紅殻格子の日記(191)  食べログにうんざりする。

紅殻格子の日記(191)  食べログにうんざりする。

世の中にはいろいろと食べ物の蘊蓄を語りたがる馬鹿がいるものです。

食べログなるものの口コミを読んでいると、こいつは阿呆かと思わせるものが実に多い。

先日、実名を出しますが、『銀座 鮨 わたなべ』という店に連れて行ってもらいました。

評価は3.85点ぐらいついているのですが、客を馬鹿にしたような店で腹が立ちました。

その高級店はカウンター9席、個室4席があると書かれていますが、接待なので個室を取ってくれたのが裏目に出ました。

個室と言っても店に備え付けられた荷物置き場みたいに狭いところで、台形に仕切られているので絶対に3人しか入れません。

これは鮨を食べる以前の問題です。

基本的にカウンターしか入らない面積の店舗に無理矢理個室を設えたのでしょう。

これで金を取る店主の根性が気に入らない。

客をカバン扱いして何が名店なのか・・・それと国酒のラインナップが酷い。

絶対に酒の美味さを探究したことがない店主のなせる技でした。

それとコースで食べさせるのなら、お腹一杯食べさせて欲しいね。

量が少ないのが上品だと勘違いしているのか・・・だったらお土産に稲荷ずしなど渡さないで欲しい。

金持ちのつもりかコスパがいいなどと書く奴がいるけど、15,000円も出して帰りにラーメン食べなければならないのはそうなのでしょうかねえ?

まあ、悪口はいくらでも書けるのですが、昨夜、美月と晩飯を食べる店を探していて、御徒町駅近くで『中華珍満』という店を見つけました。

路地裏の汚い中華料理屋に分類される外観ですが、店から漏れる匂いを嗅げば大体味は想像がつきます。

美月と私は顔を見合わせて頷くとすぐに店に入りました。

見た目は昔の日本式中華料理屋ですが、満席の客の顔を見ればかなり期待が持てそうな感じです。

「餃子と焼きそばは売り切れたけどいいですか?」と言われて名物はすぐわかりました。

別に有名な一品を頼まなくても、ラーメンとチャーハンを食べれば、その店のレベルはすぐにわかってしまいます。

食べてみると、昭和40年代どこにてもあった日本人が経営する中華料理屋の味でした。

懐かしいという感じの化学調味料たっぷりのラーメンとチャーハン、否、焼き飯でした。

これはこれでいい。

しかし食べログを帰って見ると、何と評価3.56点、やはり物凄い人気の店でした。

でもね、口コミにチャーハンも美味いと書かれていますが、これは昔何処にでもあったチャーハンです。

決して美味くはなくて懐かしいが正解です。

実際、千葉は久留里にある喜楽飯店には少し負けると思います。

それはどうでもいいんですが、食べログの口コミを書く人は、権威づけなど排除して自分の舌を素直に書いて下さいね。

人がいいと言ったからいいのではありません。

もっともっと悪口を見つけて、いい店にしてあげることが大切なのですよ。

紅殻格子の日記(190)  月を観る

紅殻格子の日記(190)  月を観る

11月3日(文化の日)、久々に雨にたたられない休日、しかも三連休で、千葉へ向かうアクアラインも少し渋滞していました。

甲羅干しでもしないと身体に苔が生してきそうな10月でしたからね。

天気と同じで旅行者の顔も晴々していました。

美月と私はいつも通り東浪見へ向かいながら、房総半島の秋を探してあちこちに立ち寄りました。

青空に熟柿が映える山里の秋。

何も渋滞するいろは坂を越えて日光へ行かなくても、こんなに身近に秋を満喫することができるのです。

ただ銀杏は台風の影響で葉が随分落ちてしまっていました。

夜、九十九里浜から上がる月は見事でした。

ずっと穏やかな海の沖合まで一筋の光の道が拓けます。

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この画像は昔撮影したものですが、浜辺に立つ鳥居から光の道が続いていくように見えました。

まるで神が上がってくる道のようです。

モーゼが海を割ったというのも、あながち嘘ではないような光景です。

東浪見に上陸した神様は、地元の伝承では記紀の山幸海幸に登場する玉依姫命であり、これが一宮にある玉前神社のご祭神となっています。

リゾートマンションのベランダから美月と月を一時間ぐらい眺めました。

大好きな日本酒を飲みながら、月にまつわる他愛もない話を延々と続けます。

まるで昔の月待ちみたいなもので、夜中まで話は尽きることがありません。

都会ではゆっくりと月を愛でる場所も時間もありませんよね。

ぼんやりと月を見ながら夜長を過ごすなんて贅沢ですよ。


子の日記(188)  台風21号

子の日記(188)  台風21号

台風21号が先週末から今日にかけて日本を縦断しました。

被害に遭われた皆様には心よりお見舞いを申し上げます。

今朝、首都圏の在来線はほとんど運転見合わせになると確信していた私は、のんびりと家でテレビ朝日の『羽鳥慎一モーニングショー』を観ていました。

するといきなり中継になって、濁流に流されながら立木につかまる人を救助する映像が流れました。

場所のテロップすらなく、出演者がこれは何処なのだろうと騒ぎ出しました。

羽鳥氏も映像の詳細がわからないのか、ただ消防隊の救助の模様を実況するだけです。

すると石原良純が、京急の鉄橋が見えるから多摩川の下流だと言い当てました。

その瞬間、大半の出演者は流されそうになっているオジサンの素性がわかったのか、若干各人の発言がトーンダウンするのが見てとれました。

「何であんな濁流の真ん中にいたのかしら?」と女性が発言を繰り返しますが、誰もそれには答えようとしません。

救助された髪が長く髭面のオジサンがアップで映し出された時、この映像を放送していいのか誰もが不安になったかと思います。

それは明らかに多摩川の大田区側の河川敷で暮らしているホームレスの人でした。

多摩川の河川敷では、ブルーシートと段ボールで家を作って住んでいる人が数人います。

多くの人が電車の窓から彼等の暮らしぶりを見ているはずです。

満員電車から見る自由人の暮らしは大変優雅で、誰もが心ならずも憧れると同時に反面教師として、複雑な心境で眺めているのではないでしょうか?

私と美月は、更に彼等が空き缶回収で現金収入を得ていることを知っています。

土曜日になると自転車にたくさんの空き缶をバランス良く積んで川崎を走っています。

だから川崎市にはほとんど空き缶が落ちていません。
大変立派なリサイクル活動であると毎週感心するばかりです。

その映像が流れた時、真っ先に同業の何人かが死んだのではないかと思いました。

しかし現在まで多摩川での死亡に関するニュースはないので安堵しています。

それにしても彼等の今後の生活はどうなるのでしょうか?

明朝、通勤の途中で確認してみますが、ブルーシートの家は水浸しで流されてしまったでしょう。

行政は彼等に仮設住宅を提供してくれるのでしょうか?

彼等は間違いなく違法者ではありますが、懐の深い、肝の太い、福祉行政を是非ともお願いしたいところです。


紅殻格子の日記(187)  同行二人・・そしてまた一匹

紅殻格子の日記(187)  同行二人・・そしてまた一匹

同行二人とは。
四国巡礼の遍路などがその被る笠に書きつける語。弘法大師と常にともにあるという意。

美月と毎週末を過ごしながら、常に私の人生が彼女と伴にあるのだと実感しています。

房総・横浜・上野・横須賀・大塚・・・飽きもせず同じ店や場所を順繰りに渡り歩くだけですが、皆様から心温まるお接待を頂いています。

お遍路さんと何一つ変わりません。

狭い範囲かもしれませんが、常に私達を見守ってくれている人々がいます。

それは二人のどちらかではなく、同行二人として受け入れて貰っているのです。

私達はこうして二人共通の新しい故郷をつくろうとしているのかもしれませんね。

地縁血縁ばかりが故郷ではありません。

故郷は心の拠り所であり、海外やインターネット上にも存在するのではと思います。


さて昨年の10月15日に千葉山中で拾ったルナが家に来て丁度一年が経過しました。

後足を四か所骨折していた子猫が、お陰様でこんなに大きく成長しました。

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すぐに死んでしまうのではないかと思った可哀想な子猫でしたが、今は家と私の体をボロボロにするほどの元気猫になって暴れています。

本当に出逢えて良かった。

恩着せがましい気持ちなど微塵もなく、ルナのお陰で私と美月のお遍路さんも楽しくなるばかりです。

ルナを拾った時、これは大変なことになったと先々の心配ばかりしていました。

車で連れて帰れるか? 骨折を直すのにいくらかかるのか? 
悪い病気を持っていたらどうするか? 
昔から飼っている猫と喧嘩しないか? 
ペットの葬儀にいくらかかるのか? 

でもルナは教えてくれました。

何事も自分の意志で不安にも幸福にも変えられるのです。

何て名前をつけてあげようか? 
ルナは美月との「子は鎹」になってくれるだろうか? 
曲芸を仕込んだら稼いでくれるか? 
70歳まで生きてルナの面倒を看てやろう。

心のベクトルは気持ちの持ちようで幸福にも不幸にも振れるのです。

だから幸せは自分の心でつくるものなのです。

決して与えられるものではありません。

どんなに苦しくても、試練を与えて貰っていると考えることです。

能天気なほどポジティブに生きていくことこそが、人生を楽しく花開かせる唯一の方法なのです。

美月は次に翼の折れたトンビかキジを私の家へ持ち帰ろうと画策しています。

まあ、それも楽しいかもしれませんね。

紅殻格子の日記(186)  裁き

紅殻格子の日記(186)  裁き

先日、社内のエレベーターに乗り合わせたSさんが珍しく私に声をかけてきました。

Sさんは私より五つ六つ年上で、還暦を迎えたであろう女性です。

部署が違うのでそれほど親しくはありませんが、お互いに本社で三十年以上生き残ってきた古参社員の顔見知りです。

「紅殻さん、子供さん達はみんな手が離れたの?」

「いえ、上の二人は就職して家を出ましたが、まだ三男が大学を浪人して家に居ます」

「そう・・それならいいわね・・・私は人生の方向性を間違っていたみたい」

そんな話をしたこともない人からいきなり切り出されて、しばらく会社の廊下で立ち話につきあうこととなりました。

「奥さんや子供、孫がいる同年代の人は、守る存在があるから還暦を過ぎても生き生きと働いているわ。でも私には誰かのために生きるという目的がないの」

「・・はあ」

私が勤める会社では、六十歳を過ぎると形だけは定年となりますが、六十五歳まで契約社員のような立場で働くことができます。

仕事はそれまでと余り変わらないのに、給料だけは大幅に減らされてしまうため、モチベーションがかなり落ちてしまうと言う話は聞いていました。

そしてSさんはずっと独身で過ごしてきており、話の筋から考えると、今は還暦を過ぎて一人で暮らしているのだとわかりました。

つまりSさんは仕事への意欲を喪失し、同時に老後独りぼっちになる不安を抱えているのだと想像できました。

「でもSさんは昔から趣味を謳歌していましたよね。まだまだやりたいことがいろいろあるんじゃないですか?」

「ううん、だから方向性を間違ってきたと言うの」

結構美人でナイスバディなのですが、三十年も前から一人でインドやネパールを旅行するような女性でした。

当時、若い人達はみんな結婚して子供ができて生活に精一杯でしたから、いつまでも独り者で遊び周っているSさんを羨ましくも腹立たしく思っていました。

アリとキリギリスです。

そのキリギリスの代表選手みたいなSさんが、その人生を間違っていたと後悔しているわけです。

しかしみんなが憧れるほど自由奔放に生きて来たSさんの敗北宣言に、私は馬鹿じゃないかと腹が立ちました。
キリギリスの結末は童話からも明らかです。

キリギリスになることは、独りぼっちの野垂れ死にも含めて、当然そこまでの覚悟があって実践できるわけです。

偽のキリギリスは自分の過去も否定してしまうため、結局人生全てが不幸になってしまいます。

しかし本物のキリギリスは不幸な末路であっても、過去の楽しさを最期まで宝石のような輝きとして心に刻んでいるはずです。

それに自分が生きるモチベーションのために、家族や子供をを求めるのは幼稚過ぎると思います。

「頭が悪いんだよ」と私は心の中で呟き、長くなりそうな話を途中で切り上げました。

さてさて、現在独身の皆様、還暦後の独りぼっちは相当堪えるみたいです。

結果はわかっているのですから、早目にいろいろな手を打った方がいいと思いますよ。


プロフィール

不良老人カップル

Author:不良老人カップル
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(♂) 紅殻格子(べんがらごうし)
1962年8月23日生まれ。
某大手企業に勤めながら官能小説を雑誌に発表する兼業作家。ブログ『妄想の座敷牢』を主宰するも、2012年、妻を亡くし、また自身も食道癌に罹り、文筆活動をしばらく停止していた。

(♀) 美月
1962年8月23日生まれ。
3人の子供と夫を持ちながら家業の役員を務める兼業主婦。ブログ『灰になるまで恋を』を主宰。 偏屈な紅殻格子と10年に及ぶ愛人関係を続けられる自身もまた偏屈で変わり者。
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