宅していた。

勇樹は三十七歳、財閥系銀行の本店営業部で上席調査役を務めている。

「遅かったじゃないか」

「うん、昔の女友達と久しぶりに女子会で盛り上がってね。もう夕食は済ませたの?」

「ああ、帰る途中、駅前の立ち食い蕎麦屋で済ませてきた」

「ごめんなさい」

「構わないよ。明日は取引先で資金調達のコンペがあるから、書斎に籠ってプレゼンの練習をしなければならない」

「・・そう」

「お前も疲れただろうから早く寝なさい」

そう言うと勇樹は、自分の寝室兼書斎のドアをバタンと閉めた。

夫婦の関係は冷え切っていた。

過労死しないのが不思議なほど、勇樹の帰宅は毎晩十一時を過ぎていた。
たまに早く帰っても話すのは仕事のことばかりで、今夜のようにテレビも碌に観ず、書斎に籠ってしまうことが多かった。

勿論、休日は得意先のゴルフ接待。

エリート銀行員と一緒になった宿命と言えばそれまでだが、贅沢な生活ができる賃金も立派なマンションも、寂しさの代償としては酷くみすぼらしく思えた。

これで子供でもいれば気も紛れるのだろうが、仕事で疲れているのか最近は寝室を共にすることもない。

(何でこんな男と結婚したのだろう?)

メガバンクのエリートで出世街道を突っ走る勇樹と、工務店の事務員として働いていた麻美とでは、そもそも出逢ってしまったこと自体が不幸だったのかもしれない。

東京大学を卒業した勇樹とグレて高校を中退した麻美との間には、普段道ですれ違っても接触できないように、生い立ちと言う境界がお互いを守っているはずだった。

ところが出逢った刹那、麻美は不幸になることを知りつつ、目に見えぬ深い境界線を愚かにも踏み越えてしまったのだった。

つづく…

紅殻格子の日記(167)  『野良猫』 第四章

紅殻格子の日記(167)  『野良猫』 第四章

艶っぽい瞳で麻美に見つめられた男は、青ざめた顔をして頻りに時計を気にした。

「さて、そろそろ帰らないといけないな」

話を早く切り上げたい男は、麻美を無視してあたふたと身支度を整え始めた。

もうこの男は二度と麻美に近づこうとはしないだろう。
もちろん麻美自身がそう仕向けたのだが、器が小鉢ほどの男達への苛立ちが改めてこみ上げてきた。

場末のラブホテル前で別れた麻美は、そそくさと家路へ急ぐ男の後ろ姿を鼻で笑った。

(男なんて皆この程度・・もうつまらない男は懲り懲りだわ)

客引きが屯する歓楽街の通りを折れて、麻美は大きな公園の中を速足で駅へ向かった。

ライトアップされた桜並木が、その淡い花弁を闇夜の空に散らしている。

麻美は歩みを止めた。

蒔絵の図柄にも似た春の切ない風情が、荒んだ麻美の心をゆっくりと蕩かしていく。

(でも・・野良猫だって、いつかはきっと愛するご主人様と巡り合えるわよね)

三十余年待ち焦がれる白馬の王子様を夢想して、麻美は少し強張った表情を緩めた。

桜の名所とうたわれるだけあって、公園の遊歩道には、桜の儚さとは無縁な人々が宴会を催していた。

「おう姐ちゃん、いい女だな。こっちへ来て一緒に呑まないか!」

「いい身体をしているなあ・・一人でこんなところを歩いているようじゃ、今夜は寂しく男旱ってところかな?」

へべれけに酔った中年男達が、コートの裾をはためかして歩く麻美に声をかけてくる。

麻美は再び切れた。

「ふざけんな、一昨日来やがれっ!」

麻美は威勢のいい啖呵を切ると、ヒールの靴で思い切り公園のゴミ箱を蹴りあげた。

(どいつもこいつも・・)

潔い桜の花弁一枚にもなれない男達に、麻美は癇癪を起して駅へと速足で向かった。

つづく…

紅殻格子の日記(165)  『野良猫』 第三章

紅殻格子の日記(165)  『野良猫』 第三章

程度の差こそあれ、今までに出逢った男達は麻美にしつこくつきまとった。

昨年、麻美が資産家の老人と一夜を共にした時、若い頃のソフィア・ローレンに似ていると言われた。
後にネットで調べてみると、確かにイタリアの大女優と麻美はどこか似た容貌をしていた。

野生的で彫りの深い顔立ち、逞しいほどのグラマラスな肢体、それでいてどこか男を寄せつけない孤高な表情――そのアンバランスさが男達を惹きつけるのかもしれない。
オードリー・ヘプバーンが愛らしい飼い猫であるならば、ソフィア・ローレンは世に背を向けた野良猫なのだろう。
 
野良猫ならば都合がいい。
屋内に飼い猫がいても、餌を与えてやれば野良猫は庭先で可愛がることができる。

飼い馴らされた猫にはない魅力があるし、その生活に責任をとらなくても許される。
だが一点恐れるべきは、野良猫も馴れ過ぎると家に棲みついてしまうことだろう。

麻美は男に抱きつくと、うっとりとした表情をつくって上目遣いに囁いた。

「ねえ、私と結婚してくれない?」

「け、結婚・・?」

男は目を大きく見開いて、哀れなほどしどろもどろになった。

「だって奥さんとは上手く行ってないんでしょう?」

「い、いや・・しかしね、君だって家庭があるんだし、その、それは、なかなか現実的ではないんだと思うな・・」

大金があろうと地位があろうと、男達は家庭や会社といった安定した根城を脅かす冒険を嫌う。
農耕民は狩猟民の自由に憧れながらも、決して稲作を放棄して深山を空腹で彷徨おうとはしない。

だから男達には、野良猫は野良であることに意味があるのであって、毛並みや血統、性格が重視される飼い猫とは対極の存在に他ならない。

つづく…


紅殻格子の日記(163)  『野良猫』 第二章

紅殻格子の日記(163)  『野良猫』 第二章

男の動きが止まった。

ベッドに胡坐をかいて背を丸め、射精した避妊具を男根から外す姿が如何にもみすぼらしい。
何もそこまで毛嫌いせずともいいのだが、麻美には昔から底意地悪く男を値踏みする癖があった。
絶頂の余韻を楽しむかの表情をつくりながら、冷徹に男と別れる算段を考え始めた。

ベッドで煙草を燻らせながら、麻美はバスルームから出て来た男に話しかけた。

「ねえ、奥さんとは上手くいっているの?」

「えっ、ああ、まあね・・でも子供がいるから一緒にいるようなものだよ」

男は一瞬顔を曇らせたが、何かを取り繕うように素っ気なく答えた。

「遊び人なのね」

「そうでもないさ・・でもお互いに家庭があるんだから、できればこれからもスマートに大人の世界を楽しみたいね」

男が気障にそう答えた時、突然鞄の中でスマホのバイブ音が鳴り始めた。
慌てて鞄を開けた男は、顔を強張らせながらスマホを懸命にチェックした。

「奥さんからの連絡?」

「い、いや、家内とはほとんどメールなどしないからね」

麻美の想像が図星だったのか、我に返った男は再びスマホを鞄に投げ込んだ。
麻美はベッドから跳ね起きると、上半身を反らしてバストとヒップのラインを強調したポーズをとって見せた。

「あたしの身体と奥さんの身体、どっちが好みかしら?」

「そ、そりゃ君さ・・家内の身体なんか、ぶよぶよに弛んで無残なものだよ」

再び萎えた男根を半ば勃起させて、男は麻美の身体を執拗に撫で始めた。

(どこまで下衆な男なの?)

自分の妻を醜いと蔑んでまで麻美の身体を欲する神経が、最低の部類に属する性欲豚であることを証明していた。

つづく…


紅殻格子の日記(161)  『野良猫』 第一章

野良猫

紅殻格子の日記(161)  『野良猫』 第一章

ベッドが軋んでいる。

覆い被さった男が乳房を揉みしだき、息を荒げて激しく腰を撃ちつけてくる。

「気持ちいいか・・気持ちいいだろう?」

担ぎ上げた両脚の間から男は顔を覗かせ、何度も同じ台詞を問いかけ続ける。

「ええ、凄く気持ちいいわ」

藤野麻美は男の興奮を陰部で受け入れながら、次第に醒めていく自分の心と身体を感じ始めていた。

(哀れな男・・)

馬ほどに鼻の穴を広げて呼吸を荒げ、顔面が引き攣るほどの必死な形相で、男は麻美の快楽を征服しようと腰を振り続ける。

「ど、どうだ、亭主なんかよりずっと気持ちいいだろう?」

「ああ、いいわ・・あなたの方がいい・・」

麻美は男の動きに合わせて腰を揺すり、口をわざと半開きにして喘いでみせた。

心が次第に凍りついていく。

(世の中には、この程度の男しかいないのかしら?)

男の阿呆面を心の中で笑いながら、麻美は冷静に自分が置かれた不遇を自嘲した。

この男とは出会い系サイトを通じて知り合った。そして初めて会った今夜、食事もそこそこにラブホテルへ直行したのだった。

元からさほど期待はしていなかった。

そもそも出会い系サイトを利用して、極上の男に巡り合える可能性など皆無である。
だがサイト使って麻美は三十人近い男を漁ったが、セックスに長けた男ぐらいなら、十人に一人ぐらいの確率で出逢うことができた。

ところが男はセックスでも外れだった。

女泣かせを自称した男の男根は、麻美の子宮口を突くこともできない粗品だった。
この先つきまとわれては面倒なので、今夜は一夜限りの夢だとはっきり教え込まなければならない。

つづく…
プロフィール

不良老人カップル

Author:不良老人カップル
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(♂) 紅殻格子(べんがらごうし)
1962年8月23日生まれ。
某大手企業に勤めながら官能小説を雑誌に発表する兼業作家。ブログ『妄想の座敷牢』を主宰するも、2012年、妻を亡くし、また自身も食道癌に罹り、文筆活動をしばらく停止していた。

(♀) 美月
1962年8月23日生まれ。
3人の子供と夫を持ちながら家業の役員を務める兼業主婦。ブログ『灰になるまで恋を』を主宰。 偏屈な紅殻格子と10年に及ぶ愛人関係を続けられる自身もまた偏屈で変わり者。
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